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下積みのねぇバンドがロックではないように、俺達も下積みをしねぇとペインターではないんじゃねぇの?
俺は絵を描いているが、その絵は社会に対して何か意味があるのか、何か呼応している部分があるのか模索する。模索しているという現状で満足している様な気もして、迷っているフリをしているのかもしれない。
自分の作品が直接、今の社会問題を風刺をしたり、批判することはないだろう。ただ、間接的に政治体制や社会情勢に反応はせざるおえない。ニュースや本、社会情勢はなるべく見るようにする。1つのメディアを頼らない。色々なジャンルの事に興味を持つ。頭にどんどん情報を入れていく。その情報がインストールされているのは『俺』だがその『俺』はその情報を用いて何をするのだろうか。課題達成をするのか、問題解決をするのか。
絵画というフィールドは画面上では幾億のパターンが存在するが、絵画が延長された途端にパターンが減る。問題解決では絵画の内面や技法、色彩、描写などの現状で何か自分の絵で悪さをしている部分を排除していくことで完成度を上げていくという手法な気がするが、そのパターンは殆どやり尽くされている気がする。そのやり尽くしの中で『新しさ』を見出すには、何を描くか(モチーフの選択)が重要になってくる(俺の中ではね)この何を描くかというので俺が何を考えてどういうモチーフを選択して描いているのかは実際に展示に来て観てもらって、鑑賞者に考えて欲しい事だったりする。それが絵を観るってことじゃん?それが楽しいんだから俺が説明してその機会を奪ってしまうのはナンセンスだし。俺の中ではこのモチーフを扱うことには理由があって、べらべらと何時間でも話すことができるし、気になる人がいれば直接聞いて観て欲しい。でも聞かなくても観りゃなんとなくわかんじゃねぇの?とも思う。具象で分かりやすい絵描いちゃってんだからさ。社会はくそで、世界もクソッタレな情勢だけど、身近な景色とかは美しかったりする。クソみたいな事が沢山起こっていても、夜散歩でもしてみりゃ、なんかいい風が吹いている。土の匂いがする。虫が鳴いている。月が、夜を照らしていたりする。その美しさはこの社会のゴタゴタがずっと続いていようが普遍的なもので、変わりはしない。ただ、それが脅かされる。実際に脅かされているのであれば、俺達は何か声をあげなきゃいけないんじゃないか?俺は、絵なんて描いていることができる位には恵まれてるから、道端の草とかにも感動しちゃう時間があるし、あった。でもそうじゃない人も沢山いるわけじゃん。絵とか見ないし、本も読まない、毎日働いてたら、そんな余裕がある方が凄いし、意識して時間を取れるのはまじで凄い。その人達が、毎日が充実で幸せでも、ふと翳る時はある。気持ちが翳った時に、助けてくれる家族や友人がいるならいいよ。でも居なかった時に、何か共感なりして助けてくれるのが芸術作品だと思ってる。独りになってしまった時に、お前に都合よく共感してくれるのは過去から人間が作ってきた膨大な数の芸術作品しか無いんじゃないか。その膨大なアーカイブに俺の絵もちょこんと乗せておく。そんな感じ。
正直、絵ってまじで直接的に役に立たな過ぎて、やってる意味あんのか思うことは本当にある。ただ俺の絵を観て、何か記憶に刺激が与えられて、あなたが明日から見るものに何か新しい景色なり視点なりが増えたら、それは俺にとって嬉しいし良いことなんじゃないかな。世の中、クソだけど、そこら辺の草とかはさ、綺麗だし子供の頃に連れてって貰った山とか。俺の場合は古いフォードの四駆で犬をゲージで重ねて家族4人でキャンプとか行ったんだよ。犬が、酔って車内でゲロ吐いたりね。何だかんだそういう思い出ってかけがえのないものなんだよな。今思い出しても、鮮明とは言えないぐらい曖昧な記憶だけど、楽しかったっていう感情は残っている。誰しも1つくらい生きてて楽しかった事はあるだろ?それが1つから2つでも少しでも増えていけば、なんかまぁ生きててもいいやってちょっとでも思える気がするんだよね。
すっごい偉そうな事書いた気もするけど、それは俺のエゴで、エゴイズムもりもりだから仕方ないね。自分の作ったもので他人の価値観を変えてしまう事ほど気持ちの良い事って無いよ。でも、それって絵描いてて実感できる事って本当に少ないから、黙って筆を動かすのよ。結局、他人の為とか言っときながらも自分への救いにもなっているのかもね。
おまけ
俺は自分の制作スタイルをロックバンドみたいなもんだと思っている。展示がライブ。金稼いで箱借りて、展示する。絵売れたらラッキー、良い飯食べよう。評判悪かったら、今のアートシーンが俺に追いついていない。ぐらいの気持ちでね。これがまぁ、売れてないロックバンドの下積みってやつ?
絵描きってまぁ、いろんな種類がいるから一概に言えないんだけど(世の中一概に言えない事ばかりだからね)やっぱり、展示しないと鈍るよ。
俺は、自分の為にももちろん描いているけど、絵って人に見せるもんじゃん。見せなかったら、無いことと一緒じゃん?まぁ、描いてあるってことは存在はするんだけど。でも絵はナマモノだから、描き上がったら人に見せて、反応をもらう。自分の絵について話す、お前は何考えてんの?聞いてみる。それしないと何?自分の絵コレクションですか?って状態になる。だから、だるいかもしんないけど、人に見せんのよ!んで魅せろ!
ロックバンドって、ライブハウスで対バン相手からも客もぎ取って、やってくっしょ?各地周って、ライブハウスでファン作って、生の声とパフォーマンスで感動させる。楽曲がSNSでバズる?収益上がる?でもライブで客を感動させられなかったら、ロックじゃねえな。それは違う娯楽の音楽だよ。
俺達も、展示やって、人と絡んでもちろん、制作もしっかりして他の絵観て、勉強も自分に必要だったらする。下積みってなんかネガティブな言葉に聞こえるかもしれないけど、下積みって今しかできない事だし、めっちゃ楽しいよ。俺の下積みがいつまで続くかは知らないけれどさ、やっぱ自分たちで企画して展示しないと駄目だなって思ったな。ずっと思ってるけど。
ということで来月は自主企画展示に参加するのでぜひ来てください。絵画は生で見て、感じるものなのはライブと一緒です。誘われた側ですが、ナイスなメンツばかりなのでよろしく。
ドローイング展も良いけど、そのうちもっとでかい箱で俺達の展示がやりたいよな。ということで労働へciao