大乗非仏説について

大乗非仏説について

今回は「大乗非仏説」について、記しました。
一般の皆さまは普通に読んでいただいて、
僧侶の方はご参考にしてもらえたらと思います。

※勉強になったという方がおられましたら、
これらの資料作成や、ここに至るまでの勉強思案などを想って、
ご喜捨いただければ幸いです。(御気の向くままに)


0.導入:大乗非仏説とは

大乗非仏説とは、「大乗経典は史実の釈迦仏の説いたものではない」ということである。
一般の日本人が触れている経典の多くは、「大乗経典」と位置付けられるものであるが、
この大乗経典とは釈尊入滅から数百年後に、突然出現してきたものだということが明治以降その文献学・考古学などによりわかったのである。
このことはつまり、約2500年前にいた史実の釈迦仏が説いたものではないということを意味し、「大乗非仏説」として問題視されるようになったものである。

これに対しては、様々な意見があり、
非常に問題視して、大乗仏教を完全に否定してしまうような意見から、
いくらかの理由をもって、大乗仏教を肯定する意見まであり、
ときどき論争を生じるところである。

そこでこれについて説明する。
 

1.本論:大乗非仏説は問題にならない

●通常のよくある理解

大乗非仏説は、物質的に見ると間違いないことである。
そこでこれを非常に問題視する意見と、
これは(~という根拠で)問題とならないという言明がいくらか存在する。

・問題視するよくある理解
非常に問題視する意見では、大乗をすべて単に非仏説なもの、
後ででっちあげられたものとして切り捨て、釈尊の本当の説法を求める。
そして大体、上座部仏教を全てとし、あるいはその中でもさらに最古層のものだけを
文献学・考古学を屈指して突き止めようとし、何が何でも釈尊の直説しか採用しないという立場になる。

・肯定するよくある理解
これに対していくらか、このように考えることで問題とならないという立場もある。
代表的なものを挙げると、
 ・そのように信仰が長期間成立してきた。
  ・何の宗教的真実もないものであれば、このように長期間は続かない。
  ・人が信仰してきたものが、真実である。
 ・仏教を本当によく理解した当時の誰かが、
  時代に合わせて仏説を借りて著したものであり、
  仏説の延長であり、仏説としてさしつかえない。
  ・しかも多数の神秘体験が大乗の上に存在するから、真実としてさしつかえない。
   例)法然上人の見仏三昧など

●提示する理解

ところが、これではやはり釈尊そのものの直説ではないということをただただ認めるだけになっている。これで納得いかないで、他の何かを求める者もいよう。
そこで提示するのが、「三昧中の説法、法身(または報身)による開顕」という説である。
 
簡潔に説明すると、
・紀元前後ころの比丘か在家かは分からないが、三昧通達者が、
・その三昧中において、
・法身または報身とされるような釈尊から、
・この時期にはじめて開顕されたもの。
ということである。

 

①法身または報身の釈尊(生身の釈尊と神秘的釈尊)

ここで鍵となることの一つが、
「法身または報身の釈尊(神秘的釈尊と呼ぶことにする)」という話である。
通常、釈尊というときには2500年前に実在した釈尊のことをいう。生身の釈尊である。
そして、経典とは、この「生身の釈尊が説いたもの」のことを言う。

ところが、生身の釈尊が80歳にて入滅したとき、
釈尊は消滅したのかどうかという話になり、
かなり早い段階で「色身・法身」という説が立てられたものである。
色身とは、この生身の釈尊のことをいう。
そして法身として言われたものが、「釈尊の本体のようなもの」である。
よくある受け止め方としては、理そのものみたいなイメージであろうか。
肉体に喩えていえば、実際の身体と、その本体の遺伝子がある。
身体が死んでも、その遺伝子は残り続けたりするようなものと思えばわかりやすいか。

ともかく、かなり早い時期に、
色身の釈尊と、法身の釈尊があるという理解が示されたということがある。

これが、後に展開した大乗ではさらにこの話が発展して示されることになり、
「法身、色身」というシンプルな構図だけではなく、
「法身、報身、応身」など様々な構図によって説かれることになる。
生身の仏だけではなく、神秘的な仏が多様に説かれることになるのである。

これについて、
・生身の釈尊と、
・神秘的釈尊がある、
というような見方で一旦表現しておくことにする。
これが一つ目の鍵、
「生身の仏だけという認識だけではなく、それ以外にも
例えば、生身の仏と、神秘的仏があるといった認識もある」という話である。
そして、ここではこれを真実として理解しうるという話をするものである。
  
そこで、生身の釈尊からの説法だけではなく、
神秘的釈尊からの説法もあり得てよいのではないかという話である。
生前は、生身の釈尊から説法が行われたが、
死後は、神秘的釈尊からも説法が行われたということを提示するものである。
「三昧/神通力に通達した者が、
 その三昧中において、神秘的釈尊から説法を受け、それを阿難に仮託した」
ということを提示する。

 

②宗教開示説

もう一つ、ここで鍵となるのは、
「宗教は順次開示されていくという説の明示」という話である。

もし三昧者が神秘的釈尊から説法を受けたとして、
ここで真っ先に出てきそうな疑問の最たるものが、
「何故、入滅直後からではなく、そのタイミングから始まったのか」
「何故、その大乗経典的内容について、生前に明かさなかったのか」
 (※他には「なぜ阿難に仮託したのか」など。)
といったことであろうと思うのである。
そこでこれについて「宗教は順次開示されていく」ということを提示する。

この大乗経典を許容しがたいという理解の背景には、
「宗教の説示は、その開祖の段階において成されたものが全てである」という理解があり、
さらにこれを紐解けば「開祖は(必要な)全てを言い表す」という理解がある、
といえるのではないだろうかと思うのである。
そこで宗教というものは、
開祖が説いた段階で、全てが完結する、という認識、そのことは言い換えれば、
その後変化するというようなことは有り得ない、という認識が一般的である。

そこで仏教においても、釈尊の説示であることが絶対必要な条件とされ、
そのことはさらにいえば仏教成立時の生身の釈尊の説示であることが求められる力があり、
その数百年後に出現した大乗経典の正当性が問われているものである。

これはもちろん、旧来の仏教側からは特にそう言われることが当然と言えるが、
その後に出現した大乗側には、これを乗り越える論理が実は存在するのである。
これが「教えは順次開示されていく」という論理である。

(1)教相判釈を根拠として

特にこの発想は、一般には「教相判釈」というものにおいて見られる。
教相判釈とは、中国に膨大な仏典が流入し、
その膨大な経典に対して解釈体系をもってこれを整理したものである。
仏教というものは元より対機説法のものであって、
その教えに浅深があったり、人によって別に説かれたりして多様に説かれる傾向があるが、
大乗経典はより一層この傾向が強く、実に多様なる内容の経典があったのである。
これについて、解釈体系を打ち出して整理しようとしたものであるが、
そこにおいて、浅深による分類がついて回り、
膨大な経典に対して、それらを並列に並べることなく、
浅深をもって、階段状に位置づけることになるのである。
さらに言えば、教えについて、浅深によって階段状に存在するものであり、
それゆえに「段階を追って、順次説かれた」として時間進行的に経典を整理するものも現れたのである。天台智顗の五時八教判が最たる例である。

この教相判釈の理解からいえば、
「教えは順次段階をもって説かれるものである」という話になる。
これは確かに日常においては、かなり認められることで、
いろんな教育において、「順次段階をもって教えていく」ということは非常に本質的である。

そこで、大乗経典までを採用して成立した大乗仏教側の理解からは、
「教えは順次段階をもって説かれるものである」という論理が示され得るのである。

ところが、大乗経典はそもそも釈尊の説示ではないのであって、
順次段階も何もないということになろうかと思うが、
ここで、先程の「①神秘的釈尊」が関係するのである。
「①神秘的釈尊」と融合して考えれば、
・生身の釈尊は、生身の段階で説くべきものを説いて去って、
・死後の釈尊において、神秘的釈尊として説くべきものを説いた、という
「順次開示」的な理解が成立してき得るのである。

そこで大乗仏教側から見れば、
「①神秘的釈尊」と「②順次開示」の二つの論理から、
上座部経典/大乗経典は単に、
「教えは順次開示されるものであって、
 生身の釈尊は、生身の段階で説くべきものを説いた=これが上座部経典であり、
 入滅によって、神秘的釈尊の段階で説くべきものを説いた=これが大乗経典である」
という理解が成立しうるのである。

 (2)「法華経」を根拠として(経典に根拠を求める)

ところが、ここで「教相判釈」などは人間の解釈で作られたものであって、
やはり仏説そのものには紐づけられていないではないか、という意見もありえよう。
そこで、これについて答えるに、「法華経」に典型的にこのことが説示されている。

ここで、一応断っておくが、上座部経典側にその根拠がある必要はない。
大乗経典側にその根拠があれば十分である。
例えば、方便である仮の説明をしていたとして、後に真の説明をしたとする。
そこでその以前の説明において、これは全てではないという説明はなくとも、
その後の説明で、その事情が明かされれば、その論理が全てを内包する。
これと同じである。

そこで大乗経典にその根拠があれば十分なのであるが、
代表的な経典として「法華経」に、このことが特に明示されている。
「法華経」によれば、それまでの説法は法華経に至るための階段であった、
もっと明示して「上座部」は「大乗」に至るための階段であったと説かれていることで有名である。
このように「法華経」は「順次開示」を明確に説いているものであり、
そもそも先程の教相判釈も法華経を代表とした経典の説示により、
順次開示説となっているものなのである。

そして特に「法華経」においては、
単に順次開示を示してあるどころか、
まさに「①生身と神秘的釈尊」についてまで記しているのである。
その説示において、
「実は生身の釈尊は本体の釈尊が身を現したものであって、
 その生身の釈尊は入滅するが仮のものであって、
 本体の釈尊が永遠に存在して説法しているのである」といったことが説かれている。
これはまさに「①生身と神秘的釈尊」を説くものである。

このように経典に根拠が示されている。
ただし大乗経典側であるので、これを採用するかは、
科学的に判明でもしない限りは、もはや信の問題である。
逆にいえば、信があれば、
「①神秘的釈尊」と「②順次開示」の二つの論理から、
「教えは順次開示されるものであって、
 生身の釈尊は、生身の段階で説くべきものを説いた=これが上座部経典であり、
 入滅によって、神秘的釈尊の段階で説くべきものを説いた=これが大乗経典である」
という理解が成立しうるのである。

問題:大乗経典の出現順について

しかしここで、さらに新たな問題が一つ浮上するかもしれない。
それは、「順次開示される」ものであるということであるが、
その論理を一貫するならば、大乗経典のそれぞれについても適応されるものでなくてはならず、
大乗経典の登場順もまた順次開示に従ったものなのであろうか、という問題である。

大乗経典は膨大にあるが、
その主たる経典について、その出現順はある程度文献学的には言われているものがあるのである。
順次開示の論理を採用するならば、その論理について基本的に一貫性が求められると思うが、
その出現順において成立しているかどうかが問題となるであろうと思う。

そこでこれを眺めてみるに、
残念ながら、その経典に基づいて打ち立てられたようないずれの教相判釈とも、
その出現順は通じていないというような実態が見えてくるのである。
例えば「法華経」が典型的にわかりやすいが、
「法華経」では、その他のほとんどの経典について、段階的にそれ以前に説かれたものとされているが
実際には「法華経」より後に出現した経典は沢山存在するのである。
これについては、どのように考えればよいであろうか。

これについても、やはり問題とはならない。
例えば、天気について研究しようかと始めたとする。
そこで、天気には体系があり、色んな事象の順序などもあったりするが、
その研究において知られる順序は、その体系の順序とは別であるということが言える。

例えば、研究を始めた時期に、実はかなり特殊な事象にぶつかったとする。
すると、体系的順序とは別に、特殊なものから知ることになったりする。
或いは台風について研究していたとして、数カ月要したとする。
そして今度は、それが終わって冬の天候を研究したとする。
このようにしていると秋の天候を一旦飛ばしたりすることになる。

また或いは、歴史を勉強しているとして、
先に新しい時代を勉強してしまって、つまり結果を知ってしまってから、
過去の時代を勉強するということも有り得よう。

このように、知る過程の順序と、それの持つ体系的順序は必ずしも一致しない。
このようにして三昧者たちが説示を受けた順序と、
経典たちの持つ体系的順序とは、必ずしも一貫性を要するものではない。
別に江戸時代を知ってしまってから、平安時代を知ったりしうるのである。

●まとめ(その上でどう理解するか)

以上、あまり聞かない理解を提示した。
その要点は「①神秘的釈尊」と「②順次開示」の二つの論理にある。
この理解を採用するかは信によっており、信なくとも採用できるものではないが、
論理としては成立するものであることを説明した。後は各々の採用の問題である。
そこで再度、この理解についてまとめて示しておく。

まとめ
・そもそも教えは順次開示されるものである、ということが真相としてある。
   ↓
・生身の釈尊は、生身の範囲で説くべきことを説いて、
 →当時の弟子たちがこれを受けて、=「生身経典」が成立した。
   ↓
・釈尊は入滅により、ようやく本身の釈尊(神秘的釈尊)として在るという状態になり、
 神秘的釈尊が、本身の範囲で説くべきことを説くときがやってきて、
 →その当時の三昧通達者がその三昧中において説法を受けて、
  =「大乗経典」が次々に出現した。

※偽経と大乗、偽撰

類似の議論に「偽経」と「偽撰」の問題がある。
・偽経
大乗経典と呼ばれるものの中に、さらに「偽経」と分類されるものがある。
読んで字の如く「偽の経」ということになる。
大乗経典のほとんどは、非仏説とはいえインドにおいて出現したものであり、
その後、中国に渡って漢訳されたものなのであるが、
その中国でまとめられた「大乗経典」の中には、
インドで出現したものではなく、中国で新たに書かれたものというものが存在するのである。
これについて、中国においても既に古くから指摘されており、
こうしたものは「偽の経」として扱われてきたのである。
これが「偽経」である。大抵は、翻訳ではないがゆえに翻訳者についての記載がなく、「失訳」などと記されることから、「偽経」であることが判明するものである。
さらに言い換えれば「中国撰述」ということも出来るのである。
この「偽経」と呼ばれるものは決して軽視されるものではなく、
その後の信仰において他の大乗経典と同様程度に重視されたものもいくつも存在し、
実際の信仰において機能しているものもあるという事情が存在する。

このような「偽経」であるが、
他の大乗経典も「インド撰述」であるというだけで「非仏説」という点では同様であり、
ある意味では、すべてが「偽経」とも言えるものであって、
「インド撰述」か「中国撰述」かということで「偽経」としているだけのものである、と言える。

そこで、本稿にて提示した理解によれば、
「大乗経典」は「本身の釈尊から、三昧において説法されたもの」であって、「生身の釈尊から説法されたものかどうか」ということは問題ではないから、
この「本身の釈尊から、三昧において説法されたもの」という要件を満たせば、それがどこで撰述されようが、等しい価値のものであるということになるものである。
「インド撰述」か「中国撰述」かで「偽経」かどうかを判別するということは、そもそも全く無意味である。

・偽撰
これと同様の議論としてよく持ち上がるのが「偽撰」という問題である。
先の「偽経」が釈尊の説法である経について真偽を論じるものであったのに対して、
この「偽撰」とは僧侶の著作について、その真偽を論じるものである。

そこで、そのような「高僧の著作」においても「偽撰」がときたま存在する。これは文献学などによって明らかにされるものである。

ところがこれについても「偽経」と似たようなことが言えるものである。
もし「偽撰」であったとしても、
・誰かしら三昧などにおいて、その高僧に本当に託されて記す、
・偽撰してみたものであるが、その高僧がそれを(神秘的領域から)是認している、
というような事実があるとすれば、これは「真撰」に等しい価値のものであると言え、全く問題ではない。

末法燈明記
そこで取り上げたい著作に『末法燈明記』がある。
『末法燈明記』とは、
末法において無戒となるが、そこにおいては、
完全な出家というものは基本的に消滅し、
その代わりに不完全な出家が「名字比丘」として代替者となるものであり、
それが尊いことである、といった内容を記したものであるが、
最澄撰とされる「偽撰」のものであり、よく議論の対象となる。

この著作については、その後、
法然、親鸞、日蓮などの祖師が肯定的に引用し、その教義に入り込んでいるものなのである。
そこで単に「偽撰」としてしまえば、その教義に亀裂が入りかねないものなのであるが、
それら祖師方が引用しているところ、
・誰かしら三昧などにおいて、その高僧に本当に託されて記したもの、
・偽撰してみたものであるが、その高僧がそれを(神秘的領域から)是認している、
といったものであれば問題とはならない、という理解を私は提示し、
また私はこのように認識するものである。

このように「偽経」や「偽撰」であったとしても、
そもそも大乗仏教が、非仏説(非生身釈尊説)のものによって成立しているものであり、
「神秘的領域から、説かれたもの/是認されたもの」をのみ真説の要件とするものであって、
これさえ満たしていれば真説に等しいものとなるものであって、何ら問題ではない。
むしろ、このような理解でなければ、
「偽経」「偽撰」以前に大乗仏教ごと「非仏説」の前に崩落するものであって、
もし大乗仏教を認めるのであれば、この理解が成立するということになるのである。

2.発展:インド→中国→日本(日本仏教が究極)

先に「大乗経経典の出現順」について述べたが、これにはさらに上の/先のステップがある。
それがインド→中国→日本の過程である。

先には大乗経典が、その体系的順序とは関係なく、
次々に登場したものであることを説明して終わったものであるが、
天気や歴史の理解と同じように、その後は体系的順序に整理されることとなった。
それがインド→中国→日本という過程の正体であるという話である。

日本仏教を究極と見る
通常、仏教はインドにおいて発生したものであり、
インドを主体とした宗教である、という理解が特に現在は一般的である。
ところがこうではない理解も存在する、それが「日本仏教が究極」という理解である。

このような理解を初めて聞いた者には、単なるトンデモ理解に思われるかもしれないが、
これは古くから存在してきた理解であり、日本仏教側に存在することがある理解なのである。
例えば、釈尊はその遺言で「仏教は東の果てにおいて栄える」と説いたという説があり、
「日本は大乗仏教相応の地である」というような説があるのである。
これは昔から知られた説であり、日本仏教においてはそのような意識はかなり存在するものであった。
例えば、聖徳太子には南岳大師の後身説があるが、南岳大師はその死後日本の王家に生まれて、
日本において教えを流布することを宣言して入滅したとされる。これもこの説の顕れである。
また、天台最澄はその遺言にてわざわざ「日本に何度も生まれて仏教を伝える」と言い、
真言空海は「弥勒下生のとき高野山=日本に現れる」と言っているのもこれに一貫するものである。
また日蓮宗などはこれの極みであり、日本において法華宗の真意が開顕されるものであって、
日本こそは究極の仏教の開顕の地であることを主張している。
このように、日本仏教側においては、実は日本こそが仏教の極まる地であるというような理解が、
かなり根深く存在してきたものであり、このような見方が存在するのである。
ところが近現代において文献学・考古学などが重視されるようになる中で、
この理解は知らず知らず後退してしまい、マイナーなものとなってしまっただけのことである。

そのような日本都合の理解があってよいものか、と思われるかもしれないが、
二つ述べておく。
・一つは、
聖徳太子、最澄、空海、日蓮などの多くの重要人物がこれを示している、
ということがあるということである。
これを否定するものは、これらの高僧を否定することとなる。
この理解がマイナーとなって忘れ去られつつある現代からすれば、驚きかもしれないが、
本当にこのような理解が、普通にあったものなのである。
忘れられつつあって、皆さんが慣れていないというだけに過ぎない。
・もう一つは、
“「法華経」を根拠として“において説明したことと同じロジックにより、
日本仏教側からの論理があれば、それで十分であるということである。
あとはこれを採用するか、信じるかというだけの問題である。
論理としては、内包すると主張する側の論理があれば、足りるのである。

インド→中国→日本
そこで本当に「日本仏教が究極」と見たとき、
「大乗経典の出現順」以降のステップが説明される。
インドにおいて大乗経典が出現し、
実際にはその後、中国において整理されて、
それがさらに日本に流入したものである。
これについてどう理解すればよいか。

先にインドにおける大乗経典の出現順について既に説明した。
これを延長することで説明される。すなわち、
①初めて知っていく段階:順不同で知っていく。体系的順序ではない。
    ↓
②体系的に整理する段階:順不同で集まった情報について、体系的順序に整理する。
    ↓
③整理され体系が確立した段階:確立された体系的順序となる。
 
これがそれぞれ、
①インドでの出現順、②中国における整理、③日本仏教の発展順、に対応しているのである。
これがインド→中国→日本の過程であり、日本仏教が究極という真相である。


いかがでしたでしょうか。
勉強になったという方がおられましたら、
これからもこうしたことに専念していくために、
ご喜捨いただければ幸いです。

何卒、よろしくお願いいたします。


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