なかぬざわ
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下積みのねぇバンドがロックではないように、俺達も下積みをしねぇとペインターではないんじゃねぇの?
俺は絵を描いているが、その絵は社会に対して何か意味があるのか、何か呼応している部分があるのか模索する。模索しているという現状で満足している様な気もして、迷っているフリをしているのかもしれない。
自分の作品が直接、今の社会問題を風刺をしたり、批判することはないだろう。ただ、間接的に政治体制や社会情勢に反応はせざるおえない。ニュースや本、社会情勢はなるべく見るようにする。1つのメディアを頼らない。色々
息継ぎ、芹澤美咲、中澤龍二での座談会テキストデータ
中澤 「じゃあはじめます。」
息継ぎ 「うーんじゃあ展示のことを喋るかまず。」
芹澤 「うん。」
息継ぎ 「まあ今回はどうやって……。経緯。」
芹澤 「soilでの中澤展に私がきて、もともと友達だった二人に出会った、という感じ。」
中澤 「中澤展きっかけ……。みたいな感じ。」
息継ぎ 「でまあ、やることになり……。なんで俯瞰っていう言葉が出てきたんだっけ。あんま記憶ないな。」
芹澤 「わかる。」
『Kの逡巡』に寄せて
絵画には画家の視線が現れている。具象画でも抽象画でも画面に現れているものは画家の視点を通したものである。画家は自分の見たものや経験から画面を構築する。画家はどんなに客観的な視線を得ようとしても結局は自分の視点を通さなければならない為に主観的な画面を構築せざるを得ない。それは文学といった他の芸術作品にも共通している。
今回の展示タイトルである「Kの逡巡」ではKという自分以外の視点で絵画を構築
美術史に沿うということ
絵を描いていて自分が美術史上、どんな立ち位置で絵を描いているのか作家なら当たり前かもしれないが考えている。自分の描いている絵が「〇〇さんっぽいですね」「〇〇さんから影響を受けているんですか」と言われるのは絵を描いて展示をしていけば誰しもが言われることである。自分のルーツを知れるということは美術史に沿って絵を描けているという安心を与えてくれる。近い世代の作家達で交流していれば尚更、自分と似た様な絵
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