トミボーディ【Dhamma Space】

仏教系ブログ「Dhamma Space」の管理人 1988.5.21 兵庫県宍粟市出身 分別論者、仏教と瞑想

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最近の記事

縁起、他力、そしてダンマの話

こんにちは、トミボーディです。 前回から随分期間が空いてしまいました。 今回のブログのタイトルテーマは 「縁起、他力、そしてダンマの話」になります。 仏教を勉強しているとよく思うことがありまして 自分がどの宗派、グループ(部派)に属する或いは基づく形で仏教を学んでいるかでその宗派なりグループの教義やバイアスが少なからずとも影響した中で仏教を理解しているのではないかとおもうのです。 それらによってはやはりブッダの本来の教えとは違った形なり文脈で仏教を理解してしまってはいないだ

    • 仏教の多様性

      こんにちは或いはこんばんは、随分とご無沙汰しております。 さて今回は仏教の多様性についてお話しようかなと思います。 現在世界中の仏教には様々な宗派、グループがあります。 大まかに大乗仏教、上座部仏教、密教と分けれますがその中でも大乗仏教には更に複数の宗派があり仏教というのは実に多様性に富んだ世界でも稀に見る宗教です。 とくに日本の大乗仏教は浄土教、密教、律宗、禅宗、法華など様々な宗派がありますが、皆さんが仏教と言った時にやはり想像されるのはこういった「日本の伝統仏教」ではない

      • 上座部仏教界隈への提言

        こんにちは、トミボーディです。 2024年になりましたね。 まずは新年のご挨拶をと思っておりましたが1月1日の元旦に起こりました能登半島地震に見舞われた全ての被災者の方々にお見舞いと亡くなられた方々にお悔やみを申し上げます。 まだまだ大変な状況でありますし強い余震がありますが、皆様が一刻も早く平穏な日常に戻れますように願っております。 さてタイトルにあります様に今回は日本の上座部仏教界隈への提言を書こうと思うのですが、そんな大した事ではありません。 ですがこの半年あまりの活

        • 人生は借りぐらしである

          こんにちは、トミボーディです 今回のお話は 「人生は借りぐらしである」です 私たちは生まれてきた時から今まで、いろんな経験をしてきました 楽しい時もあれば辛い悲しい時もあったし 悩み苦しんだこともありました 病気になったり怪我をしたり いろんなことがありました そんな時間を私達は人生と呼びますし、自分の過去から現在、未来にかけて思いを馳せもします しかし仏教ではこの人生、もしくは自分自身 「借りぐらし」の様なものだというのです 有名なジブリ作品に「借りぐらしのアリ

          心の騒がしさに巻き込まれない

          こんにちは、トミボーディです さて世間ではオミクロン株の流行で大変な数の感染者がでてますね それに伴い、SNSやネット、テレビなどでは様々な論評といいますか、意見が飛び交う毎日です。 また国際情勢ではロシアとウクライナの問題、世界的物価高の経済的不況などまだまだ、世界は不確実性を深めているようです 私自身、普段からネットやSNSなどの書き込みをよく目にするのですが、上記にあげた様々な事柄に対してネガティブな内容であったり誹謗中傷や中には陰謀論もあります このような内容を

          心の騒がしさに巻き込まれない

          不文字ということ

          こんにちは、トミボーディです さて今回のテーマは「不文字ということ」です 不文字というのは書いて字の如く、言葉によらない、使わないという事です というのも仏教は生きることは苦しみであるというのですがそれには二つの側面があります 一つは「生命体としての苦しみの根源」、つまり三毒や執着(渇愛)といったよく聴く仏教のお話です 二つ目は「人間(人類)としての苦しみの根源」、つまり犬だとか鳥だとかという生命というカテゴリーではなく、人類という特定された種の苦しみの根源です

          この身体は乗り物である

          今回のブログ記事のタイトルはずばり 「この身体は乗り物である」 ぱっと見、危ないお薬をやってるのかな?という感じのタイトルです ですが、「この身体は乗り物である」というのは実際に私が瞑想をし始めた当初に体験した感想というか「気づき」なんです 瞑想を始めた当初、私はマハシーメソッドのラベリングのマインドフルネスをしておりましたが、お腹の膨らみ縮みに意識を向けひたすら瞑想をしていた時のことです ふと、身体の感覚が楽になり多幸感のような不思議な充実感がでてきたとき、直感的に心と

          この身体は乗り物である

          心の池を濁さない 静寂ということ

          こんにちはトミボーディです 今回は池の喩えのお話をいたします 池の水面に一滴の雫が落ちたとしましょう その小さな衝撃は緩やかに水面に波紋として円を描き、水中に微弱な振動として水底まで伝わります 池の中を泳ぐ魚や海老達はもしかしたら腹の空かした者がその雫の小さな衝撃に反応するかもしれません ですが、水底に眠る魚達は反応さえしないでしょう 魚達が池の水がひっくり返るような大騒ぎはしないはずです ところでこの喩えを私達人間に置き換えると、どうでしょうか? ほんの少しの

          心の池を濁さない 静寂ということ

          瞑想とは 安らぐ在り方

          こんにちはトミボーディです。 さて、皆さん瞑想というとどんなイメージがございますでしょうか? 呼吸をしながらゆっくり精神を集中させたり、心を安らげたり、或いは神秘的体験をするようなイメージがあるかもしれません。 いずれのイメージもおそらく瞑想で経験するかもしれません。 ですが、いろいろなメソッドがあって宗教や宗派によってはかなり違いがあるのも確かですね。 仏教の瞑想でもかなりのメソッドがあって、ブッダは約2000もの瞑想法を伝えたといいますから本当に様々なメソッドがあり

          瞑想とは 安らぐ在り方

          ブッダ 覚者の偉大なる功績

          こんにちは、トミボーディです さて今回題しました「ブッダ 覚者の偉大なる功績」 私は仏教の開祖のブッダを「生命史上最高の功績者」だと思っているのですが、今回はその事についてブログを書いていきます なぜブッダが生命史上最高の偉大な功績者かといいますとずばり、「生命の壁を超越」しちゃったからですね 何を超越したかといいますと人によっては「死」だと言われる場合もあります ですが、不老不死の生命もいるわけですからそれだけではないのです ブッダは生きることは苦しみだと仰ってい

          ブッダ 覚者の偉大なる功績

          私の内(なか)の仏に出会う

          こんにちは、トミボーディです さて今回は「無我 私の内の仏に出会う」です つい先日、YouTubeで「働く細胞」というアニメを観ました 何回か観たことがありましたが、何回見ても面白いですね☺️ さて、この「働く細胞」とは人体における様々な働きをコミカルにアニメーションで描かれているのですが、このアニメはまさに「無我」を勉強するにはもってこいの教材だとおもいます 私達の身体には約「37兆2000億個」の細胞がいます さらに「100兆個」の腸内細菌がいますし皮膚や頭皮にも様

          私の内(なか)の仏に出会う

          フィクション沼 輪廻からの解脱

          こんにちはトミボーディです☺️ さて前回フィクションの話をいたしましたね 今回は「フィクション沼」について少し丁寧に話をしていこうかとおもいます この世界はフィクションである というのも我々は虚構、妄想、幻想の中を生きているからなんですね これは何百万年もの進化の歴史を得てもなお人類は変わらずフィクションを生きていますし、何億年と生命はその「輪廻」を繰り返しています 今から2500年前にインドにブッダ、ゴータマシッダールタ(ブッダの本名)が誕生した時も相変わらずフ

          フィクション沼 輪廻からの解脱

          フィクションを超える ノンフィクションな在り方

          こんにちはトミボーディです さて皆さん、前回のお話しで「立ち位置が変わる」というお話をいたしました この「立ち位置が変わる」という事を言い換えると「フィクションからノンフィクションに在り方が変わる」といえると思ったんですね フィクションといった時にこれは「自分を含めた普遍的価値観の世界」です つまり「自我」がある事を前提としての「普遍的世界観」、「虚構」と言ってもいいですし「幻想」や「妄想、妄執」と言ってもいいんですが、それら全てが 「フィクション」である といえ

          フィクションを超える ノンフィクションな在り方

          エベレストの喩え 悟りの境地

          こんにちは、トミボーディです 今日は悟りの境地をエベレスト(チョモランマ)の喩えと題しましてブログを書いていこうかとおもいます さて悟りの境地とはどんなものでしょう? 私は悟っていないのでわかりません😅 ですから厳密に「これだ!」とは言えません じゃあもう身も蓋もないではないかとおもいますよね? ですので身も蓋もないような私が思いつく限りのことしか言えないんです ただ、「悟りの境地」 といった時にそれは「言語化できない領域」でもあります ブッダが悟ったのは「無

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          安全地帯など無いという事

          昨今、新型コロナウィルスの世界的パンデミックで私達の日常といいますか、生活はすっかり変わってしまいました 特にここ最近は緊急事態宣言時よりも多くの感染者数を日々更新しており、ますます心ボソい、そわそわした日々かとおもいます ですから、こういう時代だからこそ私はお話したいのは この世界に「安全地帯など無い」ということです 私達はいまウィルスや経済危機、または米中の対立からの軍事紛争など様々な「不安」に苛まれる日々を過ごしています または自然災害で被災された方々もしかりです

          安全地帯など無いという事

          ジタバタしない在り方

          さて、今回は新型コロナウィルスやその影響で経済的にまたは精神的にダメージを受けてるという方に向けて少しお話しをさせていただけたらと思います いろいろなことがあります 非常に困難です 100年に一度と言われてる疫病や恐慌の時代に、私達はどう対応しながら暮らしや健康を守っていけばよいのか そうした時に大切なことは 「ジタバタしない在り方」ではないかと思うのです 自分の力では到底どうにもいかないような、不可抗力な事案や事態に巻きこまれたとき、人は何か「対策」を講じなければ

          ジタバタしない在り方