書かずにはいられないもの——町田康『私の文学史』、早川義夫『女ともだち』
拝啓
いつになっても梅雨は好きになれません。ただ、雨が上がり、地面からむわっと湿り気が立ち昇ってくるような宵闇に、我が家の前に流れる小さな川に沿ってほんの少し歩きます。すると、両岸の雑木をぬって飛び交うホタルが見られるのです。風に流されたのか、たまに庭先で光の筋を見ることも。今夕はどうなるでしょうか。
あなたからのお手紙、両手で押し頂くごとく受けとめました。有り難し。そして何度もなんども読み返しました。
宮本輝『幻の光』、お読みくださったのですね。実は私も宮本輝の、あまり良い読者ではありません。書棚には文庫本が数冊並んでいますが、大半が未読です。
そして私も筒井康隆「ジャックポット」所収の『川のほとり』を読みました。筒井康隆の本を読んだのは、はるか昔に何気なく手に取った『時をかける少女』と、批評として読んだ『短篇小説講義』だけです。
三途の川をおもわせる河原、すなわち『川のほとり』で、前年の冬に亡くした息子と<再会>する物語。筆者であろう作中の「おれ」は、死後の世界を否定している以上、亡き息子と話ができるのは夢を見ているからであり、自分の意識が作り出したものだと自覚している。けれど、夢から醒めないでほしい。喋っている間は消えないだろうと考え、まさに夢中で息子に喋る。
『幻の光』のゆみ子も、『川のほとり』の「おれ」も、みずからの意思とは無関係なところで、生や死といった決定的な物事が起こります。しかし、それも人生。大切な人の死に馴れ、自分だけが生を享受するという恐怖と罪悪感に抗う。私はそれを、亡き人であっても「思い出す」という現在の営みであると考えました。他方、あなたは町田康『私の文学史』を引用し、言葉で「魂」に形を与えることで、「無常」や「孤独」に抗おうとしているのだと話してくれました。
町田康といえば宇治拾遺物語の現代語訳『奇怪な鬼に瘤を除去される』。「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」が手元にあり、大笑いしながら読んだものです。さっそく『私の文学史』も読んでみました。
あなたが「魂」について引用した「第十二回 これからの日本文学」では、まず日本文学とは何のためにあるのか、という問いに対して、読者にとって「魂の慰安を得られる」(p225)と書かれています。さらに、なぜ自分は文学の言葉の中に生き延びたいのか、「自分の魂を言葉に込めたいのか」という問いを継いで、その答えとなる理由3点のひとつめとして、自分の魂の形を塗り固めたいと述べています。実はここで、ふと立ち止まってしまいました。「魂」とは何か。
夭逝した哲学者の池田晶子は、「私とは何か」「死とは何か」に加えて「魂とは何か」と短い生涯で問い続けました。『魂を考える』という著書もありますが、ここは平易な言葉を求め、つい1か月前にも再読した講演録『人生のほんとう』を開きました。
池田晶子はまず辞書を引きます。「私の魂」という言い方のときは、たいてい「心」または「感情」という意味で使っている。「魂の叫び」という言い方ならば、より深い、ある種の真実をにおわせる。「肉体と魂」という対比を用いるときは、肉体と「精神」という並べ方と同じです。総じていえば、魂という言葉は「私」、つまり自我と同一だと池田晶子はとらえます。
そして、魂というと、なんとなく丸い形をした塊状のものを思い浮かべてしまうことから、魂は実体的なものであり、死後も魂は存続するというイメージがつきまとっていると指摘します。しかし、魂というものは、実際には手に取ることもできず、目で見ることもできない。だからこそ、人は物語という形式を使って魂を語るのだろうと池田晶子は考えます。これは町田康が、言葉によって自分の魂の形を塗り固めたいという思いに通じます。
自身の心や自我、みずからの精神、自分の本質的なものを示し、目には見えないから言葉で形を表象し、物語という形式で死後も存続する。それが魂のようです。分かったような、分からないような。ただ、ここでもう一度『私の文学史』に戻ったとき、「第九回 エッセイのおもしろさ」で、すとんと肚に落ちました。
町田康は、エッセイという言い方ではなく、随筆と呼びます。人は文章を書くとき、いい文章を書こうとか、格好つけようとか、自意識にとらわれる。そんな自意識から逃れた文章が、いい随筆だといいます。しかし、有名な人の随筆ならば、その人の表の顔があるから、日々の何気ないことを書いても成立します。それに対して、無名な人の随筆は、日々の何気ないことを書いたとしても、読み手における日々の何気ないことと大差ないので、成立しません。
しかし、誰であっても、無名であっても、絶対におもしろい文章を書くコツがあると町田康はいいます。それは「本当のことを書くこと」。そのときの本当の気持ち、本当に考えたこと、本当に思い浮かべたことを、書くという自意識にとらわれずに、正直に書くとき、その随筆は面白くなるというのです。
ここで私が思い浮かべた随筆は、元歌手、元書店主、再び歌手の早川義夫『女ともだち』です。
早川は10代から「ジャックス」というロックバンドで活躍しながらも、21歳で解散し、引きこもるように書店を20年以上営んでいましたが、40代後半でシンガーソングライターとして再デビュー。ジャックス時代の代表曲「サルビアの花」は桑田佳祐や井上陽水にもカバーされています。
書店主だったころから文筆には定評があり、エッセイ集もいくつか出しています。朝日新聞の読書欄でミニ書評を書いていたこともあるほどです。『女ともだち』は、18歳で出会い、20歳で結婚した妻の静代さんが2018年に発病し、翌年に死に至るまでを綴った随筆です。
「この世で一番美しいものは、この世で一番いやらしいことだ」と断言する早川義夫の随筆は、あっけらかんとしていて、とても風通しがいい。夫婦間も同じで、早川が浮気をして恋人をつくっても、学生時代から変らず「しい子」と呼ぶ妻に包み隠さず相談する。すると妻も相談に乗ったり、その彼女へのプレゼントを買ってきたり。早川が大きく年の離れた恋人をもったとき、自分は父親のふりをして、彼女は娘のふりをして、「何が正しくて何が間違いかは キレイに思えるかどうかの違い」と歌詞にも随筆にも書く。実は書くのに苦労しているとこぼすことも多いが、それも含めて、自意識にとらわれず、「本当のこと」が書かれている随筆です。読んでいるこちらが恥ずかしくなるような、正直な気持ちが書かれています。
そこまで信頼し合っていた妻を亡くしたとき、早川はこう書きます。
書かずにはいられない、胸を衝きあげる想い。自分のほかに、これを誰が書けるというのか。見て、聞いて、触れて、感じたことを、自分が言葉で書き残さなければ、いったい誰がやるというのか。自分しかわからないことに、言葉で形を与えたい。自分でも見たいし、人にも見せたい。だから書く。
かつて民俗学者の宮本常一は、「記憶されたものだけが記録にとどめられる」と述べました。妻・しい子が生きていたという確かなことを示すために、早川義夫は書くことを選びました。ひたすら精密な描写をして、巧みなレトリックを用いて、どのように美しい随筆を書くか。そんなことはまったく意識していません。みずからの魂を、しい子の魂を、書かずにはいられない。そんな衝動に早川義夫は身を委ねたのです。そういえば、私がはじめて手にした早川義夫のエッセイ集のタイトルは『たましいの場所』でした。
町田康のいうとおり、随筆で「本当のこと」を書けるようになりたいです。日々修行です。
敬具
既視の海