見出し画像

営業を2年やって気づいたこと


新卒で広告代理店に入社して、2年3ヶ月が経った。
本当は今年の6月で会社を辞めるつもりだっけれど、いろんなことがあって働き方を変えて残る決断をした。

営業から営業事務へ、プレイヤーからサポートへとフィールドを変えて3ヶ月、ようやく最近業務に慣れてきた。


毎日に追われて、ゆっくりと営業職として過ごした2年間を振り返る時間がなかったけれど、少し落ち着いたので、振り返って感じたことや考えたこと、気づきをまとめてみる。


少し長くなるけれど、新しく営業を始めた方や、営業や仕事で思い悩んでいる方の何かの気づきのきっかけになれば良いなと思う。


マラソン

2年間を振り返って、嬉しいことも、悲しいことも、辛いことも、悔しいことも、毎日本当にたくさんのことが起こって、立ち止まる暇もなく走り続けた期間だったと感じた。


例えるとしたら、ハイペースのマラソンだと思う。

入社当初、何かの研修で「考えてから走るのではなく、走りながら考えろ」と言われたことをとても鮮明に覚えている。

その時はその意味を深く考えなかったけれど、走り抜いた今、本当の意味が分かったし、どれだけ苦しいことなのかも分かった。



◼︎営業1年目

1年目は新規開拓しかできることがなくて、年間で40社近くの新規をあげた。新規の営業はそれなりにしんどかった。というか、とてもしんどかった。

毎日飛び込みとテレアポを繰り返して、当たり前のように断られて、アポなんて全然取れなくて、契約を取るなんて雲を掴むことのように思えた。

それでもやらないと結果は出ないから、ただひたすらやり続けた。なのに思うように結果が出せなくて、達成もできなくて、教育担当の上司と定例のミーティングをしながら弱音を吐いて泣いたことも何度もあった。帰り道に泣きながら帰ることもよくあった。


前に記事で書いたこともあったけれど、ストレスで日常的に体調が優れない時期が続いて耳が聞こえなくなったこともあった。

結果を出せない自分がただただ嫌だった。それまでの人生で味わったことのなかった挫折感を毎日味わった。学生時代に大小問わず失敗や挫折をした経験はあまりなかったから、こんなにも上手くいかないことがあることにある種の絶望を覚えた。でも同時に、営業がそういうものだと身をもって強く実感した。


でも、もちろん何もかもが上手くいかなかったわけではなくて、2ヶ月目に初めての受注を経験して、大きな受注も何度かしたし、達成できた月も何度かあった。何よりも、良いお客さんに出会えたことが嬉しかった。

今でも一番大好きなお客さんがいる。飛び込みから取り引きに繋がったのだけれど、訪問するといつも私が初めて訪問した日の話を嬉しそうに懐かしそうに話してくれる。タバコ吸っていいよと言って、2人でタバコを吸ってコーヒーを飲みながら仕事の話はほとんどせず、1時間半くらいだらだらといろんな話をする。たまに私の恋愛の話をして盛り上がったり、親子みたいな感じで、だからこそ役に立ちたくて頑張ってきた。求められている以上の結果を出してきて、高く評価してもらったからこその今の関係だ。


そういう出会いが嬉しくて、そういうお客さんがいるから頑張ろうと思えて、頑張った結果を評価してもらえるのもまた嬉しくて。毎日辞めたいと思っていたのに、あっという間に気づいたら1年目が終わっていた。


コツコツ、丁寧に、愚直に、それが私が1年で築いた自分なりの営業スタイルだった。



◼︎営業2年目(前半)

2年目になる直前に、急に先輩からの引き継ぎが始まった。社内で1番の顧客数がある8年目の先輩で、4ヶ月ほどかけてほとんどの顧客が私に引き継がれた。

何もかもが不安で、真っ先に感じたのは、ザ・体育会系な感じの勢いと元気さが売りの先輩から、おとなしめで丁寧なタイプの全くスタイルが違う私に担当が変わることでお客さんが離れていくのではないかという不安だった。


案の定その不安が見事に的中した顧客もあったけれど、そんなことを気にしていられないくらい業務量が跳ね上がった。


扱ったことのない商品ばかりで初めての業務に苦戦しながら、顧客数が増えたことで1日の商談件数も増え、思うような速度で仕事を進められずに悩んだ。毎日があっという間に過ぎていって、1日・1週間・1ヶ月ってこんなに短かったっけと毎日感じていた。


総じて、2年目の最初の半年間はとにかく目の前に押し寄せてくる業務をただひたすらこなしていくことが精一杯で、私がこの時点で見つけた答えは、「稼働時間でカバーする」だった。

いわゆるサービス残業。昼間は外に出ているから夕方にはどっさり業務がたまっていて、17時や18時に会社に戻ってからだいたい22時すぎまで会社に残って、帰宅してからは夜中の2〜3時くらいまで仕事をするのが日常になっていた。そしてこれがどんどん自分の首を絞めていったのは言うまでもない。


いつの間にか朝食を摂らない日も増えて、メイクをしない日も増えていった。


◼︎営業2年目(後半)

2年目の秋ごろには、ひと通り業務に慣れて、引き継いだお客さんもしっかりフォローできるようになっていった。それでも相変わらず、残業は日常だった。


そこでぶち当たったのが「数字」という壁だった。やはり営業はどんな時でも数字に悩まされる。

夏ごろまでは引き継ぎをしてくれた先輩が数字を作れるようにフォローしてくれて、このお客さんにはこのタイミングでこういう提案をするとか、今月足りないからあそこ当たってみようとか、そうやって達成させてくれていた。

でも、その先輩がとうとう辞めてしまって、1人で数字を作るという当たり前のことがものすごく大変だった。そして、達成し続けることの難しさに悩んだ。


秋から年末にかけては達成できなかった。受け身だったから。目の前のことに精一杯で言われたことをやるだけになっていた。もっと提案しなければいけないのに、提案するのが怖かった。


広告は効果が保証されていない商材だから、金額が大きいほど効果に対するプレッシャーも大きい。だから、それまでと同じプランで、言われた通りのプランで、そうやって提案することから逃げていた。


逃げた先に待っていたのは、足りない数字だった。なぜ達成できないのか、達成するために何をするのか、毎週、毎月、上司とのミーティングは地獄だった。


だから数字を増やすために、とにかく提案しまくった。もちろんむやみやたらと提案していたわけではない。根拠のない提案は嫌いだし、現実的でないものも嫌いだから。場数を踏んで身につけた提案のポイントは2つだった。


提案のポイント

①潜在ニーズへのアプローチ
何よりも大事なのは徹底的なヒアリングと顧客の状態・ポジションの把握。それをした上で、目の前の顕在化した課題だけではなく、根本的な課題や中長期的な課題・目標を解決するためには何をしなければいけないのかを明らかにして、それを叶えるための提案をした。

顧客自身も目の前の課題に追われているからこそ、それにプラスアルファして、「考えているけれどできてないこと」を実現するための行動を今からしていきましょうという提案姿勢を大事にした。

②寄り添う姿勢
論理的な提案ももちろん重要だけれど、最終的にはこれが一番大事だった。自分も全力でお客さんの目標を一緒に叶えたいという気持ちを伝え、そのために自分はこういう行動をしていきます、だから一緒に頑張りましょう、という言葉や態度が何よりも響く。

結局ビジネスは人と人とがするものだから、前向きな気持ちや情熱みたいな、非物理的な人間特有のものが心を動かすと分かった。



こうやって2つのポイントを常に意識しながら、売上目標の「3倍の提案」をし続けた。必ず月末に翌月の計画を立てて、目標に対してどれくらいの見込みがあってどれだけ足りないのか、足りない分はどの顧客でいくら作るのかを細かく書き出す。ここでこれだけ作ると決めたら、決めた数字の3倍以上の金額のプランを含めたいくつかのプランを持っていく。

これをコツコツと繰り返して、自力で達成できるようになっていった。エリア内で成績上位になれた時もあって、嬉しかった。



そうやってだんだんと営業としての自信をつけていって、お客さんからの信頼も積み重ねていった時に強く感じたのは、逃げずに提案し、期待されることの嬉しさとプレッシャーだった。

「期待していますからね」「信頼してるからね」という言葉が、嬉しくて苦しかった。


自分の数字というプレッシャーとお客さんからの期待というプレッシャー。営業職の本当の大変さをものすごくリアルに感じて、同時に孤独さを実感した。


この頃も相変わらず残業は減らなくて、というかむしろプレッシャーと成長とともにどんどん加速していった。最初の頃は慣れない業務に時間がかかって残業していたけれど、それが徐々に、自分でできることが増えて、自分で全てをやろうとしての残業に変わっていた。


本来なら依頼すべきものを、誰かに頼むという工程が手間で、自分でやった方が早いと結論づけたり、誰かに頼んだ結果思っていたものと違うものが出来上がったり、そういう理由で全てを自分でやるようになった。


結果として、やっぱりそれが自分の首を絞めて、上手に人を頼ることができない自分の未熟さを痛感し、「人を頼ること」を今後の自分の課題とした。

.
.
.
.

まとめ


長くなってしまったけれど、営業として過ごした2年は本当に濃くて、挫折と小さな成功を何度も何度も繰り返しながら、いろいろな面で成長できた。

もちろんたったの2年で一人前にはなれないし、課題は山積みだけれど、2年間でできる限りの成長はできたと思う。


営業から退くことが決まった時、私じゃなきゃ嫌だと言ってくれたお客さんや、残念がったり寂しがったりしてくれるお客さんが思いのほか多くて、なんだか嬉しかった。後任への引き継ぎを全て終えた今でも私宛てに連絡をくれるお客さんがいることも嬉しい。


悩み苦しみながら走り続けた2年間は、間違いなくこれからの自分の人生の糧になると思う。


そして、この記事が、営業で悩んでいる人の何かのきっかけや気付きになれば良いなと思う。


いいなと思ったら応援しよう!