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「友達?いないよ」の爽快感

会話の節々で、付き合う友人について聞かれることがある。
「友達?いないよ」
相手の表情が歪む。つられて不安が頭をよぎるけど、どこか爽快だ。
新しい感覚なので文字に起こしてみる。

私はしばらくInstagramをおやすみしている。
もうしばらく会っていないあの子のライフスタイルを定期的に目にすることに疑問を感じ始めたのがきっかけ。
やめてみて、気づいたことがいくつかある。

無意識のうちにバーチャルなつながりに依存していたこと。

Instagram越しの友人を見ることで、まだ私達はつながっていると無意識的に安心していたのだ。
友人の現状を把握していないと、再会した時の会話に困る。
「友達だったら見ておくべき、彼らの今を知っておくべき」
そんな名ばかりのつながりに無意識のうちに縛られていた。
その根源となるのは、友人関係への依存だった。

深い関係性への依存

私は比較的、どのコミュニティでも友人関係を築きやすいと自負している。
人が好きだし、共感できる人と出会うと共鳴するし、そんな関係の中で垣間見える深い会話が好きだ。
その深い会話のできるつながりを求めるからこそ、過去の美しいつながりを手放せずにInstagramに依存していた。

SNS依存ではなく、つながり依存こそが私の抱えていた問題だったのだ。

これからは

週末、一人の時間が多く感じて寂しくなっても
今までの人生「友人がいなかった時間」はほぼなかったから逆に貴重だと覚えておきたい。

20代が去ろうとしている今。
10代、20代では思いもしなかったことを考えるようになった。

より身軽に。より真実を口にして。よりdetachを繰り返して。

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