ENDEAVOUR PROJECT 詩的履歴書
「詩人」でありたいのであれば、つべこべ言わずに「詩集」の一冊でも編まねばならない。
「詩人」とはなにか、といった話をしていけば、「詩集」なんか出さなくてもいいのだという話になるのかもしれませんが、それではなにも前に進まない。
どんな理由があろうと「詩集」をつくりあげるというのがいまの僕の目標です。
※この記事はプロフィール記事としてアップします。
詩を書きはじめたのはいまから10年以上もまえになると思います。
ノートに「詩」のような言葉を延々と書いては、どうしたらうまく書けるのだろうと、萩原朔太郎や立原道造やらのあとを執拗に追いかけて、その秘密に迫ろうとしてきました。
それでも詩はつかまえることができず、ついに友人とともに詩の練習帖をつくることにしました。
それが、「季刊26時」という同人誌でした。
3人ではじめた同人誌でしたが、3人とも誕生日が26日であったことからその名がつけられました。真夜中はとくに、人を詩人にする時間でもあるので、この「26時」というネーミングは詩の同人誌としてぴったりだと思いました。
しばらくはこの「季刊26時」を中心に活動をしていました。
同人誌「季刊26時」創刊
2011年7月26日。初期同人メンバー、佐々木蒼馬、コンノダイチ、田村大介の三人で同人グループ「季刊26時」を結成。
いまとなっては恥ずかしいばかりですが、「詩」についての企画と、お題を決めて書く「題詠」と、自由に書く「自由詠」という項目をたてて、毎回製作をすることにしました。はじめての企画は、「一旦、詩の話は置いておこう」。「詩」でないものの話をしながら、「詩」の話をするというものでした。各々で散文を書きました。
「季刊26時」vol.02:00
2011年10月26日。
第2号の企画は「次の駅まで連詩しよっか」という連詩企画。それも、「しりとり」をしながら連詩をするというものでした。遊びたかったのですね。
この第2号を発行したときに、はじめて第13回文学フリマに出展しました。
このときに出会った人たちとはいまも交流が続いています。
「季刊26時」vol.03:00
2012年2月26日。
第3号の企画は「一旦、詩の話をしておこう」です。3号になってようやく詩について真っ向から話そうという鼎談企画でした。テーマは「詩とポエム」のちがいについてでした。
「詩とファンタジー」(かまくら春秋社 2012年3月)に詩「アダジオ」掲載(絵:味戸ケイコ)
いまでは信じられませんが、以前は立原道造に導かれてファンタジックな甘ったるいものを書いて「詩とファンタジー」に投稿したこともありました。このときにはじめて大きな書店にならぶものに自分の詩が掲載されて、さらに味戸ケイコさんという有名なイラストレーターの絵の上に載っているという贅沢を味わって、胸が高鳴りました。いま読むと恥ずかしすぎる作品です。
「季刊26時」vol.04:00
2012年4月26日。
第4号の企画は「リーディング・ミュージック」。僕が詩を書き、3人で朗読したものを田村が作曲した作品「世界に音楽を鳴らす心臓を」。冊子には譜面を載せて、音源を聴きながら譜面を追いかけることができるようにしました。凄まじく前衛的な試みだったと思います。
第14回文学フリマ(東京)出展。
「現代詩手帖」(思潮社2012年6月)の「詩誌月評」欄で「季刊26時」が紹介される。
「季刊26時」vol.05:00
2012年10月26日。
第5号の企画は「紀行26時」。ある町に3人で出かけていき、タイマーが鳴ったところで詩を一篇書き上げなければ先に進めないというゲームです。今回は谷中・根津・千駄木(通称:谷根千)をめぐる紀行でした。そこで書かれた詩を、旅雑誌のようなデザインで掲載しました。もう一つの企画は「寄稿作品・投稿作品」の掲載です。総勢12名の作品を掲載し、かつてない大ヴォリュームの冊子になりました。
第15回文学フリマ(東京)出展。
田村活動休止。
「季刊26時」vol.06:00
2014年4月26日。
コンノダイチと二人での活動を再開。第六号の企画は「モザイク・ガール」。サイコロによってステータスを決めた女性「アキラ」をつくりあげ、そのイメージにしたがって言葉を二人で書き連ねていった合作。紙面を大胆に使って、まさにモザイクのように仕立てていった作品。現実と虚構、リアルとネット、佐々木とコンノが入り混じった作品です。
第18回文学フリマ(東京)出展。
「季刊26時」vol.06:30 Poem Only
2014年10月26日。
企画作品込みの第7号の前に、詩作品だけで勝負していこうとした手製本の小冊子。
第19回文学フリマ(東京)出展。
「季刊びーぐる」(澪標 2015年7月)詩「帰途」入選
「季刊びーぐる」(澪標 2015年10月)詩「あのときはどうして」入選
2015年の1年間は個人的に詩を書いて、詩誌に投稿するということをしていました。「帰途」「あのときはどうして」ともに細見和之さんに選出していただきました。「帰途」の評で「どんどん書き続けてほしい書き手である」とおっしゃってくださったことが、いまでも原動力になっています。
「26時」vol.06:50 Poem Only
2016年5月1日。
まだ「7号」はできない。ということで、こちらも詩作品のみの手製本。ただし、この冊子はかなり凝った作りになっている。テーマは「Just get through the goddamn day.」という映画「シングルマン」の主人公が鏡に向かって言うセリフです。「この一日を生き抜け」という意味ですが、その言葉が通奏低音になって、すべての作品がつながっています。そして、連詩も行い、ところどころにそれらが差し込んであり、連詩の断片と、各々の作品とも奇妙な共鳴をする作った自分たちも驚いた小冊子です。
↓こちらでvol.06:00~50までのデジタル版を購入できます。
第22回文学フリマ東京出展。
noteに詩作品をアップ
2018年9月2日。
活動の拠点をnoteに移行しました。時代は変化して、こうしたネットの媒体でも十分に詩作品が読める環境が整いました。さらに、部数の少ない冊子形態よりも、多くの人に閲覧していただけるからです。詩も、こうして環境の変化に置いていかれてはいけないと思い、現代詩人たちがあまり活動の拠点とはしていない場で活動することにしました。同時に「詩的生活宣言」というエッセイも書くようにして、これからの詩のありかたについても訴えていこうとしています。
はじめの記事「詩は、ファッションである」は多くの方に読んでいただけて、賛否がありましたが、「詩」は、単純に「言葉」なのか。という疑問視もそこにはあります。読む媒体というのも非常に重要なものだと思うのです。フォントや紙面構成にも、「詩」はあるのではないか。「見せ方」にも十分気を使わねばならないように思えて仕方なかったのです。そこで、単純なテキスト形式でベタ貼りするのではなく、画像として、しかもスクロールして読みやすい形式を模索してここではアップしてきました。
詩の「行分け」はリズムを生みます。紙面で読むのと、スマホやタブレットの画面をスクロールして読む感覚は異なります。紙面用のスタイルと、スクロール用のスタイル、どちらも考えていかねばならない問題です。そこで、僕は「連ごと」にスクロールして読む形式にあえて挑戦してみました。これからもどうすることがいちばん「詩」たりうるかということを考えていきたいと思います。(このあたりについては詩「きみと猫と、クラムチャウダー」の記事で書いています。)
「26時」の活動もネットでの活動にシフトしていきました。コンノダイチの活動、「26時」としての活動は「Dead Poets society 26」の記事にて紹介しておりますのでそちらもご覧ください。
また、6月3日より、ツイキャスにて「蒼馬の部屋」をはじめました。いま気になっている詩人の詩作品を朗読する放送をしています。僕の声はよく眠れるとの噂があるので、それならば、寝る前に静かな時間をご提供しようと思ってはじめたものです。のみならず、かねてより朗読が上手になりたいと思っていたので、その練習でもありますので、眠るまえにぜひお越しください。
毎週水曜日・日曜日 22:00〜
note立ち上げ以降、新作の詩作品はこちらにアップするようにしてきました。詩集『ENDEAVOUR』(仮)制作を目指して少しずつ書き溜めてきました。一篇一篇時間をかけて書いたものです。それぞれ一か月、二か月かけて書いています。時間と質は比例はしませんが、詩とはなにかということについて考え、詩のために生活を捧げて書いています。「詩的生活」とは、そういうことです。すべての人生は「詩」のためにあるということを自覚すること。いつだって、どんなときも「詩」を書くために生きてきた。詩は、言葉の宇宙への果てなき航海と冒険だ。だから「ENDEAVOUR」。この旅はずっと続く。その行きつく果てがどこなのか。一緒に見ていただける方は、先行公開用としてマガジン版(有料)で詩集に掲載していく作品を発表していきますのでフォローしていただけると幸いです。