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#全文公開 海のそばに住んでみて [#わたしと海][家族親族・旅・港町の思い出](1392文字)

私の20代の終わり頃に、1年8ヶ月だけ、夫婦で海のそばに住んだことがあります。

私達にとっては、生家の教えや学校の教えを抜け出て自由になり、私達ならではの幸せを掴んだ経験であり、楽しさを人生選びの基準にしたきっかけとなった出来事です。

当時のことは、人生を折り返したであろう今でも楽しく思い出し、夫婦でよく語り合います。

あの日。

夫婦で近くに用事があって通りがかった、その海辺の街で、私はふと閃きました、
「私は、ここに住む」。

縁もゆかりもない土地で、知り合いの一人もいません。

その時点では、その土地には行ってみたい場所すらありませんでした。

何がそう思わせたのかというと、空気です。

空気、そして、陽の光。

澄んで躍るかのような楽しげな空気、明るく広がるカラッとした陽射し。

それらに加えて、海がありました。

直前に立ち寄った海では、心の洗われるような感覚で、穏やかな時間を過ごしました。

私の求めるものがここにある、と感じたのです。

そんなことを感じたことは、それまでにはなく、貴重なことのように思えました。

私達は帰宅してすぐに、インターネットで、試しに、その海辺の街の物件検索をしました。

すぐに、家賃も含めて、まさに好みの物件がみつかりました。

「部屋がみつかってしまいました」
と私は夫にその画面を見せながら言いました。
「この部屋いいよねぇ」

「素晴らしい」
と夫。

それからは、とんとん拍子で話が進み、引っ越しもスムーズにできました。

そこでの生活は、それまでの都会の生活とは全く異なるものでした。

名所は勿論、川沿いや田畑のまわりや住宅街を散歩し、いろんな店に行き、地元探検を楽しみましたが、何といっても思い出深いのは、海でした。

夏には、仕事を控え、私達は3日に1度の頻度で、海水浴に出かけました。

水着を着用して車に乗って海に行き、海でゆったり過ごしてから、水着のまま帰宅して、浴室に直行しました。

海上がりの昼間の入浴は、天国にいるように心地良かったです。

そして、朝採りの魚介類で食事をしました。

それまでも都会の魚屋さんの新鮮と思っていた魚介類を食べていたのですが、朝採りの魚介類の新鮮さは、それとは比べ物になりませんでした。

あんなに美味しい魚介類を食べられたのは、あの海辺の街に住んでいた間だけ。

そんな日々を3ヶ月も続けられました。

海に浮かんで、よく晴れた空を見上げながら、時が無限にあるかのような、満たされた気持ちになったことを今でも思い出せます。

思い出深いのは、日暮れ時に、仕事帰りと思われる、5〜6人の年輩の男性が、円陣を組んで声を上げてから、思い思いに海に入っていったのを数度目撃したこと。

男性でも女性でも、地元の人と思われる人達は、砂浜でさっと着替えて泳いでしまうのですが。

この人達は、人生の最初から、こうして気楽に海で泳いでいるのだ、こんな素晴らしい日々を、幼い頃からの仲間とともに、何十年も過ごしているのだ、と思いました。

その海辺の街での1年8ヶ月はひたすら楽しく、あっという間でした。

その経験は、私の知らない世界がたくさんある、私の知らない幸せがたくさんある、いろんなところに行ってみたい、いろんなものを見てみたいと思わせてくれました。

その思いを大切にして、今、私達夫婦は、私がかつては住むことになるとは思っていなかった、新たに訪れた土地での生活を楽しんでいます。

幸せな毎日です。

天野マユミ


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