道にも名前をつけてほしい たった一つの理由
あなたが可愛がっている犬や猫にはきっと素敵な名前がありますよね。毎日名前を呼んでいると、ますます愛着が湧いてきたなんてことはありませんか。それはきっと生き物でなくても同じです。
そんな例として、道の名前について書いてみようと思います。
名前のある道は特別な道
世界的にみれば、わが国は狭い国土に無数の道が張り巡らされているといってもよいでしょう。でも、すべての道に名前がついている訳ではありませんね。
昔から地形的に特異な場所、例えば坂道や峠など目印になるような場所に名前がついていたり、橋やトンネルに名前がつけられることはあっても、道のある区間に名前がつけられていることはそう多くないのではないでしょうか。そう考えると、道に名前があるということは結構スゴイことで、名前のある道は特別な道といえるかもしれません。
名前のついた道といって、皆さんはどのような道を思い浮かべますか。
伊豆スカイライン、比叡山ドライブウェイ、やまなみハイウェイなど、車でドライブを楽しむための道でしょうか。実際、お金を払って通行する観光道路には名前が付いていることが多いです。
道だってニックネームで呼ばれたい
一方、都市内の主要な道路にも名前が付いています。東京でいえば外堀通りとか日比谷通り、大阪では中央大通や御堂筋といった具合です。道路標識にも記載されている道路の名前は、正式には通称道路名といいます。主に道路を自動車で走る人向けの道案内用の名前といってもよいでしょう。
これとは別に番号(例:国道1号)や起終点の地名が付けられた名前(例:地方主要道浦和所沢線)もあります。これらは路線名と呼ばれるもので、道路を管理している人がルールに沿って機械的に付けた名前です。こちらが道の「本名」で、先ほどの通称道路名は「愛称」という位置づけになります。
面白いのは「本名」と「愛称」は一対一で対応しているとは限らないことです。例えば、国道246号は渋谷までが青山通り、その先神奈川県境までは玉川通りといった具合に、その土地になじみのある名称が使用されることが多いです。
名前が救った哲学の道
哲学の道は、京都東山を琵琶湖疎水の流れとともに歩く遊歩道です。京都大学で教鞭をとっていた西田幾多郎ら哲学者が散歩しながら思索を深めていた道として知られています。
もとは哲学の小径とか、思索の道と呼ばれていたそうですが、昭和40年頃、水の流れを埋めて車が通行できる道路を建設する計画が持ち上がります。これに地元の住民が猛反対、ある秘策を思いつきます。
それが道に名前を付けるということでした。
この道の存続に市民の関心が高まり計画は見直され、道の名前も哲学の道に決まりました。
この道を沿道の人々が手間暇かけてきれいに大切にしていると、ご近所だけでなく全国から人が訪れるようになります。自分たちが大切にしている道にわざわざ遠方から歩きに来てくれるとなれば、ますます愛着も深まろうというものです。かくして哲学の道は特別な道になりました。
名前を聞くと、景色が思い浮かぶ道
よそから大勢の人が歩きに来る道はほかにもあります。奥入瀬渓流や山辺の道など名前のついた道には、その道の「顔」ともいえる代表的な景色があります。
哲学の道であれば先ほどの景色を思い浮かべるし、下の写真(大門坂)をみると熊野古道らしさを感じるのではないでしょうか。まるで一枚のポスターのようなイメージです。いつかは歩いてみたいという旅の動機づけにもつながっているのではないでしょうか。
その意味では、名前がついた道は観光資源といってもよいかもしれません。歩くことや移動の楽しみ方が出来上がっていることもあります。
西国札所めぐりの巡礼の道であれば、白装束に同行二人の杖を手にするのが定番のスタイルです。立山黒部アルペンルートで信濃大町から立山へ抜ける移動には、トロリーバスやロープウェイ、ケーブルカーなど乗物を次々と乗り継ぎ、次から次へと変化する山岳景観を車窓から楽しむというのが定番の楽しみ方になっています。
道に名前が付いているということは、単に呼び名が出来て便利になったこと以上に、沿道の風景や観光資源をつなぐルートとして沿道や地域の個性を生み出すことにも役立っているのだと思います。