タコが悪口なもんか
歩いていたら『良い加減にしろ、このタコ』という怒鳴り声が耳に入ってきた。令和の時代に、なかなかお耳に掛かれない、貴重な罵詈雑言である。
思わず声がする方を振り向くと、若い後輩社員らしき男が、クソ味噌に叱られている。彼は、良い加減にしないといけない程、悪い事をしたのだ。上司の顔色を伺うに、7回は同じミスをしたであろう剣幕である。後輩社員のストレスメーターが、急上昇しているようだ。僕もよく、上司に怒られたので分かる。
僕は、月末の締め業務が、どうしても出来なかった。何度怒られても、なぜか強烈に、やりたくないのだ。仕事において、締めが、いかに大切かは分かっているつもりである。が、嫌なものは嫌なのだ。その代わりと言っちゃあ何だが、別の仕事はする。山ほどする。売上も稼ぐし、誰もやりたがら無い仕事もする。さらには、誰かのミスを補ったり、率先して先頭を走る。なぜなら、偉そうに出来るからである。締めは、偉そうに出来ない。面白くない。どうにも、人のケツは拭けても、自分のケツは拭けない性分なのである。
月末が近付く度に、こっぴどく怒られた。何年経っても、やりたくない。やる気が起きない。それでも怒鳴る上司を見て『よくもまあ、飽きもせず、この熱量を保てるな』と思っていた。そんな態度で話を聞いていたので、マジで良い加減にして欲しかった事だろう。ついには『お前は頭がおかしい』とまで言わせた事がある。上司からの罵詈雑言に傷付いた僕は、同期や後輩とすれ違う度に『おれ、頭おかしいらしい』と、言いふらしたものだ。
この後輩社員、あの頃の僕と、同じような顔をしている。分かる、分かるぞと、勝手に共感をしながら眺めていた。
人には、得手不得手があるのだ。僕も、頑張って自分の能力値を、綺麗な六角形にしようとした時期もあるが、いくら頑張っても、出来ない、やりたくない事はある。社会には、それを許さない、認められない上司が多くいる。彼ら曰く『オレらの時代は、そんな甘くなかった』らしい。それを聞く度に『偉いねぇ、頑張ったね!』と思っている。
『良い加減にしろ、このタコ』
久々に聞くと、凄い言葉である。悪口のつもりで使っていることは伝わるが、ミスをした自分に対して『タコ』と当てつけられても、正直、意味不明である。実際問題、居酒屋で通された『タコわさ』を観察してみても『ああ、おれはダメな奴で、このタコと同じなんだ』と、落ち込んだ試しがない。『うまそ』としか思わないし、最近はめっきり価格高騰し、珍しい食材ですらある。そんなタコの何が悪口なものか。
この上司は、何も分かっていないだろう。納得のいかない存在に、感情が抑えられないだけなのだろう。僕らは、お前じゃない。ダメだ、なんか昔の事を思い出して、イライラしてきた。あの上司を捕まえて、言ってやりたい。
『タコ、かっこ良いだろ』
最初に言っておくが、フォルムの事ではない。フォルムの事だけ言えば、悪口に使えるかどうか以前に、怖い。まず構造が怖い。頭部に目が2つの為、変に人間味がある。それが非常に怖い。顔の下から、腕が8本は、流石にバケモノ過ぎである。
さらに、聞いたところによると、あのいっぱいある腕の中に、脳があるらしい。怖い。わからないが、腕が自ら考えて、動いているのだろうか?だとしたら、その腕の感覚が、脳と直にリンクしているのか?だとしたら、そこは、ちょっとだけエロいな。まあ、他にも、心臓が3つ合ったり、青い血が流れていたりするので、地球外の生き物な事は確実である。
『いい加減にしろ、この地球外の存在め!』という事なのであれば『このタコ!』は正解だが、それは悪口じゃない。褒め言葉である。
そもそも、こんな窮屈な時代になのであれば『タコ』を悪口に使う事すらおかしいと、すべきである。そろそろ『タコ愛護団体』が抗議すべき議題である。
だいぶ話が逸れたが、何度も同じミスを繰り返す『バカ』に言った悪口だとしたら、タコを知らないお前の方がタコである。
タコは、出産された直後から、単独で生きることになる。その為、生体になれる確率は、かなり低い。1人幼体で生き残らなければならないタコは、自分の体を透明にした。そして、生き残った個体は、様々な物に擬態する方法を身に付け、次の子孫へと命を繋ぐ。
お前はどうだ?1人で行動もせず、後輩と動いている。失敗には怒るくせに、寂しくて1人で昼メシも行けない。この時点で、お前の負けである。
タコは、もともと貝類らしい。数百年前に、大胆にも殻を捨て、軟体を手に入れた。生存戦略で、ガードを捨て、柔らかくなるなんて、GAFAMのCEO立川も、驚愕しているに違いない。
それに比べて、お前はどうだ?悪口の意味も考えず、当たり前の様に『タコ』と罵る。知能指数が低い、まさにお前がタコである。タコめ、タコタコ、お前はタコである。
とまぁ、脳内論破でストレス発散を決めたところで、僕は家路に付いた。
しかし、タコは、気高いな。僕は、生き残って行く過程で、殻を捨てるられるだろうか。
エッセイを書く中で、自分の殻を捨てるように心掛けてはいる。偉ぶって、情報教材ビジネスに逃げてしまわないように、吐き気を催しながらも、自分の惨めさ、しょうもなさを、惜しみなく出そうとはしている。
しかし、気が付いたら、またカッコつけて、自分を守ろうとしている事が、山ほどある。当然の様に、自分にハッパをかける為と言い虚勢を張り、自分の弱さを隠し、大きく見せるように働きかけている。
僕は友達が居ない。マジで居ない。欲しいとは思いつつも、どうすれば友達になれるのか、どこからが友達なのか、などごちゃごちゃ考えてしまい、友達が出来ない。寂しい。
人間関係が上手な、嫁と相方に、友達の作り方を相談してみた。すると『何も興味のないコミュニティに参加してみろ』と言われた。
なので、シンプルに『は?』と言い返した。
それも聞けば、エッセイ化禁止、エピソード化禁止らしい。意味不明である。そこで起きる摩訶不思議な人間模様を、エッセイに、エピソードに、ネタに昇華するのの、何が悪いのだ。
食い下がってみると、だから友達が出来ないんだと言われた。
なので、シンプルにチョップした。
自分でも初めて知ったのだが、強みや話題を何も持たず、丸腰で人とのコミュニケーションを取った事が無い。『こんなおれは、必要とされない可能性がある』と感じてしまい、尻込みしてしまっているようだ。ソレをしなきゃいけない、考えるだけでゾッとする。友達を作るって、なんて難しいんだ。
これが、常に去勢を張って来た報いなのだろう。
あの上司と同じである。
タコは『狡猾』な生き物と、忌み嫌われることがある。僕からしたら、その姿は自分の戦い方を理解しているように見える。
タコ、カッコいい。
タコは今日も、狡猾に海を渡る。