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本の持つ力。#旅をする木


鮮やかだった窓からの景色は、今ではずいぶんと色味を減らし、ぼんやりと白いフィルターがかかっています。
山と空の境目は、白い雪です。


秋が終わり、冬になりました。

寒くなると、読みたくなる本があります。
それは、この言葉を思い出すからです。

寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ。

「アラスカに暮らす」


『旅をする木』。
アラスカに魅せられ、美しくも厳しい自然と動物たちの生きる姿を撮り続けた、星野道夫さんによる著書です。


私は、読書家と言えるほど本を読んできたわけではないし、たくさんの本を持っているわけでもないけれど、どれか一冊だけ手元に残すとしたら、これかもしれない。
幾度もくり返し、読んでいます。


この本を開き、やさしく語りかけるような星野さんの言葉に耳を傾けるとき、今いる時間と場所を忘れるような感覚をおぼえるのです。



出会ったのは本当に偶然で、星野さんについての知識も全くなく。
ただ、そこにある星野さんの文章によって、そのときの私の心は救われました。

そして、本当は冬だけじゃない。
日々の暮らしの中で、どれだけこの本の冒頭の一節が頭に浮かぶことか。


空を見上げるとき。
植物の生命力を感じるとき。
季節の変化に気づくとき。

人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。

「新しい旅」

人の心の深さと浅さ。
あぁ、本当にそのとおりだ。
これほどに、日々の私の心の動きを捉えた言葉はありません。



読むときによって、心の琴線に触れる部分が違う、というのは読書にはよくあることです。


遥か遠くアラスカの自然と動物たち、そこに生きる人々に思いを馳せ、確かに流れる「もうひとつの時間」を感じとること。
以前、不安と不満でがんじがらめになって、どこにも進めない気がしていたころの私は、このことに救われる思いがしました。

ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識的できるかどうか、それは、天と地ほど大きい。

「もうひとつの時間」



そして今回、全てをまた読み通して見えたものは、ただただ、人の生き方だったのです。

自然はいつも、強さの裏に脆さを秘めています。そしてぼくが魅かれるのは、自然や生命のもつその脆さの方です。

「春の知らせ」

人間も自然の一部であるからこそ、これは大自然の話であると同時に、人を思う話。
これこそが、私にとって星野さんの言葉が力をもつ所以なのだと気付いたのです。

大きな自然を前に人間のちっぽけさ、とか、悩みの小ささを感じるとか、そういうことではなく。
その厳しい自然の一部として存在すること自体が奇跡のようなことであり、だからこそ愛しく思う。

そのちっぽけな奇跡に対する愛、友人にも、年長者にも、子どもたちにも、同じように注がれる星野さんの目線のあたたかさこそが、この本すべてに流れるものだと感じるのです。


アラスカで、ガラパゴスで、北海道で…。

星野さんのまっすぐな目をとおして、私も息を潜め、出会う人たちの目を覗き込み、物語に耳を傾ける。

人との出会い、その人間を好きになればなるほど、風景は広がりと深さをもってきます。やはり世界は無限の広がりを内包していると思いたいものです。

「ガラパゴスから」

人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根元的な悲しみは、言い換えれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている。

「アラスカとの出合い」


私の心に響き、震えさせた言葉を書き出すと、正直きりがないんです。


そしてまた、ずるいのは、池澤夏樹さんによる解説です。(ここは敬意を込めて、ずるい、という言葉を使わせてください。)
解説を読んで、こんなに泣けることがあるだろうか。

幸福になるというのは人生の目的のはずなのに、実は幸福がどういうものなのか知らない人は多い。世の中にはこうすれば幸福になれると説く本はたくさんあっても、そう書いている人たちがみな幸福とは限らない。実例をもって示す本、つまり幸福そのものを伝える本は少ない。つまり、本当はだれもわかっていないのだ。

「いささか私的すぎる解説」

池澤さんは、「書物というものの最高の機能は、幸福感を伝えることだ」という自身の考えから、この星野さんの本について解説しています。
その星野さんの生き様への目線が、あたたかく熱く、本文にまたもう一度戻って読みたい、という気持ちにさせてくれる。

そう、星野さんこそが、この本こそが、旅をする木、そのものなのかもしれません。

(実は私、またここで池澤夏樹さんという新しい出会いを得て、彼の著書も読み漁った時期もありました。)


そして、やはりそうだ、とまた思う。
時々このnoteでも書いている、自分の思い。


書く、という表現方法は、それだけで成り立たないんだなぁ、とまた同じことを思うのです。
人の心に響くものを書く、ということは、感性や感覚だけでも、逆に技術だけでもどうにもならない。

やはり、真剣に生きている人だけが文章に力を持たすことができるのだ、という気がします。


私は、写真より先に、星野さんの文章に触れました。

アートに言葉なんていらない、は間違ってはいないかもしれないけれど、言葉だからこそ伝わるものってありますよね。

そして逆を言えば、生きた言葉を持っているからこそ、写真やアートは人の心を動かすのかもしれない、とも思うのです。
もちろん、一見、言葉そのものでできている文章でさえも。



結局、私にはまだこの本一冊についてすら、これ以上うまく伝えることができず、もどかしい。
でもだからこそ、またこれからの人生の中で、何度も読み返すのでしょう。

それでも、これをきっかけに、またこの本が誰かの大切な一冊になったなら。
それほどうれしいことはないな、と思っています。





読書感想文、真剣に書いてみました。

長くなりましたが、読んでいただいてありがとうございました!



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