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お気に入りの哲学 知るとは(後編)

※「お気に入りの哲学 知るとは(前編)」のつづき記事となっている。


<簡単におさらい>
枷につながれ、影という虚像を見続けていたあなたは、ある日突然、枷を解かれ炎の前に連れ出された。そしてまぶしい炎の光に慣れると今までみてきたものが、信じてきたものが、真実ではなかったことに気づいた。



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        Creative Commons Attribution-Share Alike 4.0International

(著作権フリーの画像を引用している関係で洞窟の表現がちょっと分かりにくくなっている為、下記で想像するのが難しい場合は、ぜひ「洞窟の比喩」で画像検索してみてほしい。
!ポイントは洞窟は地下にあり、地上への道は坂道(上り坂)であるということ。)


今度は洞窟の外へ連れ出そうと、あなたを地上へと続く道にいざなった。

でも地下にある洞窟、あなたは初めての坂道、出口が見えない道に疲れ 途中で元いた洞窟へと戻ってしまう。
それでも前回同様、
何度も洞窟から地上へと、未知なる場所へと、諦めては足を進めた。

ようやく地下の洞窟から長い坂道を上ると太陽が燦々と輝いていた。
あなたは、太陽の目も開けられないまぶしさに恐れ、洞窟へ戻っていた。

なんどか洞窟と地上を行き来するうちに、太陽の光にもなれ、地上で本物の(生きている)「馬」や「猫」に出会い、これそこが真実であったと認識を再度改める。


この坂道こそが、「勉強」し、未知を知るプロセスだと私は解釈している。

つまり「知る」ということは、坂道を登るような「苦労」が伴い、
そして、「未知なるもの」に出会ったときは、まぶしく強い”光”に初め拒絶反応を起こすこともあり得るということだ。



「○○ってなんだろう?、その言葉/単語の真理はなんだろう?」とわたしはよくひとり頭の中で自問し、考える。


このプラトンが説いた「国家」の洞窟の比喩を知ることができたことに良かったと思う自分と、そして「知るということ」がどういうことなのか、未知に出会うことに恐れをなしている今の自分を残念に思う気持ちが混在する。




見出し画像引用元:
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:An_Illustration_of_The_Allegory_of_the_Cave,_from_Plato%E2%80%99s_Republic.jpg

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Emiri
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