おにぎりを通して伝えたいこと
もうすぐ人生で初めてのマルシェに、おにぎりで出店する。
なぜ私がおにぎりを選んだのか?
おにぎりを通して伝えたいこと。
現代は、飽食の時代、食べものは溢れ、食べたいだけ食べられる。
外食に行くと様々な種類の豪華な食事たち、スーパーにも豊富なお惣菜たち、SNSを開けば華やかなバリエーション、見た目も美しい。
どこか、そんな食事が「当たり前」になっていないだろうか。
「何品も食事を作らないと」「豪華な食事を作らないと」と思いになっていないだろうか。
生きていく毎日に必ずといっていいほど、訪れる「食」の時間。
何のための「食」だろうか?
楽しみのため?栄養補給のため?ストレス解消?毎日の習慣?趣味?ルーティン?
「食」の本質ってなんだろうか?
本物の「食」ってなんだろうか?
SNSが普及したこの時代、「ちゃんとしたものを作らなきゃ」という想いが、自分自身を苦しめていないだろうか?
私は、時々日本人の食事が不思議に思うときがある。
なんであんなに手の込んだものを毎回作るんだろう。
なんで家庭料理の見栄えを毎回美しくするんだろう。
なんで料理を作ることに頑張るんだろう。
なぜ料理を疲れるほどやるんだろう。
ニュージーランドでは、オーブンに野菜や肉を入れてオーブン焼きが定番だった。
夜ご飯にパンやピザだったこともあった。
小鉢のおかずなんて存在しない。笑
「料理苦手」という人はいたが、「料理に疲れる」という人はひとりもいなかった。
頑張って料理しようとして、疲れて、ストレス溜まって、コンビニやファストフードで済ませる。
「料理をそんな頑張らなくたって、おにぎりで良いじゃん!」
「一品で良いじゃん!気楽にやれば良いじゃん!」
そんなふうに、おにぎりへの想いが変わったのは、フリースクール。
こどもたちのおやつにパウンドケーキや団子などを作るときもあったけれど、忙しいときや給食のご飯が大量に余ったときは、「おにぎり」だった。
こどももおとなも、満面の笑みでおにぎりにかぶりついていた。
それはまさに幸せの象徴だった。
現におにぎりがめちゃくちゃ美味しかった。
それまでおにぎりなんてほとんど握ったことがなかったが、これがきっかけで私は自分のご飯としてもおにぎりを握るようになった。
私はマルシェで「おにぎり」を出店したいのではなく、食事もおやつもお弁当も「おにぎり」などの気楽なもので良いんだよ、ということを伝えたい。
頑張って豪華な食事を作るのでもなく、焼き菓子でおやつを作るのでもなく、残りごはんで握る「おにぎり」で良い。
おにぎりこそ日本のスーパーフード。
本物のおいしいお米と、本物のおいしい塩や梅があれば、完璧!
「日々の料理をそんなに頑張らなくていいよ!気楽にやれば良いよ!」
「本物のおいしい素材があればシンプルご飯もご馳走になるよ!」
ということを、私はおにぎりを通して伝えていきたい。
料理を頑張りすぎず、ゆるく幸せに生きていこう。