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弱さを受け入れるコツ

例えば地震が起きた時、台風が直撃する時、コロナ禍で、戦争のニュースを見て…
一瞬にして極度の緊張状態に陥り、強い不安と大きな恐怖が私を襲う。
脚は震え、心拍数は上がり、気は漫ろになり、まるで宙に浮いているようだ。
時には、腹痛や頭痛、吐き気も伴う。

そうなった途端、思考は停止する。

現実的な恐れより、自分の内面…その瞬間背負っている恐怖心それ自体に囚われる。
死ぬことへの恐怖ではない。
第一に、自分がどうにかなってしまいそうな感覚への恐怖、その次に、漠然と思い描かれる大きな環境の変化への恐怖だ。

しかし、実際は、自分がどうにかなってしまいそうな感覚…つまり極度の緊張状態、強い不安、脚が震える、心拍数爆上がり等の身体症状は、寧ろ、自分がどうにかならない為に脳が司令を出して起きている現象に過ぎない。


人間がまだ野生動物と共生していた時代、大きな肉食動物に遭遇するなどして生命の危機を察知すると、そのような身体症状が出て脳が意識にサインを出した。
戦え!危ない!
そうして人は生き延び、進化して来た。

地震、台風、コロナウイルスなど感染症、戦争…
自分ではどうにも出来ない規模の敵への不安や恐怖で、身体が反応するのは当然の事だろう。
震えるのが当たり前、緊張するのが当たり前、ドキドキするのが当たり前。
私達は生きているのだから。

けれども、渦中にいると、
震える=震える程怖い
ドキドキする=ドキドキする程怖い
身体が狂ってしまう位怖いのだから、どうにかなってしまうかも!変わってしまうかも!
…と言う漠然とした恐怖心が新たに発生してしまう。
(これは飽くまで私の感覚でだが。)
無意識的に、漠然とした大きな物、それから己の身体症状と、面と向かって戦おう、抗おうと藻掻いているのだ。
敵を攻略する術も知らずにだ。
なんと無謀な!


私は今、ふと思うところがあり、若松英輔氏の『弱さのちから』を読んでいる。

「弱さは克服すべき対象ではない」旨が書かれた本だ。
世の中は、「強くあるべきだ」「自己責任だ」「皆、堪えているのだから」と言って、弱さから目を背ける風潮だ。
強くあろうと願う程、弱さは蔑ろにされ続け、痛みは大きくなる。

視野は狭くなり、自分の痛みも他者の弱みも見えなくなる。


緊急事態渦での身体症状と戦おうとする事は、弱者に無理を強いて、強くあれ!それが常識!と自分勝手な基準を押し付けることではないか?

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