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丁寧か粗雑か - 「読み取り」のデザイン《後編》
《前編》とは対比的/反論的に進めます。
👇未読の方は先にお立ち寄り下されば幸いです🙇
当方の日常、つまり仕事現場やネット生活周辺で見舞われている(ここで定義するところの)読解力の欠如は、〔大人〕について言っているわけですが、その傾向に留まることなく〔学習世代〕においても浸透してきているようで、困惑を隠せません😫
”力”が乏しくなってきているのではなくて、社会全体で推進の方へ作用されている/追い風に乗っている、というところ。
・・・なかなか、筆舌は困難なのですが💦
高校や大学の入学資格検定に出される問題を見たことがありますか?近年の傾向と昔とを比較する目線を持ったことは?
端的に言うと、
とんでもなく分量(≒文字量)が多い
「丁寧に読み進める」などというスタンスを持っていては、諸々の設問に解答/正解に至る という至上命題(実施目的/評価基準)に辿り着くことは事実上不可能である事態にまで及んでいる、と感じざるを得ません。
ななめ読みをし、短時間で、如何に”読んだ気になる”か。
学力ではなくて要領の良さが問われている。
それって、「学び」の本質なのでしょうか?
文部科学省等の関係機関が発する〔趣旨〕や〔作問のねらい〕を纏めたものを深く読んだわけではないのですが、日本人の「望ましい成長」のために重視することについて、表面的に上手く書き並べられているように見えます📖
思考力
判断力
表現力
創造力
資料解析力
問題解決力
・・・
これらは何かと多義的で拡張性があるため、やんわりと意味を捉えるに留まるのですが、端的に言えば『総合力』。「勉強して、覚えきれたか否か」ではなくて「考える力」の方に寄せている。と言ってしまえば、(既にお気づきのように)当方も大賛成です✋
でも、なんだか、違和感を隠せません
「詰め込み教育」を反省し、つまり「単に〔知識〕を問うスタンスからの脱却」を意識していることは、貴方を含めた多くの人が認知しているのだと思います。
過去の方式ではその傾向があった。そしてそれを見直そうとする。当方はこの点についてもどちらかと言えば賛成です。「知っている」だけでは大して役に立たないからです。『知識ばかり豊富な人』が仕事で空転している様子は山ほど窺えます。
ではその代わりに何が求められるのか?
【問題文】及び【設問の文章】。問題冊子の文面に対峙し、雑に眺めた(≒斜め読み)程度で如何にして<問い>に対し正答できるか。
~細部に気を取られることをせずに”情報処理”しようとする
テクニックの到達度は如何ほどか
※そのくらい、桁外れな文字量
低年次からの日々の学習~受験を意識した勉強期間の積み重ねで鍛錬した結果を発揮できる要素はすっかり弱ってしまっていて、『要領の良さ』が好成績取得の条件(すなわち合格判定基準)になってしまっているということを近年ずっと感じています。
もっと言えば…
もはや『勉学ではない』と。
・”要領”を教えてくれる人に出逢えるか
・自ら”要領”を掴めるか ≒勉学努力とは異質のもの
つまり、コツコツと鍛錬してくればある程度のところまで達することができる💪という奨励要素が乏しくなってしまっていて、「努力次第で何とかなる」感が薄く、人としての資質の方に大いに寄ってしまった… そんな風に感じるのです。※就職試験であれば「社風に合うか」が一大査定基準であるのでそれでよいでしょう
いかにして、雑に眺めた(≒斜め読み)程度で済ませられるか
そのスキルって、今回の記事で提起・問題視している「読解力の衰退」「雑な読み方の促進」に大いに繋がる要素なのではないか、という懸念。
国内の『教育分野の至上』が熟読させる指導とは逆の方向へと促している実状にあること。
その本質について、もっと考えられたいと思う次第です🙇
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