大人のオンナの集まるところ。
Emiko(シモハタエミコ)
気になる健康のこと、身体のこと、養生について。更年期障害のあれこれ。
文章を書くことについて持論を講じたnoteを集めました。
私の「買ってよかったもの」「お気に入りのもの」。「もの」についての考察。等 「もの」にまつわる記事をここに集めました。 あなたのお買い物の参考になれば嬉しいです。
他のカテゴリーには入らない、とりとめもない日記的なものを、ここに集めました。
新年早々、風邪を引いて寝込んでしまい、リレーで例えると、スタートダッシュで大コケして、慌ててバトンを取り直して走り出したみたいな感じの2024年始め。完全に出遅れました笑。しかも、まだ調子が出なくて頭がぼんやりしています。いやいや「単なる正月ボケ」という説もありますけどね笑。 「始め良ければ全て良し」の逆バージョンじゃありませんが、今年はこんな調子で、想定外のことがコロコロ起きる予感がしています。人間の浅はかな計らいで決めた事はすべて頓挫し、自然の大いなる流れに従って、流れ
前作を書いたのは夏真っ盛りの8月で、あれから早いもので、もう3か月目に入ろうとしている。 あの頃は、ケアマネさんも事業所も、介護レンタル用品も福祉サービスも義母のケータイも…すべてが「新規契約」の嵐の日々で、毎日がドタバタ劇場だった。 諸手続き&諸準備に追われた私と夫は、あまりの忙しさに生も根も尽き果てて、そこに夏の酷暑も加わり、ヘトヘト疲れ切ってしまった。 ここまでが、前回のおはなし。 ◇ その後「週の中で5泊は施設に泊まり、2泊は自宅に帰る」というペースが、義母
高山市民ライター記事、書きました! 【完全ガイド】飛騨高山のカラーマンホール蓋とマンホールカード配布場所 https://www.hidatakayama.or.jp/blog/detail_58.html よかったら覗いてみてください💓
私は昨年末より高山市民ライターになりました。 きっかけはちょうど一年ほど前、高山市の飛騨高山観光コンベンション協会による「市民ライター募集」のアナウンスをSNSで見つけたことでした。 軽い気持ちで、私のnoteマガジン「写真日記」を添付して応募してみたところ、一次審査を通過。面接を経て、採用していただきました。 その後「任命式」があり、他の市民ライターさんと初顔合わせをしました。ちなみに、この時の高山市民ライターさんは、(私を入れて)4名です。みなさんお若い方ばかりで、私が
339PLANNINGの広報記事を書かせていただきました! 会社の自己紹介記事・最新版です。読んでね~🥰 『339PLANNINGはおもしろがるきっかけを作る会社です』 https://note.com/339planning/n/n872b46d05183 ※このトップ画像に私はいませんのであしからず笑
【追記】クラファン無事終了しました!ありがとうございました💓 歴史好きの皆さん&戦国ファンの皆様 飛騨高山の古い町並みを築いた武将・金森長近のマンガ本のクラファン 本日9/30(月)が締め切りです(あと6時間です!) https://camp-fire.jp/projects/775525/view
この夏、ししとうが食べられるようになりました。 子どものころ、一欠片でも食べるとお腹がシクシク痛くなるため、すっかり嫌いになってしまったピーマンとししとう。以降、絶対に「買わない・触らない・食べない」の3無いで生きてきました。 ところがこの夏、ご近所さんから採れたてのししとうをたくさんいただきました。「うーん、どうしようかな…」と困っていたら、夫が気を効かせて甘辛く炒め煮にして調理。「傑作ができた!うまいよ!」という夫に釣られて、試しに一つ食べてみたところ「あら、おいしい
金森長近ってご存じですか? 戦国時代の武将で、信長・秀吉・家康の三英傑に仕え、飛騨国の初代国主となり、現在の飛騨高山の町並みを築いた人です。 長近公の生涯については、上のサイトに詳しい説明があります。 戦国物の大河ドラマにほとんど出てこない超マイナーな人物ですが、戦乱の世をたくましく生き抜き、信長に可愛がられ、秀吉に頼りにされ、老いては家康と親しくなり信頼厚かった…という老熟の武者なのです。 金森長近については、司馬遼太郎の『街道をゆく・飛騨紀行』(朝日出版社)を開く
今年の夏はとにかく忙しかった。執筆の仕事と並行して義母の介護に関する諸々の手続きが重なり、晴天続きの盛夏だというのに旅行にも日帰りドライブにも行くことができず、私はひたすら家に閉じこもって悶々と作業に明け暮れていた。8月に入ると、義母がいよいよ小規模多機能ホームに通所することとなり、そのための準備や義母のメンタルケアも含めたお世話でやっぱり忙しく、家に閉じこもることが多かった。そうこうしているうちに、お盆へ…。墓や仏壇の掃除をして花を活けて盆参りの準備に奔走し、慌ただしく来客
飛騨高山観光協会の市民ライター記事、更新しました! 【飛騨高山の縄文遺跡を巡る】国史跡『堂之上遺跡』と縄文人が暮らしたまち久々野町 https://www.hidatakayama.or.jp/blog/detail_51.html 飛騨高山って古い町並みだけじゃないんです! 縄文時代&石棒ファンの皆さまに是非読んでほしいですー💛
以前、旅先の書店で見つけた一冊の本。 『50歳からのごきげんひとり旅』山脇りこ(大和書房) 何気なく手に取ったこの本、気になってふと開いてみると、数ある旅エピソードの中から、なんと!一発目で『飛騨高山を旅したエピソード』が紹介されていました。これは買わなきゃ!と即決購入。私もひとり旅が好きなので、楽しく読ませていただきました。 さて、この本によると、筆者山脇りこさんは、富山市→飛騨高山→名古屋のルートを通るのに「高山本線」を使って移動することを試みました。そして、以前か
慌ただしいまま7月が終わり、今は酷暑の8月。相変わらずバタバタと忙しい日々を送っている。 ちなみに先月、一番読まれていたのが、この記事だった。 今回は、この続きを書いてみようと思う。 7月中、みるみる脚力が落ちて、歩くことが困難になった義母。 本人は「リハビリを頑張れば、また歩けるようになる」と信じて頑張っていたけれど、私も夫も「これが限界ではないか…」と察するようになった。そこで、いつも義母がお世話になっている訪問リハビリの先生にお聞きしたところ、「実は自力歩行ができる
7月が終わる。 今月も何だかんだと忙しく、あっという間に月末を迎えてしまった。振り返ってみても、何があったのかよく覚えていない。日記を読み返してみて「これって今月の出来事なの⁉」と驚くこと多数。時の経つのがものすごく早くて、つい先週の出来事でも、もう数か月前のことのような気がする。 さて、そんな私の元に、昨日一通のメールが届いた。 これは今月受けた健診の結果を記したもの。今はペーパーレスで結果が送られてくる。別便で送られてきたパスワードを使って開示してみた。結果については、
7月に入り、急に落ち着かなくなってきた。 というのも、義母の足が急に動きにくくなり、細かい配慮が必要になってきたからだ。 なんたって満95歳。寝たきりになっていても不思議ではない年齢なのに、今まで頭も体もしっかりしていた。ただ足だけは昔から具合が悪くて、私がこの家に嫁いだころ、義母は60代後半だったけど、その頃にすでに膝に水が溜まるとか、膝関節症でO脚が酷くなって痛いとか、脚のトラブルをいろいろ抱えていた。私も義母を車に乗せて整形外科や整体治療院へ何度も送迎してきたのだけど、
先月のはじめに「6月は毎日書きます!」と宣言し、ドヤドヤと始めたnote毎日更新。 最後まで続くかなぁ…と心配しながらのスタートでしたが、おかげさまで30日間、無事に完走できました! ▼2024年6月に執筆した記事のまとめ 改めて振り返ってみると、6月はいろんなことがあったんだなぁ~と、30記事の羅列を見てしみじみ感じます。宇宙船を見たり、夫がガラポン大当たりしたと思ったら、その後、熊に遭ったり…等々。東京へも行ったし、朝ドラ・ウォッチャーだし笑、なんだかんだと忙しい一
先週、東京を訪れたときのこと。 滞在先のホテルで、一日目は観劇を楽しみ、さて二日目はどこへ行こうか…と迷っていたら、夫が「子規庵に行ってみたい」と言い出した。 子規庵とは、明治の俳人・正岡子規が住んでいた家である。 実は4年前の秋、私は一人旅で上京した時に子規庵を訪れていた。夫は、旅から帰ってきた私が話す子規庵の思い出話と、以前見たNHKドラマ『坂の上の雲』の印象が重なり、自分もいつか訪れてみたいと思っていたそうな。 私も久しぶりに再訪したいなぁ…と思っていたので、その