Sachi

瞬間ごとに変化する世界。

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最近の記事

A&W化する沖縄

Lana Del Reyの曲が好きだ。 女性特有のテンポと世界観がよく反映されている曲がたくさんある。 特に彼女のA&Wという曲は「女性」として生まれた一部の人たちが経験する暗闇を等身大に表現した曲で、聴くたびに何とも言えない虚無感が広がる。 ファストフード店の如く、争うことなく消費の波にひれ伏す女性の姿が遠くに映る。 「陰陽」、どちらも社会が必要とする限り、彼女の作品は輝き続ける。 私は普天間基地の近くで生まれて育った。 騒音や事故の危険性だけでなく、幼かった頃は風俗

    • 「友達?いないよ」の爽快感

      会話の節々で、付き合う友人について聞かれることがある。 「友達?いないよ」 相手の表情が歪む。つられて不安が頭をよぎるけど、どこか爽快だ。 新しい感覚なので文字に起こしてみる。 私はしばらくInstagramをおやすみしている。 もうしばらく会っていないあの子のライフスタイルを定期的に目にすることに疑問を感じ始めたのがきっかけ。 やめてみて、気づいたことがいくつかある。 無意識のうちにバーチャルなつながりに依存していたこと。 Instagram越しの友人を見ることで、ま

      • もう思い出せない朝の風景

        朝起きて窓の外を眺める。 海を超えて国を超えていろんな窓から見てきた朝の風景。 ここがどこかも思い出せない。 確固たるアイデンティティを持とうとしないから、恋しくなる朝の風景や香りが無いのだ。 そういうことを考えてると、自分が何度も生死を繰り返した存在のような気がしてくる。 エンディングが分かってるから、こだわりを持たないのだ。 流れるように生きる。好きも嫌いも、その隙間からいろんな可能性が見えて定義できない。 毎回何かを失うのが怖かった過去は、いつのまにか遠い記憶

        • 夜に開くMacbookでタイムトラベル

          久しぶりにプライベートのパソコンのデータを開いた。 当時のデータや写真を見て、自分の軌跡を辿る。 少しの間、心がジーンとする。タイピングの手を進める。 今の環境とは異なる環境で、見えない未来へと突っ走っていた。 心の体力に身体の体力がついてこず、落ち込んでばかりいた。 今でもたまに、そんな理由で落ち込むことはあるけど、当時と比べると落ち着いたかな。 過去と現在を思い返して、今はあるけど当時なかったことへの有り難さも感じる。 今日までの軌跡で、当時は分からなかった自分が

          Born to die (27歳の今)

          日本に生まれ落ちて27年が経った。今は関東に住んでいる。 国内外問わず転々と暮らしてきたことがかえって、誰かと深い関係を築くハードルになっている。 既知の「当たり前」が違うから、わかり合おうとすることを諦めて過ごしていた。 プラスチックな人間社会に慣れてきたところ。 あの時は今でもかけがえのない時間だったけど、再現性がないことを知っている。 惰性的であっても関係性を継続できたんじゃないかとつまらない考えが頭をよぎる。 さよならを告げる辛さを感じる心がある限り、反芻するの

          Born to die (27歳の今)

          好きなら私の手を取って、嫌いなら出ていって。

          よくそう嘆いて、片手で収まるようになった友人の数を数えては嘆いてた。 お酒をたらふく飲んだ。悲しさに包まれた心にワインはよく染みた。 今はあまりそう思わない。確かに相変わらず友人は少ない。 全ての出会いに始まりがあって、終わりがある。それがものすごく自然なこととして受け入れるようになったからだ。 一緒にいられる人には皆「共通言語」があって、 それがあるから安心して隣に居られる。本音で話せる。 それがなくなった今は、どうしても他人行儀でしかいられないんだ。 私たちをつなぐ

          好きなら私の手を取って、嫌いなら出ていって。

          2024年を生きる意味

          2024年の今。私は私を誰よりも幸せにするために生きる。 そのための努力を惜しまない。 自分の心が満たされて他人にも優しさを分けれる、それが私の生きたい理想だと。 数年前、自分のなりたい姿を思い浮かべて異国に渡った。 英語と英語以外の言葉を話すようになりたい、日本以外の文化をインストールして生きやすさの可能性を広げたかった。 私以外の生きづらさを感じている人のために、共有できる何かがあるんじゃないかと希望を持っていた。 その異国の地では運命的な出会いもあれば、血の滲むよう

          2024年を生きる意味

          籠鳥雲を恋う

          中国では非婚化が進んでいるのだと、中国人の友人が話していた。 競争社会からの疲労。不況で増加する解雇や襲ってくる日々のストレスを目の前に結婚という挑戦はもはやあえて選択しない人が増えているのだと。 日本は結婚や婚活ブームはまだ盛り上がっている。 電車広告やYoutube広告でもマッチングアプリや婚活イベントなどあらゆるところに掲載されている。 「いい歳になったんだから」と男女ともに結婚を後押しするような目に見えない圧がある中、私は首をかしげてしまう。 結婚を意識し始めた

          籠鳥雲を恋う

          (有料級)魔法で夢を叶える方法

          この世界は実に魔法的だ。 自分が何を当たり前とし、何を信じるかで現実が変わってくる。 魔法が必要なかった時代のお話  〜科学と努力至上主義だった日本〜日本で育った私は、他の地域の人と比較すると長期的視点を好み、リスクを回避すること先立って考える癖があると認識している。 国民文化の違いを相対的に比較できる指標のホフステード6次元モデルを参照しても、それは明確だ。 その国民性がゆえに世界的に成功した自動車産業やものづくり文化が根付いたのかもしれない。 そうとは言っても時は20

          (有料級)魔法で夢を叶える方法

          頑張る時代は終わった

          頑張る時代は終わった。最近はこの言葉がよく思い浮かぶ。 今住んでいるタイでは、家事・食事・(場合によっては)育児のアウトソーシングが当たり前になっている。 それらを仕事として担う人々やサービスが存在しているのだ。 食事はデリバリーでも健康に気を使って注文できる選択肢が数々ある。 洗濯や部屋の掃除もアプリ一つで代行できる。 幼いお子さんがいる場合、日中仕事をする時間に子供を見ていただく家庭も多いと聞く(下記バンコクの家事代行サービス概要参照)。 今までは生活の全てを一人で

          頑張る時代は終わった

          謝らない強さ

          ある日のタイ人との会話が興味深いものだったので書き記したい。 ビジネスやプライベートで良い関係性を築くというテーマで話を進めていた時、 タイ人の彼女はこう言った。 「一日が終わった時にまず自分に有難うと言う。今日を頑張ってくれて乗り越えてくれて有難うと。」 「その後に感謝したい人に感謝を伝えればいい」 「反対にこの一日を通して何回謝罪の言葉を口にしたのか振り返る。良い関係性を築くには自分で自分の価値を知っておくことが大事。」 「謝ることは良い関係性を築く上では逆効果で、自

          謝らない強さ

          タイでお金に関するヒプノセラピーを受けたお話し

          今回はタイで受けたヒプノセラピーについて書こうと思う。 約二ヶ月前にイギリス人の錬金術師によるヒプノセラピーを受けた。 テーマはお金に関するブロックを外すというもの。 日本で育ち過ごした時間の長い私には「贅沢はよろしくないこと」「無駄遣いは控えれば控えるほどいい」といったマインドセットが染み付いており、 それらを取り除くことでより多くの富にアクセスできればと思い、参加した。 実際にヒプノセラピーを受けた後の結論からいうと、ここ二ヶ月の預貯金や取得は今のところ特段変化はない

          ¥300

          タイでお金に関するヒプノセラピーを受けたお話し

          ¥300

          日本人女性という呪い

          ※今回は女性に特化した記事のため、「男女」という主語が多発します。 日本人だという話をすると、日本人女性に生まれて可哀想ねと言われたことがある。 言い返せない自分もどこかにいた。 むかしから母国で語られるジェンダーには興味があった。 制度が整っても男女ともにマインドセットがついてこない現状がどこか甚だしかった。 痴漢を日常茶飯事だと言えてしまう先進国、性被害に遭った女性に責任転嫁してしまう世論、ハイキャリアの女性はモテないと口に出す人を横目に鬱憤は募る。 とは言っても文

          日本人女性という呪い

          コップの水を入れ替える

          私たちの意識をコップの水によく例えて想像する。 それは流動的であり、収容量が限られている。 日々目にするもの、真実だと信じてきていたこと、好きなこと、それらが意識(水)となってコップに収まる。 よく仕事のことを考えるときは、大半の水を仕事が閉めている。 クリエイティビティ、目標、欲望、恋愛、その季節によって水の色は様々に彩られる。 そんな私たちのコップが実は危機に晒されている。 常に何気なくスクロールする画面越しのアルゴリズムがまるで偶然を装い水の色をコントロールしてい

          コップの水を入れ替える

          ジョハリの窓を思い出す〜自己探究〜

          時々、他己分析を自らしてくれる方に出会う。 「あなたって頑固なところあるからね」 「そこ直した方がいいんじゃない」 かつての私であれば、教えてくれて有難うと伝えて素直に受け取っていた。 そして未熟な私を責めては落ち込んだ。教えてくれる彼らに感謝だと思っていた。 最近になって、そういった素直さは時には自分を見失わせるということに気づき、 全てを言葉のままに受け止めないことにした。 自分から見えてる自分と、他人から見えてる自分はそれぞれ同等であること。 他人からの意見にばかり

          ジョハリの窓を思い出す〜自己探究〜

          風の色を信じる

          友人がちらっと口にした言葉が心に残って離れないので綴る。 「貴方のために用意されている人は存在するし、どういう形であれ貴方のもとに訪れる仕組みになっている。選択肢も物だってそう。日々訪れる選択する瞬間に貴方が手に取る物は、不思議と他の人は手に取らない。それはまるで貴方をずっと待っていたかのように。」 起こりうることは起こるし、起こらないことは起こらない。 流れてきた風を詠む。風の色を感じる。その感覚を信じる。 その自然を感覚でも理解できるように、日々想像、日々自愛。 繋

          風の色を信じる