ゆき
元々、韓国のブログ等で記事を書いていたウィークネス・フォビア(弱者嫌悪)について、和訳し直し補足して記事にしようと思いつつ、2か月経ってしまった。冒涜だけの下書きが残っている。ひぃ…。
パニック発作を和らげる為の知識を増やす今回のシリーズ記事、いよいよ今回が最後です。 ラストは、「安全感」を獲得する方法をお伝えします。 前回までお話しして来た通り、迷走神経には大きく二つの系統があります。 主に横隔膜より上にある「腹側迷走神経系」と、横隔膜より下の臓器にある「背側迷走神経系」です。 いずれも敵からの防御を目的として発達してきた神経と考えられていますが、ピンチの時の防衛反応として働く「背側迷走神経系」は、あたかも「死んだ」ように見せかけるような働きをします。
不定期でお送りしているシリーズ、3回目は、腹側迷走神経系の進化と脳の発達について。 前回の記事で、「ヒトは、強い不安や恐怖を感じた際、「凍りつき」と呼ばれる原始的なシャットダウン機能で、絶体絶命のピンチから奇跡的に身を守っているのだ」、と言うお話をしました。 「硬直して何も出来なくなってしまう人」と、「すぐに機転を利かせて行動出来る人」の違いは、脳の成長過程にあると言われています。 ピンチの際に、「硬直して何も出来なくなってしまう人」は副交感神経系の「背側迷走神経系」が優
パニック発作を和らげる為に、身体の仕組みを理解しておこうというシリーズを、不定期で更新しております。 パニック時に、身体の震えや息切れ等の反応が起きるのは、脳が生き抜く為に一生懸命働いている証拠だ、と前回の記事『パニック発作を和らげよう〜①養生と防衛本能の自覚』に書きました。 今回は、強い恐怖や不安を感じる「絶体絶命の一大事」に直面した際に、動けなくなる(硬直する)人についてのお話です。 危険を察知した時、すぐに機転を利かせて行動出来る人と、硬直して何も出来なくなってしま
さて、災害に頗る弱いわたくしでございます。 秋辺りから仕事が忙しくなり、真面目さが買われてワンオペ状態になってしまい、数ヶ月ほぼ毎日の残業で、精神的過労状態もピークに。 そこで起きた九州の地震と昨晩の神奈川西部地震。 メンタル的に、結構最悪な状況。 久し振りに頓服薬の出番でした。 実は、パニック障害と長年のお付き合いをしております。 昨晩、緊急地震速報と地震による過緊張で、胃がぎゅーーーっってなるつらさは、ヨガのコブラのポーズとアップドッグ、バッタのポーズで乗り切りました。
消えてなくなりたいと思う時に、敢えて(無意識に)生きている事を実感するような行為をして、自ら「どうしようもなさ」を抱えてしまう人間と言う生き物を、とても愛おしく思う。尊い。意味のある行為。 ※わたしに何か起きたわけではないです。
「コミュ力がない」 この一言こそが、自身に他者を拒否させて上手く回らないようにしている犯人。 その方が脳が楽だから自己暗示を掛けますが、そのネガティブな思い込みはいずれ呪いに変わり、自身を傷付けます。 自分らしく手段・方法を変えること。 他者と関係すること自体を諦めないこと。
人は自分自身が光であることを求めます。 「いつも輝かしい自分で居たい。」 「誰かに誇れる自分でありたい。」 「苦手なことは隠したい。」 「上手くやり過ごしたい。」 自ら(みずから)の失敗を許さず、成功ばかりを望み、その完璧なビジョンを描く自分を称賛したがります。 自分の意志で、弱く脆い自身の姿を拒否します。 けれども、光があれば必ず影があります。 影は光がなければ存在しませんが、光もまた、影や闇によって支えられるものなのです。 ユング心理学で、自分の苦手なことや回避していた
残りの数は減っていくけれど、過ごした数は奇跡のように積み重なっていく。 この先少しずつ確実に失なっていくものより、これまで得てきたものと、これから先空いたスペースに新しく何を詰めるか?に意識を向けたい。 変化を有り難く享受して、衰退や損失すらも楽しみたい所存。
一年程、裏付け的なインプットが多く、なるほど!感は増してはいるものの、点と点が丸と丸になっただけで、自分が求めるデザインの線にはまだならない今日此の頃。 じっくり紐付け整理してアウトプットする時間がないので、何とか改善したいもの。 取り敢えず、今読み終わった本はこちら。
やりたいことを語る時、それを何に直結させるかによって捉え方は変わってくる。その終着点を 「何かを成し得る為に目指すべきもの」と考える人と、「積み重ねた選択の延長線上にあるもの」と考える人とでは、そもそも話の方向性が違う。
珍しいことが頻繁に起きていると思い込んでしまう認知バイアスの仕組み リハーサル効果:繰り返しにより記憶によく残ること 利用可能性ヒューリスティック:思いつき易さや思い出し易さで、発生頻度を判断する癖こと 記憶によく残る(定着)→思い出し易くなる→頻繁に出会っていると錯覚する
そもそもマイノリティ、マジョリティってのも、各種病名も、マジョリティ側の都合で作られて普及してるんだし。時代錯誤かも知れんが、病名なんて分からなくても、お互いが尊重し合って、得意なことを分け合って、苦手なことは代行して、助け合って、ただ解り合おうとして生きて行きたいよ。
一定の線引きは必要だろうけど、それが誰の為のどんな線引きなのかによる。ぶっちゃけ線引きやら区別やらして良いのは弱者側発信の場合だけだと思ってる。でも世の中に溢れてるのは自分の利便性の為だけの区別要望だよね。
朝から引き寄せ発動。 春が来るし、写真活動再開しようと、しだれ梅が満開の場所を検索していて偶然見つけたツイ主(議員さん)に、リプ送るか迷いながら駅まで歩いていたら、駅チカのコンビニ前でばったり遭遇した。 直接場所を確認出来て、ガーデニングボランティアの活動についての情報も得た。