
お気に入りの哲学 知るとは(前編)
注:本記事は哲学をほんの少しかじった素人が書いたエッセイである。
哲学者によって細かい解釈/捉え方が異なることが面白い。あなたの解釈と齟齬があっても「なるほどそう考える者もいるのか」とあたたかい気持ちで閲覧してくれると嬉しい。
大学時代、ほんの少しの興味で哲学の授業を選択した。
一般教養の選択科目のひとつだったけど、とても興味深く印象に残った。
西洋哲学者で有名なあのプラトン。
プラトンといえば「イデア論」ではなかろうか。
正直、イデア論そのものよりもイデア論を説くプロセス、「洞窟の比喩」が素晴らしい!この洞窟の比喩は、「国家」のあり様を示している。このことに深く共感を覚えた。
※本記事では、イデア論については特に記述しない。興味がある方はぜひ下のタグから他のnoteユーザーの記事を参照してほしい。
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まずは洞窟の中を想像してほしい。地上から幾分か下がった場所にある暗いところ。
その洞窟のなかにあなたは、まるで囚人のように手足に枷をつけられ、他人と並べられて、壁に向かい合うように座らせられている。
背中には壁があり、振り返ることはできない。
そんなあなたの後ろでは焚火が燃やされ、その前を、
例えば「馬」や「猫」といった”絵”が通り過ぎていく。
絵が通り過ぎるとき、囚人たちが見ている壁に、「馬」や「猫」が
”影”となって映し出される。
あなたは、壁に映し出される影こそが本物だと考える。(それしか知らないのだから当然だ。)
お気づきだろうか?この洞窟こそが「国家」であるのだ。
表現の自由が認められている日本であっても政府の情報操作は多かれ少なかれ行われている。
一部の人は知っている - 9.11東日本大震災時、原発のメルトダウン関連の情報は、某アメリカ有名新聞紙のほうが早かったことを。
在日米国大使館からの避難指示がどう伝えられていたのかを。
もちろん、日本から海外のニュースメディアにアクセスすることは容易にできる。外国語を学ぶチャンスだっていくらでもあるだろう。
これだけに限らず、日本人の大勢が目にする記事はある程度情報が制限されたり、恣意的に操作されている可能性は決して少なくない。
写真の切り取り方ひとつで、受けての印象は大きく変えることができるのだから。
ある日、並んでいる囚人の中から、あなたは枷から解放され燃え盛る焚火(炎)の前に連れ出された。
あなたは、ずっと暗がりのなかにいたから、初めて見る炎がまぶしくて、仕方がなかった。
まぶしさに耐えられずに、元の枷につながれた場所に戻ってしまった。
それでも何度か炎の前に連れていかれることを繰り返していると、だんだんと目も慣れてきて、炎の前を通り過ぎる”もの”を見ることができた。
自分たちが見続けいたものが、影(虚像)であると認識できたのだ。
ここで、あなたは自分が見てきて”もの(=絵)”が本物ではなかった。嘘だったかもしれないと思い知る。
私は、国家が与える「教育」が国民の思想を作るのだと、客観的に理解することができた。
日本でも戦時中は、戦争に勝つことこそが「正」とされ、あらゆる自由を認めない教育を施していた。
ある外国では、「宗教は選べるけれど、唯一神を信仰すること」が定められていて、小中高ではそれぞれ自分が選択した宗教の授業を受けなければならない。
教育環境が整っていない国で、新しく学校を作っても、すぐには子どもが通学することは難しい。学校に行っていない親は、学校教育の大切さを理解することはできない。
つづく (見出しの解は次の記事にて。)
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