不安障害は病気じゃないと思った理由
タイトルを最初から否定してしまいますが、不安障害は病気です。
不安障害でお悩みの方は、しかるべき医療機関を受診することをお勧めします。
え、じゃあなんで不安障害は病気じゃないとかタイトルつけたの?
と思われるかもしれませんが、私が言いたいのは、
不安障害になってしまうのには理由がある
ということです。
私はメンタルの専門家ではありませんが、不安障害を長年患っていて実感したことがあります。
これまでの自分を振り返って思うに、それは、
不安障害になって当然だった
ということです。
私が今現在悩まされている症状として、
人前で字を書くと異様に手が震えてしまう
歯医者で口を開け続けると顎が震えてしまう
満員電車は極度の不安感と不快感に襲われる
というものがあります。
さらに困ったことに、最近はいろいろなことが重なって疲労が蓄積していたからか、
地下駐車場に入る際に入場制限にあい、前にも後ろにも進めなくなった際に、パニック発作が起きそうになりました。
車を運転しているときにパニック発作に襲われそうになったのは初めてだったので、余計にショックでした。
不安障害を患ってしまうときというのは、心理的に自分が抑圧されている状態のときです。
以前の記事で、今まで私は自己内DVが起こっていたと書きました。
普段から自分がもう一方の自分を抑圧している状態だと、現実的に密室や閉鎖的な空間に閉じ込められることで、
たとえそれが一時的であってとしても、異様な緊張感と不安感に襲われ、パニックになってしまいます。
過去の記事でも触れましたが、不安障害は
という背景があります。
“普通にしていないと変に思われる”
“できないと駄目な人だと思われる”
そういった強迫観念が心に植え付けられていると、自分でも気づかないうちに自分の行動を縛るようになってしまいます。
強迫観念の大元をたどっていくと、親から引き継がれた“他人軸”の姿勢があります。
私の両親は他人からの評価を通して自分を認識する癖があり、他人軸に偏りすぎている傾向がありました。
恥ずかしい
みっともない
だらしがない
といった具合に、私はいつも両親から他者視点の言葉を浴びていたので、その傾向をそっくりそのまま引き継いでしまった結果、
普通でいることを過度に自分に強いる構造が、自分の中で出来上がっていました。
不安障害を発症してしまうときというのは、たとえていうなら、ジャグリングしながら綱渡りをさせられているときに、
今度は一輪車に乗りながら綱渡りをしろと強要させられているような状態と言えます。
ちょっと例えがわかりにくいかもしれませんが、要するにもういっぱいいっぱいの状態なのです。
なぜなら、普段から自分が自分に対して、
“普通にしていないと変に思われるぞ”
“他の人と同じようにできないお前には人としての価値はないぞ”
と脅しているからです。
そして困ったことに、多くの場合自分が自分をそのように脅していることすら自覚がないのです。
むしろ、それが自分の本当の望みだと信じて疑わず、
“そうだよね。普通にしていないと変に思われるよね。”
“他の人と同じようにできない自分は人としての価値なんかないよね。”
といった具合に、心の底から思い込んでいる場合もあります。
しかし一方で、もう一人の自分はきちんと存在しています。
そして気づいたときには、耐えかねたもう一人の自分が暴れ出し、
“私(俺)のことを無視すんな💢”
といった具合で、その反抗がパニック発作、過呼吸、脈拍の異様な速さ、大量の汗などの身体的な症状として現れます。
そして困ったことに、その身体症状が出たことによってさらに自己嫌悪に陥り、ますます自分のことをいじめるようになってしまいます。
なにかの行動の動機が、“まわりの人に変に思われたくないから”だと、私たちは当然ながら生きづらさを感じてしまいます。
疲れたなと感じたときは何もせず、ただねっころがっていていいのです。
まわりの人に迷惑をかけるから
変な人って思われたくないから
と考え自分の心の声を抑圧してしまうと、知らず知らずのうちに心が蝕まれてしまいます。
まずは、自分の状態がどうなっているのか正しく認識すること。
疲れているなと思ったら、無理はしない。
風邪を引いていなくても、熱が出ていなくても、心の風邪を引いてしまっていることがあります。
心の風邪は目に見えない分、自分ですら自覚することが難しいため、それが表に出てきたときには、心理的な負担やショックが大きくなってしまいます。
私は最近電車に乗った際、満員すぎて強烈な不安感と不快感に襲われ、迷った挙句、発車間際に慌てて電車から逃げるように降りたことがありました。
これまでの自分だったら、不安障害は落ち着いてきたと思ったのに、いつも乗り慣れている電車にすら乗れなくなっちゃったの…?
とショックで自分を責めているか、無理にでもその電車に乗り続けていたかもしれません。
しかし、異様なほどの距離の狭さと圧迫感、むわっとした空気などの環境の悪さに対して、
“気分が悪い、乗りたくない!”
と思ったら、その気持ちを大事にして“乗らない”という選択をすることができるようになりました。
普通に思われなくていい
いつだって自分の気持ちが大事
変な人だって思われたってかまわない
私のことは私が守る
私は私の生きたいように生きる
そう思えるようになったのは、これまで自分なりに自分と向き合ってきたおかげだと思っています。
だいたい、普通の生き方で幸せになれるなら、とっくに幸せになっているはずです。
普通の生き方で幸せになれないということは、もっと自分に向いている生き方が他にあるということなのです。
不安障害は病気じゃありません。
予期できない外的な要素が原因ではなく、もうすでに自分の中で起こっているからです。
“普通にしていろ、じゃないと変な人と思われるぞ、恥をかくぞ、バカにされるぞ”
と常日頃から自分を脅迫しているので、そのストレスから不安障害という形になってしまうだけなのです。
ただ、だからこそ、カウンセリングやセラピーなどの治療を通して、自分の中にある強迫観念を手放していく必要があります。
不安になっていいんです。
だって、自分が自分をいじめているんだから。
ずっと自分が自分をいじめてきたんだから。
体中を縛られた状態で狭い空間に閉じ込められたら、誰だってパニックになります。
自分を開放してあげるためには、普段から自分を縛るのではなく、広場でのびのびと遊ばせてあげること。
あれがしたい
これがしたい
を否定するのではなく、自分の意思を最大限尊重してあげること。
また、できないことは、できないままでいいんです。
できないからといって、あなたが人間的に劣っているというわけではありません。
ただ、苦手なだけ、不得意なだけなのです。誰にだって、苦手なことや不得意なことがあります。そしてそれは、無理に改善する必要はなく、個性の一つとして放っておいていいのです。
満員電車が苦手
人混みがしんどい
そもそも人が嫌い
誰とも関わりたくない
それでもいいのです。
不安障害になってしまったときは、まずはあなたの心を守ることを優先してあげてください。
無理に人と関わることはやめて、自分の心地よさや気分の良さを一番に尊重してあげてください。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました🍀
※追記の記事を書きました。
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