鶏口となるも牛後となるなかれ《前編》 +
四字熟語:鶏口牛後 として慣用されますが、元のフル・フレーズは『鶏口となるも牛後となるなかれ』と”和訳”されます。
故事成語の中でも、〔充分に周知されている〕わけでもなければ、〔知っている人が少なすぎて、見栄を張って使うとかえって格好悪い💦〕という例でもない、そんな感じでしょうか。
「初めて聞いた😷」という人のために、念のために添えておきますと。
・〔鶏口〕とは、ニワトリの口であって、いわゆる”アヒル口(くち)”タイプの人のことではありません🙅 口≒頭の方。体の前方☝
・〔牛後〕とは、"p.m."のような【午後(ごご) - 午の刻より後🐎】ではなくて、牛=うし🐄 ですよ
⇒鶏口牛後 - けいこうぎゅうご と読みます📖
◆ 鶏口となるも牛後となるなかれ ◆
『史記』蘇秦列伝に書かれています
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では、本題です☝
入学試験と『鶏口牛後』との思考関連性
とは何でしょうか?
皆さんの身近にそのような人がもしいたら特に、以下の点を考えてみるとよいかもしれません💡
受験という関門を乗り越えた後の〔学業成績〕や〔”落ちこぼれ”防止〕に関しても、『鶏口牛後』が当てはまりませんか?
中学の時に偏差値60≒クラスや校内でも成績上位にいて、トップクラスの高校を受験し、合格ラインギリギリで進学したものの、これまでのポジションから一転、高校内での偏差値40の下位になった・・・😫
高校全体のベースが高いので、「他校を混ぜた全体の大学受験競争においてはそう悪くない」
との見方もありますが、あくまで校内基準の観点でなら「成績は良くない」と判定されてしまいますよね。
”成績上位者”で居続けたいのであれば、そこに満足感を得られるのであれば、無理してまで上位校に滑り込もうとするのはいかがなものか…
この捉え方は、『鶏口牛後』の一例でしょう📖
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【大学における学問は、高校までの学習とは異質のもので、それまでの”出来”との因果関係なく続く】 - アカデミックな見方ではそうでありたい/そうあるべき と思いたいところなのですが、近年の【全体的な学力低下】の流れからの実状では、基礎学力が不足して入学させたために、「大学での学問」がままならない、という事態についての”嘆き”言及されることもチラホラ… のようですが、その要件は前述したように「異質」と捉えて、一旦横に置いておきます🙏
他方で、高校に入った際には、中学の勉学の延長である様相が満載。
なので、『鶏口牛後』。
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ここまで「鶏口牛後の方がよいのでは?」との見方を展開してきましたが、逆の作用側面もあることにもお気づきかと思います🤔
周囲に”デキる人”が多いと、刺激になるなど『切磋琢磨』系の要素があり、かえって伸びる⤴という展開にもなり得ます👍
もちろんその人の特性によるものなので一概には言えませんね。
これって、👇の昨日の記事にも通じているように思います。
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さらに…
《進学ではなくて就職の場合はどうか》
☞明日、続編をupします。
お子さんなどがこれから就職について考える時期を迎える場合でも、そうでなくとも、お見逃しなくどうぞ(^.^)/~~~
《20230317 18時頃にリンクが有効化します👇》
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