菊地暁(2021)『民俗学入門』岩波新書を読んで。
菊地暁(2021)『民俗学入門』岩波新書を読了。
かの有名な柳田國男が、その礎を築き上げた学問である。
本書は、衣・食・住・働く・運ぶ・取り替える(交換する)という、極めて現代人的な、「営み」を背骨として、平易な言葉と、広範にわたる実例を元に「民俗学」を解説した入門書である。
筆者のプロフィール欄に、身長186センチと記されているのは、不思議に思うが、北海道出身の中年の大男が、関西で四苦八苦しながらも、民俗学を教えてきた集大成がここにある。
筆者は冒頭で「民俗学とは、人々の「せつなさ」と「しょうもなさ」に寄り添う学問ではないかと思っている。《中略》「せつなさ」とは、人々がそれぞれ生きる時代や地域や状況のなかで、ひたむきに忍耐と工夫を重ね、一生懸命に「日々の暮らし」を営んでいることへの感嘆と賛辞である。その一方、そうした人々が、しばしば心無い差別や抑圧や暴力の被害者となり、逆に加害者となり、あるいは無責任な傍観者となる。そして、その過ちに学ぶところなく、あるいは、学んでもすぐに忘れてしまい、また同じ過ちを繰り返す。そういった人々が抱え込む「しょうもなさ」も残念なことに認めざるをえない私たちの世界の一面である。(i頁より引用)」と述べる。
それこそ、今現在、世界を揺るがしているプーチン大統領によるウクライナ侵攻はまさに、「歴史に学ぶことなく、あるいは忘れた帰結として」起こっているといえる。
そんな人間社会を生きることは、迷いや不安、恐怖に溢れたものであると同時に、喜びや感動、そして希望も多分に含んだものだと思う。
そうであればこそ、「私たち一人一人のささやかな生きざまそのもの」を「資料」=「研究材料」とする民俗学の入り口に立ってみることは非常に有益である。
本書を読むことで、普段何気なく見たり聞いたり味わったりしていることから、驚くほど深淵な世界が垣間見える。
さて、ここで大学について感心する記述が後半にあったので、やや唐突な感はあるものの、引用しておきたい。「役に立つ研究を志すことが間違いとはいわないが、役に立たない研究が必ずしも悪いわけでもない。そういった役に立つ/立たないという区分を一旦棚上げして、事実と論理の前に跪いてみる。そうやって、森羅万象(universe)に対する普遍的な(universal)知識を生産し、公開し、更新し、蓄積する。そのことを通じて、結果的に一定の確率で「役に立つ知識」を提供することが、「制度」としての「大学university」ないし学問の存在意義であると筆者は思っている。(220~221頁より引用)」
という記述だが、「世の中にある多くの物事」もそうであると改めて思わされる。
一見、なんの意味も持たないような経験が、たちどころに思い出され、思いがけない出会いや解決策に繋がった経験が皆さんにも私にもあると思う。
何事にも、効率やスピードが要請される現代であればこそ、本書のように「答えの出ない議論を、答えはありませんが、興味深いですよね?」と馬鹿正直な姿勢で我々に語りかけてくれる本は、なおのこと価値を帯びる。
帯にもあるように、答えをくれる本ではないが、きっと皆さんの期待を裏切らないと思う。オススメする。