心の騒がしさに巻き込まれない
こんにちは、トミボーディです
さて世間ではオミクロン株の流行で大変な数の感染者がでてますね
それに伴い、SNSやネット、テレビなどでは様々な論評といいますか、意見が飛び交う毎日です。
また国際情勢ではロシアとウクライナの問題、世界的物価高の経済的不況などまだまだ、世界は不確実性を深めているようです
私自身、普段からネットやSNSなどの書き込みをよく目にするのですが、上記にあげた様々な事柄に対してネガティブな内容であったり誹謗中傷や中には陰謀論もあります
このような内容を目にする時、書く側も見る側も「心の騒がしさ」に流されてはいないでしょうか?
仏教では「貪・瞋・癡(貪りや欲望・怒りや憎しみ・無智や無明)」という三毒と呼ばれる煩悩が人間にはあると説きます
この「心の騒がしさ」はまさに三毒からくる騒がしさであるといえます
不安や不満、ストレスといった心がうける負荷を心は刺激として貪・瞋・癡をベースに気がつかないうちにどんどん増幅させてしまいます
気がつかない、これが無智、無明の大きな特徴なのですが、ついつい「流してしまう」癖のような、習慣的な心の在り方ができてしまって愚痴やら誹謗中傷やら心無い言葉を口にしたり文章にしてしまうのです
ですので、心の騒がしさに「流されない」在り方の習慣を心に作ってあげるというのがよいのかなあと私は思います
では具体的にどのようにすればよいのか
単純ですが、「離れる」これだけです
まずはそれらのもの(誹謗中傷やネガティブな情報)から離れる
それから、もし自分の気持ち、心に芽生える感情に快・不快が現れたとき、またはそれに基づいた言葉や想いがでてきたとき
それらに少し時間を与えてみてください
つまり、すぐに表面に出さないで自分の中でいったんストップをかけてあげる
そして冷静さを持って、この想いや言葉について考えてみる
もしくは、ネガティブなものなら、離れてみる
心というのは刺激が大好きです。
ネガティブだろうとポジティブだろうと関係ないんです
すぐに刺激に反応する言わば飢えた獣(煩悩)が巣食うのが私たちの心だとイメージしてみてください
その飢えた獣(煩悩)から離れる
まさに心の騒がしさの正体はこの獣(煩悩)です。
だから離れる、流されない在り方なんです
私が普段考えてるのは例えば、この心騒がしさや心のおしゃべりには常に「私」という主語が関わっていると思うのですが、これらの私(自我)や、心の騒がしさ、感情や想いも、情緒もつまりは意識そのものも、ただの「現象」に過ぎません
仏教でいうところの「名色(心の現象、体の現象)」でしかない、という事です
所詮といってよいのかわかりませんが(笑)、この意識や感情、気持ちなどもまた様々な身体的感覚(五感)でさえも私達の物理的な化学反応や生理的反応としての現象であって、本当はただそれだけの話なんですね
関係性(縁起)によって生じた現象が観念的な表現として私であったり、アナタであったりと言ってるにすぎないんですね笑
諸法無我、諸行無常ですね
そう考えれば、「離れる」というのは、煩悩も私という想いも、この意識もただの現象にすぎないのだから
「気にしない在り方」といってもよいのかもしれません
(2022年2月の記事から)