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地球に隕石とか小惑星が落ちてきて人類が滅亡するという小説(毎日読書メモ(496))

しばらく前に、凪良ゆう『滅びの前のシャングリラ』(中央公論新社)を読んだのだが、読んでいる間中、デジャヴ感がぬぐえず、どうにもむずむずする。
(この先ネタバレだよ)
スクールカースト最下位レベルの少年が、最上位少女と、かつて本音で話したときのことを心のよすがに、うっすらとした片思いを抱く導入部は痛々しく、読んでいて辛い。そして、突然、1ヶ月後、小惑星が地球に墜落してきて、人類は滅亡すると報道され、自暴自棄になる人々。
星が降ってきて…みんなひとしなみに死ぬ?
それって…新井素子『ひとめあなたに…』(1981年に新書版ノベルとして刊行された時の版元は双葉社、その後角川文庫、現在は創元SF文庫)まんまじゃん! 『ひとめあなたに…』は巨大隕石が1週間後に墜落してくる、と唐突に報道されて、社会インフラが一気に止まった後、江古田(東京都練馬区)に住む圭子が、西鎌倉(神奈川県)に住む恋人の朗に一目会いたくて、自力で西鎌倉に向かう、というロードノベルだが、『滅びの前のシャングリラ』はもう少し猶予が長い。そして、その1ヶ月ネットつながらないとかありえない世界を生きるわたしたち。1981年の世界では、電話線がつながり、電気が通じ、水道が出ることすら、冷静に考えればすごい(1週間後に自分を含めた全員が死ぬだろうとわかっている世界で、インフラのメンテナンスをし続ける人がいるのかという)ことだが、『滅びの前のシャングリラ』が刊行された2020年を生きるわたしたちは、たとえ1ヶ月後に小惑星が落ちてきて地球生命がすべて滅びるのだとしても、滅びるその瞬間まではネット上でコミュニケーションを取り続けるのだろう、というところが、仮定の世界とはいえ、時代だなーと思った。目に見えない小人がネットをメンテナンスし続けるのか?
『滅びの前のシャングリラ』と『ひとめあなたに…』に連関はあるのか?、と思って調べてみたら、作者インタビュー(ここ)でこう言っていた。

「終末ものが書きたいですと伝えた時に、編集さんから読んでおいて欲しいと言われた小説が、新井素子さんの『ひとめあなたに…』と伊坂幸太郎さんの『終末のフール』でした。どちらも小惑星の衝突で地球が滅亡する話なんですが、いつ到来するかによって、物語は変わってくるんですよね。
 新井さんの小説は小惑星がやって来るのが一週間後なので、登場人物たちは激情に身を任すことができる。伊坂さんの小説は、八年後に小惑星がやって来ることが決まった世界の五年目の話なので、みんなが激情に駆られていた時期は既にもう昔で、今は静かな諦観に覆われている。私が直感的に選んだ一ヶ月後という設定は、激情を保ち続けるには長くて、落ち着くには短すぎる。中途半端なんですよ。たぶん、私はその中途半端さが書きたかった。

https://shosetsu-maru.com/interviews/authors/storybox_interview/89

なるほど、小説の構想は先にあって、でも執筆にあたって、『ひとめあなたに…』と、伊坂幸太郎『終末のフール』(集英社、のち集英社文庫)(ちなみに単行本刊行は2006年)を読んでいるのか。
『滅びの前のシャングリラ』を読んでいる時には『ひとめあなたに…』のことばかり思い出されたが、『終末のフール』もそういう話だったか(読んでいたのにまるっと忘れていた)、ということで、両方の本も久しぶりに読んでみた。昔読んだ本を久しぶりに読むと、気分は同窓会だ。

星は、1週間後に落ちてくるのか、1ヶ月後に落ちてくるのか、8年後に落ちてくるのか。8年あっても、その運命から逃れることは出来ないのか。強靭なシェルターとか、地球脱出とか(ただ脱出できればいいだけでなく、宇宙空間で自給自足して生き続けなくてはならない)、8年では実現不可能と言う大前提。
『終末のフール』は、星が落ちてきて、人類が8年に滅亡するとわかってから5年後が舞台で、当初は自暴自棄になって、社会が壊滅状態になったあと、諦念が人々の間に広まってきて、社会インフラや食品供給網が緩やかに復活している、そんな時代。人々は怯えながらも、もしかしたら隕石のコースがはずれるのではないか、と、ひそかに期待したり、そんなことはありえないと思い直したり、でもじゃあその日までをどれだけ大切に生きることが出来るんだろう、と考察したりする生活。確かにこれは1ヶ月後、1週間後に落ちてくる小説とはスタンスが違う。
伊坂幸太郎の小説は、理不尽な暴力により愛する人を失った人が、絶望し、嘆き、でもそれだけでなく何ができるのか、ということを一つの重要なモチーフとしていることが多く、『終末のフール』でも、8つのエピソードの中で、誰かを喪った人の苦しみと反撃が幾つも描かれている。
突然1週間後に世界は滅亡する、と言われた『ひとめあなたに…』の世界がやはり一番カオス的で、読み返してもやはり戦慄する(読んで40年近くたつ今まで、決して忘れることなかった)「世田谷 由利子 あなたの為にチャイニーズスープ」の章とか、笑いながら死んでいった「目黒 真理 走る少女」の章とか、極限状況で、人は何を思うかのワークショップのような小説であった。
長すぎも、短すぎもしない極限状況を描きたいという凪良ゆうの描く、地球滅亡まで1ヶ月の世界は、刹那的でもあり、継続的な希望も感じさせる、不思議な世界。何人かの主要登場人物たちは、大混乱の状況下、広島から東京に行き、東京から大阪まで戻り、ひと、そして自分の弱さや浅ましさと直面しながら、最後の日にしたいことを明白に自覚し、最後まで(というか最後だからこそ、という気持ちなのか)よりよくあることを意識する。だからこそ、この小説タイトルがあるんだな、と読みながら強く実感した。
本屋大賞をとった『流浪の月』がわりと苦手だったので(感想ここ)、あんまり積極的に次作を読もう、という気になれずにいて、やはり、読後感的にひっかかりはあったが、自分が思い付けない世界を提示してくれるところに小説の醍醐味があることもまた事実であり、今年2回目の本屋大賞を受賞した『汝、星のごとく』(講談社)もまた、ふと思い出したときに読むのかもしれない。

話はがらっと変わるが、ここ数ヶ月、他の本を読んでいる合間に、ちびちびと劉 慈欣『三体』(早川書房)を読んでいるのだが、これは、隕石ではないけれど、超ロングスパンで人類滅亡の可能性が提示され、今すぐ死ぬわけではない現代に生きる人が、運命にどう抗うかを書いている小説だという意味では、意外と『滅びの前のシャングリラ』『ひとめあなたに…』『終末のフール』に通じるものがあるかもしれない、とか、ぼんやりと考えてしまったりもする今日この頃である。
『三体』はまだII部の途中なので、今後の展開はわからないが、生物の本能として「生き延びたい」という気持ちが強く出ているところは、まぁ『滅びの前のシャングリラ』『ひとめあなたに…』『終末のフール』とはスタンスが違うのだが、生きている自分が大事、という気持ちが、文明を進化させているのかねぇ、と、突然大局的になって、このまとまらない論考を終りますよ。

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