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腎を補う

漢方薬で養生を始めて3年くらいが経つ。

最初は、更年期の体調不良をなんとかするために始めたのだけど、いつしか「体質改善のため」へと目的が変化していった。

漢方的にいうと、私は瘀血おけつ体質()だ。私の母やその兄弟姉妹も似た症状を抱えているので、多分これは大人になってからなったものではなく、生まれた時に親から受け継いだものだと思っている。

そこで、瘀血体質を改善する薬から飲み始めたのだけど、飲み続けていくうちに、そこから「子供のころからずっと胃腸が弱かった」ことに突き当たり、胃腸を養生する薬を加えて飲んだり、また、肝臓でちょっと引っかかることが出てきて、肝臓を養う薬にシフトしたり…と、その時々の身体の状態に合わせて、先生に薬を変えてもらっている。

そして今、私は「じん」を補う漢方薬を飲んでいる。

「腎」とは、西洋医学の腎臓という意味ではなくて、中医学(中国の伝統医学)でいうところの「腎」。

中医学では、人間の身体の働きを「五臓」と言い、「肝・心・脾・肺・腎」を指している。この「五臓」とは、肝臓とか心臓などの臓器を意味しているのではなく、体を動かす機能や働き全般のことで、五つに分類したもの。どれも大事な働きを担っているのだけど、この中でも特に「腎」は「生命エネルギーの源」と言われている

もう少し分かりやすく説明すると、中医学では、「腎」とは「生まれながらの気(エネルギー)」を宿すところと言われる。
私たちは、この「気・エネルギー」を、この世に生まれ落ちたときに授かり、以降、死ぬまでの間、日々この「気」を消耗し、「気」の補充を受けながら生きている。
つまり、「生まれるときに母親(母胎)からもらった生命力(=気・エネルギー)」を貯蔵しているのが、「腎」なのである。

さて、今、私は、この「腎」を補う漢方薬を、朝晩お湯に溶かしてチビチビと飲んでいる。

飲み続けて、ちょうど約一か月半が経つ。

初めて飲んだ時は、自然の甘みを感じて美味しく思ったのだけど、美味しく感じるのは、身体が欲している証拠だ。自分の身体に合っているということだ。

また、飲むと数分後に身体の内面がじんわりと温かくなり、心身が安らぐのを感じた。

身体の芯がじんわり温まる感触…。これは、温かい食べ物や飲み物を口にしたときとは少し異なる感じで、ちょっと今までにない不思議な体験だった。

そんな体の奥で感じる心地よい熱に慣れてきた頃、今度は、自分の身体に対する認識が徐々に変化していくのを感じた。

その中の一つ。

今までの私は、自分の身体を全く信頼していなかった…ということにハタと気づいたのだ。

そう、以前の私は、ちょっとでも体調が悪く感じられると、すごく不安になり、慌てて市販のクスリを飲んで具合の悪さを何とか収めようと躍起になっていた。

もうこれは癖のようなもので、何か大事な場面で「体調の悪さ」が出てしまうと、みんなに迷惑をかけてしまう、穴は開けられない、最後までちゃんとしっかりやらないといけない…と諸々の強迫観念が出てきて、とりあえず手元にあるクスリを飲んでしまうのだ。

昭和時代の「人に迷惑をかけてはいけない」思考が、私を安易に市販のクスリへと走らせていたのだと思う。

これを飲んでとりあえず体調の波を抑えておいて、安心して参加できる自分にしておこう…という意識。

これが、かなり頭の奥にまで巣食っていた…と、この時ふと気がついたのだった。

思えば、昔は「学校(職場)を休む」=「体調管理ができていない」と叱られるような時代だったから、少しでも熱が出そうだと、市販のクスリを飲んで症状を抑え、学校や職場に行ったものだ。
こうして、ちょっとの体調不良はクスリの効力で「無かったこと」にし、その場をしのいで済ませることが当たり前になっていたんだなぁと思う。

でも、こうして「腎」を補う漢方薬を飲み続けていたら、体の芯がホカホカと温まり、心にも厚みが出てきて、少しずつ力を感じるようになった。

そうなると、多少具合が悪くても、あわてて市販のクスリを口に放り込むことはしなくなり、代わりに「体が治してくれるだろう」とゆったり構えていられるようになった。

そう、自分の身体の力を信じてあげられるようになったのだ。

生命エネルギーの源である「腎」に力が戻ってくると、自分の身体を丸ごと受け入れ信じられるようになるんだ…と、私は大変驚いた。

こうして自分に余裕が生まれてくると、次に、周囲や社会を見渡し、客観的に物事を観察できるようにもなった。

そこで気がついたこと。それは、

もしかしたら、日本人はみんな「腎」が消耗しているんじゃないか?

…ということである。

今の日本って、神経が消耗し、エネルギーが削がれて擦り減ってしまうことが多いんじゃないか?…と。

例えば、

幼い頃から、他の子供(人)と比較されて、「あれはダメ」「こうしなさい」と言われことが多く、いつも周りの人の目や批判を気にしてしまう。
毎日やることが多くて時間に余裕がなく、グッタリ疲れてしまう。
ゆっくり休む時間がない。休むことに罪悪感を感じてしまう。
職場や学校、身内や周りに「気難しい人」が多くて、いつもその対応に苦慮している。
人々の心がギスギスしていて、いつ攻撃されるか分からない不安や恐怖がある。
自分を慈しむ暇がない。ご自愛する余裕がない。

…等々。

ただ普通に暮らしているだけでも、毎日みるみる自分の生命力(ゲームで言えばHP)が削がれ減っていく状況だ。また、HPがゼロのような状態でも、無理やり自分を起動させて、外ではいつも通りに元気に活動しなくてはいけない。

こんなに頑張っているのに、更にいろんなことを要求されて、自分自身が傷んで劣化していく…。

・・・・。

これが子どもの頃からずっと続いていて、大人になった今現在も継続しているならば、心身は緊張しっぱなしだし、エネルギーの消耗も著しいだろう。
これでは「腎」が枯渇し足りなくなっても当然ではないか。  

そんな厳しい状況下でも、弱音も吐けず、嫌とも言えず、ボロボロになっても頑張らなきゃいけないのが、今の現実。。

これが今の日本なんだよなぁ…と思ったら、何だか急に切なくなって涙が出そうになった。


あと、腎が弱っている人は、不安や恐れに心が支配されやすい。そのため、些細なことでも感情が溢れ出て、ネガティブな反応に走ったり、時には、(自分に足りない分を)他人のエネルギーを奪い取ることで補おうとする人もいるらしい。

なるほど。だとすると、意地悪な人やひがみっぽい人、いじけやすい人、嫉妬しやすい人、怒りっぽい人たちは、もしかしたら「腎」が弱っているのかもしれない。こうして自分を剥き出して、人からエネルギーを奪っているのだ。怖い怖い…

そう考えると、日本は「腎」を消耗し痛めやすい社会だといえる。
みんな疲労しているし磨耗している。
だからこそ、みんな意識して「腎」を守り養生していくことが大切だわ…と思った。

そう、ご自愛よ、ご自愛。

まずは自分を大事にすることから始めよう。

一つ一つ具合の悪いところに手を当てて、身体の声を聞き、身体が欲することを与えていく。自分の身体を慈しみ、自分を丁寧に大切に扱うところから取り組む。こうして、腎のエネルギーを取り戻していくことが大切だ。

こんな感じで、漢方薬を通して身体と向き合うようになり、そこからいろんなことに気づけるのが嬉しくて楽しい。

身体を整えることで得られる悟りもあるんだなぁ…と興味深く感じている。


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Emiko(シモハタエミコ)
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