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あなたのそばには、いつだってあなたがいる。

このところ、同窓会やクラス会が続いています。
最後に集まったのはコロナの直前だったよね、というクラス会から、十年ぶりだね、という集まりまで。
旧友の、元氣な顔をみるのはやっぱり嬉しいし……同時に、最後に集まったその頃の情景がよみがえってきて、少し不思議な氣持ちになります。

ちょうど十年前にあった、サークルの同期会。
あのころは、子育ての悩みがピークに達していて……全身、まさにいっぱいいっぱい。
悲しみという水が、体という皮袋にぱんぱんに満ちていて、限界を少し超えていたのかもしれません。
ぱんぱんの水で薄く伸ばされた皮袋は水風船のよう。わずかの刺激でぱちんとはじけて……旧友たちとのお酒の席で、わたしは、わんわんわんわん声をあげて泣いたのでした。
いちど割れた水風船は、もうもとには戻らず、会の最後まで涙は涸れることがありませんでした。うーん、あのときはよく泣いた。
(みんな、きっとびっくりしたんだろうなあ……)
久しぶりの集まりに、前回の自分の所行を少し恥ずかしく感じながら──でもどこか微笑ましく思いだしたのでした。

十年たったとはいえ、いま、それを微笑ましく思い返せる自分でいられることを……あらためて幸せだと感じました。
あの頃にはわからなかったことが、いまは少しだけわかるようになりました。
泣きじゃくったあの日のわたしに、もしいま会えるなら──わたしはわたしに、なにを伝えてあげるだろう。

そんな視点で徒然と……綴ってみたいと思います。

この十年で、わたしの身に起こった大きな変化のひとつは、「どんなときにも、自分はひとりではないのだ」と知ったことかもしれません。
どんなときにも。
どんなにひとりぼっちにみえるときにも。
なぜなら、わたしは、そもそもひとつの集合体として、この世界に生まれてきたからです。
チームを組んで生まれてきた、といういい方もできるかもしれません。

最初に、わたしにそれを教えてくれたのは、「体さん」でした。

お酒の席で泣きだしたら止まらなくなるほどの精神状態のなかで、わたしはその頃、大きく体調を崩していました。
だからこそ、体に関心を持ち、独学で貪るように体について学んだ時期があったわけですが、その過程で、わたしは「体さん」に出会いました。

栄養学から入り、整体学や解剖学などの様々な視点を経由して、その後最も興味を持つことになる姿勢の勉強へ。
そうして、内から外から体が調うほどに、わたしは自分の体と親しくなっていきました。
そして、ある日とうとう、
「体って、わたしの一部ではなかったんだ!」
ということに氣がつきました。
だって、いつのまにかそこには、存在感たっぷりに━━「体さん」が、たたずんでいたからです。
「わたし自身」と重なるように、そこに存在する「その人」は、人というよりは宇宙空間のような、不思議な姿をしていました。
体を構成する無数の細胞が、きらめく星々に姿をかえて「その人」のなかでまたたいている──。
はじめてその「宇宙」に出会ったときには、わたしの体内ってこんなに美しいのだと……我を忘れるほどでした。

わたしが氣がつくずっと前から、「体さん」はそこにいたのだと思います。たぶん、わたしがこの世に生を受けたときから。
それを知らずに、長い間、体を「自分の一部」だと思い込んで過ごしてきたことは、少し惜しいようにも感じられます。
だって、ちゃんと聞く耳を持てば、「体さん」は、とてもたくさんのことを教えてくれる。
痛みや不調があるときには、どうしたらよいのか、かなり具体的に伝えてくれるんです。その声に素直に従うようになって、毎日が驚くほど快適になりました。

なにより、わたしは体に対して「思いやり」を持てるようになりました。
自分の一部だと感じていた頃は、体に無理をさせるのも、頑張らせるのもあたりまえ。体に対して思いやりを持つ、という発想さえありませんでしたが、いまは、疲れているようなら「ちゃんと休んでほしいな」と願うようになりましたし、体調がよければ、「ああ、体さんが喜んでいるな!」と、胸が高鳴るほどになりました。

そんなふうに「体さん」と親しくなるころには、一緒にこの世界に生まれてきた他のチームメイトたち──「仲間」のことも、ごく身近に感じるようになっていました。
「心さん」も、そのひとりです。

「心さん」については、過去記事「わたしのインナーチャイルド、そして野原の話。」でその様子を描写していますので、よろしかったら、そちらも覗いてみてくださいね。

十年前、同期会で号泣した頃のわたしは、まだ「体さん」にも「心さん」にも出会っておらず、自分はひとりぼっちだと感じていました。
もちろん家族も友人もそばにいましたが、誰も助けてくれない……と、いつも心のどこかで思っていました。
こんなに苦しいのに、こんなに悲しいのに、誰も、わたしをここから助けだしてくれない。誰か、誰か現れて、わたしを救ってくれないだろうか!
そんな思いにすがっていました。

だからわたしはいっそう苦しくなっていったのだ……ということが、いまならよくわかります。
「支え」を求めて、わたしはどんどん「斜め」に倒れていったのです。

人に頼ることは、もちろん悪いことではありません。
でも、闇雲に「支え」を求め、なにか「寄りかかれるもの」を探してしまうと、知らず知らずのうちに、「直立」していることが難しくなります。
しかも、既に自分を支えてくれているたくさんのものに氣がつくことなく、「誰もわたしを助けてくれない。助けて。助けて」と、「寄りかかれるもの」を、外側へ、外側へ探し続けてしまうと、「傾き」は、もう誰にも支えきれないほど大きくなります。

そんなわたしに、自分には二本の脚が……そして二本の腕があったのだ!と思いださせてくれたのが、「心さん」でした。

過去記事にも書いたのですが、わたしの「心さん」は、幼い子どもの姿をしています。
わたしの「心さん」がたまたまそうなのだと捉えることもできますが、一般に「インナーチャイルド」と呼ばれる存在が、この「心さん」のことだとわたしは考えていて……だとすると、多くの人にとって、「心さん」は子どもの姿をしているものなのではないか、そんなふうに捉えています。

初めて出会ったとき、わたしの「心さん」は、ぼろぼろに泣き崩れる小さな女の子の姿をしていました。
身を固くして、さめざめと泣き続けるその様子に、わたしは胸をしめつけられるような氣持ちになり──思わずその子を抱きしめて、一緒に涙を流しました。
心が激しく揺さぶられ、ほとんど反射的、衝動的に、わたしがこの子を支えてあげたいと、強く強く願いました。

わたしが、この小さな女の子を「心さん」だとしっかり認識するようになったのは、その出会いから少し時間がたってからのことだったのですが、あのとき衝動的に感じた「わたしがこの子を支えてあげたい」という思いが、わたしを二本の脚で立たせてくれた……という氣がするのです。
同時に、二本の腕で抱きしめることを思いださせてくれた。
その日から、わたしはときどき、自分を自分で抱きしめてあげるようになりました。
二本の腕で、そっと。ときには、ぎゅっ……と。
たったそれだけのことで、自分の重心を少しずつ取り戻すことができるなんて──あの小さな女の子は、ずいぶんすごいことを教えてくれたものだなあと、いまあらためて思います。

そんな「心さん」との出会い以降も、まだまだ悲しみのなかで過ごす日々は続きましたが、それでも徐々に、わかってきた大切なことがありました。

悲しいと感じているのは、実は「わたし」ではないらしい──ということ。

どなたでも、経験されたことがあるのではないでしょうか。
意図していないのに急に涙があふれてきたり、理由がはっきりしないのに、なぜだか不安に苛まれたり。
自分の感情なのに、なぜコントロールすることができないのだろう──そんな疑問の答えは、実はとってもシンプルなものでした。
感情が、自分のものではないから。

感情は、「心さん」のものでした。
わたしが「自分のもの」だと感じていた悲しみも、わんわん泣きたくなるような苦しさも、実は、「わたし」ではなく、「心さん」のもの──あの小さな女の子のものでした。
それならば、わたしはそれを支えてあげればよかった。
誰かに助けてほしいと願った氣持ちを、わたし自身が、ただ「心さん」に向けてあげればよかった。

わたし自身が、わたしを支えることができる。
その思いつきがきちんと腑に落ちたとき、わたしはちっとも苦しくなくなっていました。
わたしを取り巻く状況が、突然好転したわけではありません。
かわらぬ状況のなかで、ただわたしが二本の脚で立てるようになっただけ。
二本の腕で、自分を、まわりの人たちを、抱きしめられるようになっただけでした。
でもそれだけで十分でした。
それだけで、本当に十分だったのです。

心は「心さん」のものだと氣づく。
体は「体さん」のものだと知る。
よもや、そんなところに大切な鍵があるとは……十年前には予想することもできませんでした。
泣きじゃくっていたあの日のわたしに、それを教えてあげたい氣もしますが、でももしも、本当にあのときのわたしに会えたとしら──わたしは結局何も伝えず、ただ背中から抱きしめてあげたくなるだろうなあ、とも思います。
わたし。よく頑張ってるね。お疲れさま……って。

そうして、ただそっと祈るのかもしれません。
あなたが、あなたの「仲間」に氣づく日が、いつか訪れますように……って。
あなたのそばには、いつだってあなたがいる。
それがどんなに心強いことかわかる日が、きっと訪れますようにって。




こちらの記事に、数週にわたり、みっつのコングラボードが届きました。記事にスキをくださったみなさま、本当にありがとうございました。


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