事後性の克服~「センス」について真正面から向き合った良書~
楠木建・山口周『「仕事ができる」とはどういうことか?』宝島社新書、読了。素晴らしい本だった。個人的な今年のベスト新書である。
タイトルは『センスとは何か』の方が良かったのではと勝手ながら思う。これまで「語ろうにも語れない」「もともこもない」と論じられて来なかったセンスに真っ正面から向き合っている良書である。特筆すべきは、センスとは周知の通り具体化はできないものの、かといって決して語れない・語っても仕方がないものではないという態度である。つまり、センスは事後的に身に付けうるものであると説いている。だからこそ、本書には価値がある。センスを「良くわからないし、努力したって身に付かないもの」ではなく、「センスはたしかに掴み所のないものだけれど、身に付けうるもの」として再構築したのが本書の最大の貢献ではないか。本書ではセンスについてそれが「きわめて総体であり、全体であり、綜合的なものなんですよね。ということは、裏を返すとセンスというのはその人の一挙手一投足すべてに表れていると思うんですよ。(223頁より引用)」と述べられている。その上で、個々人に内在する「好き」という価値基準がないと、センスの錬成が始まらないと述べている。好きでこそ「事後性を克服できる(センスが身に付く)」ということである。また、スキルとは異なり、センスが、バシッと言語化できるものではないことは、それを身に付けるプロセスもマニュアル化できないということも内容から良くわかる。私なりに整理すると「分かりやすく再現性が高い」のがスキルであれば、「分かりにくく再現性が低い」のがセンスということになるだろう。また、本書ではセンスがない人は自らにセンスがないことを自覚していないから、一向にセンスが磨かれないと説いている。本書にもう少し寄せて言えば「センスにはフィードバックが働かない」ということだ。ということは、スキルはその反対だ。本書は、センスとスキルを対比させながら、実学重視に警鐘を鳴らしているのである。センスとスキルが「全体と部分」あるいは「抽象と具体」の関係にあるという整理もされている。先ほどセンスの定義付けの流れで書くべきだったが、本書ではセンスは「具体と抽象の往復運動」とも説明されている。
それから、個人的にグッと来たのは教養に関しての定義付けである。「自分の価値基準を、自分の言葉で、自分以外の誰かに説明できる」ことですよね。自分自身で形成された価値基準があるということ、それに自覚的であるということ、これがすなわち「教養がある」ということだと思います。どんなに多くのことを知っていても、世の中に流通している出来合いの価値基準に乗っかるだけでは教養とは言えない。教養形成の本質はアートでありセンスにあります。(49頁より引用)」これこそ、私が追及していた「教養」のありうべき姿であると、読んでいて感動したものだ。「出来合いの価値基準」は「特定のスキルが評価される価値基準」と読み取れる。ありとあらゆる価値基準が混在し、変化の激しい現代では、これさえやれば良いというようなことはやはり、ないのである。これだけ「分かりやすさ、即効性」がウケる時流だからこそ、どっしりと「価値観の根っ子」を張りながらも、流れを冷静に掴みたいものである。
ここまで、「センス」について本書の内容に即して整理したが、書いていて思い出したもうひとつの重要ポイントが「仕事ができる」というのは物事の「組み合わせ」と「順序づけ」が適切であることであるという本書の指摘である。箇条書き的な思考は誰にでもできるが、「いつ、どれをやる?」となったときに「センス」が問われるし、そこに「付加価値」があるということを本書は分かりやすく説明しているのである。
久しぶりにズバリと心に響く書籍を読み、冗長なレビューとなったが、良さを伝えきれたかどうか心もとない。ただ、自信を持ってオススメできる一冊であることは間違いない。
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