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禅画をナンセンス、カワイイ視点で捉える
禅は「無意味」を考える時、多くのヒントがある。
また、どうしてもネガティブに使われがちな「無」や「無意味」を重要視し、有意義なものとしている。
禅には教えを描いた「禅画」というものがあり、そのなかでも江戸期の禅僧「仙厓」の絵は「ナンセンス」「カワイイ」を考察する要素が多く、今後なにかと引き合いに出すと思う。
概要は面倒なのでwikiを引用しておく。その下は絵と解説という形で進めて行きます。
仙厓 義梵(せんがい ぎぼん、寛延3年(1750年)4月 - 天保8年10月7日(1837年11月4日))は江戸時代の臨済宗古月派の禅僧、画家。禅味溢れる絵画で知られる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8E%93%E7%BE%A9%E6%A2%B5
きゃんきゃんワンワン
「きゃん、きゃん」て。
まずは仙厓の真骨頂、適当でカワイイ絵を観てみよう。鳴く犬である。
腰にリードまかれて、やめてくれの状態なんでしょうか。
仙厓は禅の教えを広める目的もあり、多くの人に禅の教えを描いた絵を描いて渡していました。この犬の多くありますが、子供にでも描いてあげてたのかな。
江戸絵画の犬といえば円山応挙が有名で、弟子の長沢芦雪の「白象黒牛図屏風」は、もはやミームです。有名になりすぎて絵全体を観た人今や少ないのではと思い、参考画像として貼っておきます。話には関係ないです。
絵描くの辞める宣言の絵、そして即時撤回(トドかわいいから)
人気が出すぎた仙厓のもとには、描いて欲しい人が殺到してみんな紙を置いて行った。それがめんどくさすぎたのか、もう描きません宣言「絶筆碑」を描いて筆を断ったという逸話が残っている。
ある日海岸に珍しい動物がいると聞き、見に行くとトドがいた。居ても立っても居られず、トドを描き早々に絶筆を撤回してしまった。
この絶筆は一回の出来事ではなく、何回もあったようです。
正解は「靴を頭に乗せる」
有名な禅問答を描いた「南泉斬猫」も緊張感が無くなんのこっちゃである。
この絵の問答もなかなかナンセンスで、諸説あるが適当に紹介します。
2人の坊さんが「犬には仏性あるけど、猫ってどうなの?」論争をしていました。そこへ偉めの坊さん南泉禅師が子猫を持って現れ「答え出せないと、この猫殺しちゃうぞ!」といい、誰も返答できなかった為子猫は殺されてしまいました。
その後、南泉は賢めの弟子趙州に「お前ならどうした?」と聞くと、越州は靴を頭に乗せ出て行きました。南泉は「あいつがいたら、猫を救えていたのに」と言った。
なにそれ。大体そういう話です。一見ナンセンス話ですが、簡単には解釈できない多くの意味が含まれています。
「無意味の意味性」を考えると、「意味性の強い、一見無意味」と言えます。
全部と無限はお饅頭
禅の教えを表した一筆の丸「円相」、この丸は悟りや真理、仏性、宇宙全体を表現していて、多くの禅僧が描いている。
仙厓も円相を多く残しているが、添えられた画賛はいつも「これ喰って、茶のめ」である。形骸化してしまった円相へボケで皮肉っている。
また、仙厓の代表作「○△□図」は、円相を再定義した野心的な絵でもある。
ニルヴァーナも楽しい昼寝
仙厓の師とも言われる斎藤秋圃との競作。この絵は仙厓の死を描いた変わり涅槃図というより、昼寝してオナラして、納豆汁が枝にぶら下がってる絵っぽいです。詳しくはリンクのPDFを参照ください。
http://idemitsu-museum.or.jp/research/pdf/05.idemitsu-No20_2015.pdf
もういいか。きりない。またやろう。
「無意味」の「意味性」「無意味性」実践 報告2
「無意味の意味性」の実践報告をします。
下記投稿は、仙厓オマージュの作品です。
適当、雑に曲と映像を作るスタイルが何となく出来てきた頃のやつです。