■「かなしい」を「かなしい」と言うだだけでは足りなくて―『百人一首という感情』
私は、人生の半分以上を受験国語のプロとして過ごしています。また、20代の頃は大学院で平安時代の物語の研究もやっていました。が、そのなかで驚くほど苦手にしていたものがあります。それが「和歌」です。
これまでずっと「和歌」の面白さが理解できず。学部生時代も授業中にずっと『源氏物語』を読んでいるような学生でしたが、和歌が出てくるとフツーに飛ばして読んでいました(そして、師匠に怒られていました)。
あるいは、高校時代。「百人一首を定期テストの範囲にするから、1~50まで暗記して自習しておいてね」と先生から告知がありました。
苦手な和歌である上に、暗記嫌いなことも重なり、先生に「それ、配点は?」と聞き「20点」という答えをもらった瞬間、「んじゃ、私は80点満点でいいや」と言い放つ始末。
ちなみに。テスト後に友人に言われた「出そうなとこだけ覚えればいいじゃん」という言葉に、「うん…そんなこと、私が思いつくわけないだろうよ…」と遠い目したのもいい思い出です。
閑話休題。
そうして、国語講師になっても、和歌が苦手なことには変わりありませんでした。また、和歌が大問で出る学校がほとんどないことも、私自身が和歌にほとんど触らないためのちょうどよい言い訳になっていました。
おかげで、あまり熱心には教えられず…掛詞、序詞、枕詞などの技法的なことや、さらりと一読した意味を捉えるだけの教え方に終始していたのです。そりゃ、生徒たちが興味を持つはず、ありません。
ですが、そんな私に、とうとう和歌の面白さを実感させてくれる本が現れたのです。それがコチラ。
最果タヒさんの『百人一首という感情』(リトルモア)です。
というわけで、今回は、高校時代以来凝り固まっていた「和歌…無理…苦手」という感情を見事に溶かしてくれたすてきな本のご紹介です。
■『百人一首という感情』について
■最果タヒ 著
■リトルモア
■1500円+tax
■2018年11月刊行
■なぜ、私は「和歌」を面白いと思えなかったのか
私にとって「百人一首」を含め「和歌」は、暗記するもの、勉強するものでした。
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