masataka ohata / DopeCoara

無意味について考察していきます。昔はブレイクコアという音楽を作っていました。今はサラリーマンとして、デジタルアーカイブ・文化財複製技術者、現代アート制作ディレクター、レタッチャーをしています。

masataka ohata / DopeCoara

無意味について考察していきます。昔はブレイクコアという音楽を作っていました。今はサラリーマンとして、デジタルアーカイブ・文化財複製技術者、現代アート制作ディレクター、レタッチャーをしています。

最近の記事

意味の意味。無意味の意味。

完全な意味の疎通は不可能 これまでの記事から、発信者と受信者の接続によって、「意味」が成立するとわかりました。 発信と受信の二者は、2人というわけでなく、同一人物、人と物、1人と多勢など、送信と受信があれば成り立ちます。 意味は意図の集合です。発信者と受信者は完全同一ではないため、意味の中にある意図を全て接続する事は難しいと考えます。 それは例えば、発信者の伝える意思の無い意図、受信者の憶測や過剰評価の意図など、意味が完全成立しない要因はあまりに多く、意味の成立には常に非伝

    • 2022年聴いた音楽を、無意味性・デタラメ性でまとめる。

      ずっとその年聴いた音楽ベスト10を作っています。 今年はベスト10でなく、無意味性、デタラメ性の視点からまとめてみようと思います。 随分ここを放置しましたが、最近は、無意味やデラタメそのものではなく、無意味性やデタラメ性という要素について考えています。そこはまた今度。 1. 衝動の持続性。ハイパーポップの洗練と終わり。100gecsの成長 マイノリティのカウンター、衝動性、青臭さ、20年代のパンクとも言えたハイパーポップの代表的アーティスト「100 gecs」。 2022

      • 無意味考察333、うすしおと食塩無添加

        無意味を考えて来ましたが、案の定よくわかんなくなりました。 これまでの考察で「意味は意図の集合」、「無意味は意図の無いさま」、あるいは「意図が一つも成立しなかった時」と定義しました。 また、人は無意識の領域が広く、無意識の意図はどこかに内在する事から、人による完全無意味は不可能だと現状考えています。 「全ての事に意味はある」という言葉は、多くの人を頑張らせる勇気の言葉ですが、これが昔から苦手でした。 完全無意味は不可能という結論から、逆説的に嫌いな言葉を証明してしてしまい、

        • ヘンリー・ダーガーの他者に向かない超厚文脈。

          アートはコミュニケーションだって「アートはコミュニケーションである」という話は正論らしい。さっき知った。 アートもまた意味の発信であり、鑑賞者が受信して成立する。そういう意味で、アートはコミュニケーションといえるんだろう。 表現されたアートは、さまざまな文脈の厚みによってその質や精度を上げている。鑑賞者もまた、文脈理解の多さによってアートへの理解度が上がる。 「感じるままに観れば良い」という良くある一見正しいやつは、文脈理解を放棄しても良いという解釈になった時点で、妥協的な

          無意味論 図解テンプレート

          無意味について考察を進めて来ましたが、進むにつれ意味の構造を分析し、そこから「無意味」を体系化する必要があると思うようになりました。 意味は意図に分解され、「意図の強弱」「意図の多寡」「意図の意識性」の構造によって意味が成立します。 ここまでの事をより分かりやすくする為、図解のテンプレートを作成しました。 より分かりやすく無意味、デタラメ、訳わからないを掘り下げて行ければと思います。 図解テンプレートについて この柏餅配色の図がテンプレートになります。 図のクラゲのよう

          無意味論 図解テンプレート

          ジョン・ケージと霜降り明星せいやのデタラメ共通性

          ジョン・ケージは、何も演奏しない「4:33」で知ってる人も多いと思います。この動画は1959年に作曲され、翌年テレビ番組で演奏された「Water Walk」という作品です。 ストップウォッチを片手にセッティングされた物を鳴らしていく、という構成になっています。 これは、デタラメに音を発しているわけではなく、ちゃんといつどの音を鳴らすか楽譜で示されており、それに従って演奏を行っています。  楽譜を見ると、かなり細かくセッティングの指示され、どの音をいつ鳴らすか5秒単位で指定さ

          ジョン・ケージと霜降り明星せいやのデタラメ共通性

          意味とは? 「意味の3つの構成要素」

          無意味を考察していくと、そもそも「意味」とは?という問いが湧く。 無意味を知りたいのであって、意味なんて知らなくて良いんだけど、 意味がわからないと、無意味もわからない。意味の構造について考えてみます。 「意味」は、発信者が受信者へ発信したものである。 受信者がどう受信したかも意味の成立においては重要だが、 あくまで発信者の主導によって意味は発生する。 また、発信者と受信者が同一であっても、意味の発信は発信者の主導である。 「意味」は3つの要素によって構成されている。 「

          意味とは? 「意味の3つの構成要素」

          無意味にとって美とは何か

          無意味の考察は、実のところ「美」とは何かを知る事が目的かも知れない。 「美」は、美学によって長く考察されています。そこは無学なので、一旦知りません。無意味の美しさについて考えていきたいと思います。 ちなみに、吉本隆明の「言語にとって美とは何か」は本棚の背表紙インテリアとして長年活躍しています。 動物の行動や仕草に「美」を見出すことは多いと思います。また、子供の絵やアウトサイダーアートにも似たような「美」を感じると思います。 一方、一般的に「美」とされる綺麗な絵画や音楽、花束

          無意味にとって美とは何か

          クンビア(コロンビア、アルゼンチン)

          コロンビアで19世紀に誕生したっぽいクンビアは、ラジオ・録音文化とともに南米の大衆音楽として根付きました。そのルーツは、奴隷として連れてこられたアフロ系の人々が重要な事を歌とダンスで伝えたもののようです。 2/4拍子のズットコズットコした呑気なリズムからは、レゲエの雰囲気だけでなくアンデスの山岳地帯を思わせる気がします。 00年代、アルゼンチンのクラブZZKでは、クンビアをダンスミュージックしたデジタルクンビアが誕生します。 ベースミュージック下地にクンビアをダンスミュージッ

          クンビア(コロンビア、アルゼンチン)

          禅画をナンセンス、カワイイ視点で捉える

          禅は「無意味」を考える時、多くのヒントがある。 また、どうしてもネガティブに使われがちな「無」や「無意味」を重要視し、有意義なものとしている。 禅には教えを描いた「禅画」というものがあり、そのなかでも江戸期の禅僧「仙厓」の絵は「ナンセンス」「カワイイ」を考察する要素が多く、今後なにかと引き合いに出すと思う。 概要は面倒なのでwikiを引用しておく。その下は絵と解説という形で進めて行きます。 仙厓 義梵(せんがい ぎぼん、寛延3年(1750年)4月 - 天保8年10月7日(1

          禅画をナンセンス、カワイイ視点で捉える

          デタラメの面白さ

          無意味を考察するとき、より根源的な「無」への考察が重要になる。 ただ、しっかり宗教、哲学に踏み込むのは大変だし追々にしたい。 無意味の日常的な事柄の面白さ、構造を考えてみたい。 無意味な現象は、「デタラメ」「ナンセンス」「無駄」と言う言葉で、日々生活の場面に登場する。 他にも、「意味不明」「訳がわからない」「情報が多い」と言った言い方で会話やインターネットで頻繁に使っていると思う。 この言葉の差異の検証も必要だけど、今回は「デタラメ」という言葉の構造を考えてみたい。 ハナ

          デタラメの面白さ

          「世界のリズム」記事化予定リスト

           世界中にある土着的なリズム、音楽を地域別に分け、特徴や文化的成り立ちをまとめていきたい。また、各音楽の関連性までできると良い。  これは読み物というより、私の個人的な忘備録の目的が強いと思いますが、資料的意義が出たらいいなと思います。  ジャンル一個づつ記事にする前に、どんな音楽があるか思い出すため、ジャンルを列挙していこうと思います。随時追記していきます。  個人的な興味でいってしまうので、多分アフリカ、南米のグローカルビーツ、イギリスのダンスミュージックのサブジャンル

          「世界のリズム」記事化予定リスト

          無意味の「意味性」「無意味性」

          例1 「街角からラグビーの音がする、しかも想像を超えた味だ。」 例2 「さかあわらさし、家が子守だとがうぇ。べがだごとうぇおこ。」  どちらの例文も伝える意図のない、無意味な文章です。デタラメな文章ですが、それぞれに違いがあります。例1は言葉単位では意味があり、文節単位では繋がっていそうです。対して例2は全くデタラメな文章です。  例1に意味はありませんが、私の深層的な意図が反映されています。「街角」という書き出しで方向性の幅を先に担保し、「ラグビー」のグビーの心地よさ

          無意味の「意味性」「無意味性」

          このnote主題、無意味の「意味性」「無意味性」について。

          無という事に物心ついた時から、ずっと惹かれていた。 子供の頃、言葉の断片を書いた紙をティッシュ箱に入れて引き、 デタラメな文章作って、何回もずっとゲラゲラ笑っていた。 そのまま大人になり、デタラメな音楽を作り、 今もそのまま無意味に惹かれている。 このnoteは、哲学的、仏教的な「無」を根本に持ちつつ、 「無意味」にフォーカスし、考察と現象について深めていきたい。 主題とともに、関連していくかわからないけど、 下記3項目で考察を進めていこうと思う。 「無意味」について

          このnote主題、無意味の「意味性」「無意味性」について。