ジャノメ食堂にようこそ!第2話 初めての団欒(4)
黒狼は、鹿の足を傷つけないように咥えて持ち上げる。
「これで良いか?」
鹿を咥えた口の隙間から器用に声を漏らす。
「はい。お口を煩わせて申し訳ございません。主人」
アケは、深々と頭を下げる。
黒狼は、黄金の双眸をきつく細める。
「主人?」
しかし、アケは黒狼の声を聞いておらず、頭に浮かんだ手順通りに作業を進める。
まずは、鹿の首筋に包丁で切る。
首筋から重力に従い、大量の血が溢れ出す。
本当は、バケツに溜めるか川原でやるのがいいのだろうが仕方ない。
次に鹿のお尻からお腹にかけて大きく切れ目を入れる。
膀胱や腸に傷を付けないように丁寧に。
(皮を剥ぎ取ってもらってたからやりやすい)
手応えもよく分からないままに筋肉を切り、膜を破る。
その途端に鹿のお腹に詰まっていた内臓が雪崩のように落ちる。
緑翼の少女が青ざめた顔で「「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
これで良し!
アケは、満足げに頷く。
「ぷぎい」
猪が嬉しそうに声を上げてアケを呼ぶ。
「主人・・もう少しで血が抜けると思うのでもう少し持っていて頂いてもよろしいですか?」
アケが恐る恐る言う。
黒狼は、黄金の双眸を細めて主人・・と小声で聞き取れないくらい不満そうに言いながら「分かった」と答える。
アケは、猪の方に向かう。
猪の足元には川魚が並んでおり、綺麗に鱗が剥がれていた。猪が蹄を使って丁寧に剥がしたのだ。
「上手よ。偉いね」
アケは、口元に笑みを浮かべて猪の鼻を撫でる。
猪は、触れしそうに「ふぎい」と鳴く。
「出来たよー!」
白兎が子どものように甲高い声で呼ぶ。
アケは、白兎の方に行くと彼の足元で小さく千切られた葉物や草が木の皮の上に盛られていた。
「つまみ食いしなかったよ」
白兎は、勝ち誇ったように言う。
「うんっ偉いね」
アケが言うと白兎は、表情こそ変わらないが嬉しそうに赤目を輝かす。
アケは、猪が鱗の取った魚を木の皮の上に置くとその腹にゆっくりと包丁の先を突っ込み、横に引くと赤黒い血が流れる。そこに細い指を入れて腑を引っ張り出す。後ろから見ていた緑翼の少女が再び小さく悲鳴を上げる。アケは気にせずに他の魚の腑も抜き、頭を落とし、そのままぶつ切りにする。
次に血の抜けきった鹿を下ろして下ろしてもらい、皮の剥がれた部分の肉を丁寧に切り落としていく。本当は肋骨ごと折った方がいいのかもしれないが自分の力では無理だし、今は食べる分だけでいい。
アケは、ふうっと息を吐き、血に汚れた包丁を置き、手をグッ、パー、グッ、パーする。
解体なんて初めてしたけど本で読んだ通りに出来たな
あ、と少し嬉しくなる。
純白の白無垢が血で赤く染まってるが気にしない。
さてと、次は・・。
アケは、真鍮の大鍋を見て、そして緑翼の少女を見る。
緑翼の少女は、アケの手によって解体された鹿から目を逸らしながらもチラチラ見ている。
「あの・・」
アケが声を掛ける。
緑翼の少女は、びっくりして目を大きく開く。
アケは、少し躊躇いながら鍋を少女の前に出す。
「お水・・溜めれますか?」
「へっ?」
「私を運ぶ時に水で手を作ってましたよね?だからお水溜めれるかな?って・・」
アケは、恐る恐る言う。
緑翼の少女は、意味を理解すると「りょっ了解!」と答え、手のひらを鍋に翳す。
手のひらの周りに小さな水色に輝く円が現れ、複雑な紋様を描く。
「水曜霊扉」
円が輝き、無数の水滴が浮かぶ。
「開放」
水滴は、鍋の中に穿つように飛んで集まっていき、たっぷりと埋まっていく。
「ついでに」
緑翼の少女は、アケに円を向ける。
水滴がアケの周りに集まり、白無垢の血に染まった部分に染み込む。その瞬間、赤い血が抜け落ち、元の純白に戻る。足元の包丁も綺麗になっている。
アケは、驚きに蛇の目を丸くし、「ありがとうございます」と頭を下げる。
緑翼の少女は、満足げに頷く。
アケは、水のたっぷり溜まった鍋を両手で持って猪に寄る。
「背中の上に置いていい?」
アケが聞くと猪は少し驚いた顔をするもいいよっと言うように鳴いた。
アケは、そっと鍋を猪の上に置く。
「火力を高められる?」
アケが言うと途端に背中の火が大きくなり、鍋の水が沸騰する。
アケは、驚くも「ありがとう」と言う。
アケは、麻袋を取ると沸騰したお湯の中に塩を三摘み入れ、あらかじめ折って肉を剥がしておいた小さな鹿の骨と数種類の草を放り込む。
「少し火を緩めて」
アケが言うと猪は静かに火を弱める。
緑翼の少女と白兎は興味津々に覗き込む。
三十分程煮込んでアケは匙に形の似た木の枝でお湯を掬い、一口飲む。
少し薄いがこれなら・・・。
アケは、小さく頷くと鹿の肉を丁寧に鍋の中に入れていく。
薄く切られた脂肪分のない赤い肉の色が瞬時に変わり、緑翼の少女は驚く。
お湯の匂いが一気に変わる。
アケは、次に魚のぶつ切りを入れ、最後に葉物を入れる。
肉と魚、そして葉物の匂いが混じり合って香りになる。
緑翼の少女は口の中に唾液が溢れるのを感じ、白兎はお腹の虫を止めることが出来ない。猪も背中から漂う香りに酔ったように蕩ける。
アケは、その間もせっせと灰汁を取り続ける。
野生味が強いだけあって灰汁も強い。
このままじゃお出汁が無くなるのではないかと本気で心配になる。
しかし、全ての灰汁を取り続けて現れたのは透き通った華やぐようなスープ。
アケは、匙を使って一口飲み、頬を赤らめ、手を当て、身震いする。
完成!
鹿肉と川魚の塩炊き込み鍋!
「出来ましたあ!」
その声は猫の額に来てから最も明るく元気なものだった。
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