コップの水を入れ替える
私たちの意識をコップの水によく例えて想像する。
それは流動的であり、収容量が限られている。
日々目にするもの、真実だと信じてきていたこと、好きなこと、それらが意識(水)となってコップに収まる。
よく仕事のことを考えるときは、大半の水を仕事が閉めている。
クリエイティビティ、目標、欲望、恋愛、その季節によって水の色は様々に彩られる。
そんな私たちのコップが実は危機に晒されている。
常に何気なくスクロールする画面越しのアルゴリズムがまるで偶然を装い水の色をコントロールしていること。
欲望のターゲティング、見たいコンテンツが見れた瞬間に分泌されるドーパミン。
支払いが完了すれば取引成功。データ化されるユーザー行動。
企業はマーケティングにケチっちゃいけないと謳われる。
半人半機械。シンギュラリティやAIの進歩が議論される中、機械的にプログラミングされているのは実は私たちのことだったりして、と考えが枝分かれしていく。
だからこそ、コップの水は自分で取り替えなくちゃと思う。
何を見て、どう感じて、日頃聞こえない自分の声を聞く努力が大事と気づく。
自分が認めた事実は脳内にインプットされ、良くも悪くも呪いとなって魂に残るから。
自分の人生と経験を知らぬ間に売り渡してしまわないようにと危惧が頭をよぎる。
誰かが言っていた当たり前に当てはめて考えて、誰かが作った歌詞に共鳴して、誰かの評価に身を委ねて、誰かの提案に任せて舵を取るといった流れがあたかも正しいように並べられている世の中だから。
突然、涙が出て止まなかった。
聞いてあげられなかった自分の声が止まらず、涙となって溢れ出てきた。
強がってばかりで悲しむことを怠った瞬間。
寂しさは弱さだという嘘の事実で片付けようとしたばかりに傷んだままの心。
ちゃんと見てあげられなくてごめんね。私はずっとそばにいるよ。
ありのままの感情を見て、昨日までの水をこぼして今日の水へと取り替える。
透明なままだった。