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美術史に沿うということ

 絵を描いていて自分が美術史上、どんな立ち位置で絵を描いているのか作家なら当たり前かもしれないが考えている。自分の描いている絵が「〇〇さんっぽいですね」「〇〇さんから影響を受けているんですか」と言われるのは絵を描いて展示をしていけば誰しもが言われることである。自分のルーツを知れるということは美術史に沿って絵を描けているという安心を与えてくれる。近い世代の作家達で交流していれば尚更、自分と似た様な絵を描き、マーケットとして育った土壌に立っているのに疑問を持たないでいる。そこには安心感があり思考停止が許されている空気がある。自分達が楽しければ良いし幸いにも絵を買ってくれる人がいるからと。
 そして鑑賞者は絵の表層的な影響を認識して作家側に問うていることが多いように感じる。絵画は確かに平面作品であり表層的な印象が重視される事が多いが当たり前だがテーマやコンセプトも同じくらい重要である。テーマやコンセプトが欠けていればイラストや二次創作、商業的な要素が強くなる。反対にテーマやコンセプトに重きが置かれていればコンセプチュアル・アートに近くなっていく。(どちらが良い悪いの話はしていない)この塩梅は明確に別れておらずゆったりとした階層で別れている。その階層に名前を付けることで言葉を整理し分かりやすく認識しているだけである。
 話が逸れたが、何が言いたいのかと言うと表層的な文脈ばかりに注目が当たっている現状が散見されている(と私は思った)為にそもそもの絵の目的やテーマ、コンセプトが蔑ろにされている(市場)が増えてきているのではないだろうか。絵は表層的な美しさがあれば勿論それは強みではあるが、それだけで終わってしまって良いのだろうか。それだけで終ることが作家のコンセプトなら問題はないがそうではない筈だ。商品化された作風で繰り返し描かれた絵が美術史に置いてこれからも残っていくのだろうか。私には体よく消費者に利用され廃れていく道を辿っているように思えてしまう。
絵画はそもそも彫刻や文学や映画、写真、(アニメーション)と密接に歴史を歩んできておりその影響の文脈が最近は更に軽視され、表に出てこないことも問題である。

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