自分は自分、他人は他人
はじめに
大学で一番仲の良い友達の話をしよう。仮にS君とする。
S君は人当たりが良く、喋り上手なので常に周りに人がいる。調子のいいこともよく言うのだが、根は真面目で成績優秀。
まぁ背は小さいけど笑。あと気も小さいけど笑笑。
もう1人、俺の親友を紹介しよう。仮にK君とする。
K君は俺の一番仲のいい親友だ。高校時代、同じ吹奏楽部に所属し、苦楽を共にした。
彼は、ストレートに言えば「おデブ」だ。だが、ゆるキャラのような愛嬌があるので、言うなれば愛されキャラである。
いいなぁ、欲しいなぁ…。
彼らと共に過ごしてきて、羨ましいと思ったことがないと言えば嘘になる。
俺は人見知りで口下手だから、喋り上手で人当たりのいいS君に羨ましさを感じたことがある。
あと愛嬌もないタイプなので、愛されキャラのK君に対しても、いいなぁ…という目で見たことがある。
このnoteを読んでくださっているあなたも、同じような経験をしたことがあると思う。
いわゆる、隣の芝は青く見えるというやつだ。
人間は、自分にないものに、必要以上の価値をつけると同時に羨ましさを感じる。
我々は、ないものねだりをする生き物なのである。
隣の芝が青く見えているのはその隣の人も…
相手の長所ばかりに目を向けていると気づかないことがある。
実は相手も、こちら側を羨望の目で見ていたということを。
実は2人ともあまり背は大きくないので、よく「いいなぁ、身長高くて」と言われる。
またK君は最初に言った通り「おデブ」なので、しょっちゅう「なんでそんなに足細いの?」と言ってくる。
隣の芝が青く見えるのは、あなただけじゃなく、そのお隣さんも、あなたの芝が青く見えているのだ。
あなたは、あなたでしかない
S君のコミュニケーション力が欲しい、K君の愛嬌が欲しい、と思っても、俺は俺だ。
S君でもなくK君でもなく俺は俺。残念ながら、彼らになることはできない。
なれないのだから、ならなくていい。なろうとしなくていい。俺は俺のままでいい。そしてあなたもあなたのままでいいのだ。
鳥のように空を飛びたいと思っても、我々人間は羽をもっていないから飛ぶことはできない。
チーターのように速く走りたいと思っても、陸上最速の動物に敵うわけがない。
できないことを追い求めるのではなく、できることに集中して、それを極めていくことが大事なのではないだろうか。
隣の芝ばかり見ていないで、自分の芝を青くしよう