ジェンダーとSEXを考えてみる「フランキスシュタイン」
<SF(8歩目)>
ハードSF(科学・技術が先端いっていて、難易度が高い)の世界から、ジェンダーとSEXを考えてみる。「私は私」は何処までの範囲なのか??
フランキスシュタイン : ある愛の物語
ジャネット・ウィンターソン (著), 木原善彦 (翻訳)
河出書房新社
「8歩目」は、ちょっとSF者(モノ)向けの「ハードSF」作品です。難易度が高いのですが、未来の「人間」とは?あるいは最近のジェンダー論の中の「トランス(両性具有)」にかかわる意欲作です。
この作品は、久しぶりに「噛み応えあり(読みこむのが大変な、高度なSF)」です。古典的な名作の「フランケンシュタイン」(メアリー・シェリー作)の作品のオマージュであり、そして最新の「生命」とは?人間が再生できるのか?の一つの解が描かれています。
伝説の作品「オルガスマシン (竹書房文庫) イアン・ワトスン」と同様に、数年経過すると「伝説の作品(カルト)」の一つになり、SF者(モノ)の話題になるものだと感じました。
「どこまでがオリジナルと言えるのか?」という命題は、AI開発でも盛んに議論されています。
例えば、義手や義足をつけていても、「私は私」であり、オリジナルなのは言わずもがな。
腎移植等の臓器移植をしても、「私は私」である。顔を損傷して、再生治療を受けても、「私は私」である。
これが次の段階に進み、脊椎損傷で首から下に障害がある人が、再生細胞等で首から下を入れ替える治療を受けても「私は私」であるでしょう。
さらに次の段階に移行すると、高齢者の脳を健康なクローン細胞で造った人体に移植した場合も、脳が統制する意識は変わらない。すると「私は私」であると言える。
この段階で、「私が私である」重大な要素が、「記憶」等の情報にあると現在も論議されています。
では、「脳」の『記憶の情報』を再生した脳に移転したら?が、昨今の医学の世界の議論になっています。
新しい再生された脳に、私の記憶を移転させる。。。ちょっと考えてしまいます。
そして、「脳」の持つすべての情報を電子媒体に移転したら?1.5PB(ペタバイト)のストレージにインポートしたら?これがこの作品のテーマです。
どこまでが「私は私」であると言えるのか?その境界線は「人体」なのか?すると200年前に作家メアリー・シェリーさんの構想の中で生み出された死体をつなぎ合わせてよみがえらせた「ヴィクター・フランケンシュタイン」はオリジナルと言えるのか?
元の人間の「ヴィクター・フランケンシュタイン」と怪物「ヴィクター・フランケンシュタイン」は別なのか?同一なのか?
ここら辺を生命工学的に切り取っています。
人間の判断は「外見」によるものであるとの考えが、多分に比重が大きい。
それ故に、「トランス(両性具有)」というジェンダーがある。(いったい、どっち??)
この難しい問題を「古典作品」と「最新SF」で描いている。
かつ、「トランス(両性具有)」まで登場させていて、究極の現代的な作品になっています。
読めば読むほど、様々な条件が分岐していて、とても考えさせられる作品です。先端SFとして、間違いなく後日再読すると思いました。
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