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「構想〇〇年!」みたいなのをあまり信用していない
はじめに
大作が発表される際に「構想〇〇年」という謳い文句が添えられることがある。
私はこれをあまり信用していない。もっと早く構想を完了するべきなのでは? という感じだ。
構想40秒
私は企画を立案したり人前で話をしたりすることがある。その準備で構想を練ることがある。その際、構想を何年もかけたりしない。
それどころか「構想40秒」とかだ。
思うに構想というものは、既存の知識やアイデアを用いながら、頼まれた企画・講演内容を鑑みてサッと思いつくべきなのではないか。そして構想にはこうした電撃性や勢いのようなものが大切なのではないか、と考えている。
重要なことが2点ある。
まず、日頃の蓄積が大切だ。日頃から自分の職務への専門性を蓄積しておく。そこに企画や講演が入ってくるわけだが、日頃の蓄積が触媒になる。
企画や講演は主催者の何らかの趣旨をもって行われる。あるいは誰向けの企画や講演であるか? といった対象が明確なケースも多い。既存の知識・経験の積み重ねと、趣旨や目的・対象を掛け合わせる。そうして構想を練る。
すると、おのずと自分のできることや話せる内容、およびその構成(説明の順番)が決まってしまう。これを構想を呼んでいいのであれば構想は40秒で完成する。
大切なことの2点目は、この構想から形作っていくなかで他の人に見てもらうこと。
構想を実際に作成の段階に落とし込んでいく。段階ごとに他者の目を入れる。その際に、初めの構想の骨格に変更が加わることももちろんある。随時ブラッシュアップしていく。
そうして企画や講演が実現する。
おわりに 構想1分の映画とかあったら見てみたい
私の仕事はこんな感じなものだから、構想に時間をかけるイメージがあまり湧かないのかも知れない。普段のインプットと、外部の人との折衝によるアウトプットにこそ時間をかけるべきと考えており、中間にある「構想」自体は一瞬の火花のようなものだ。火花のような瞬発力にこそ妙があるとすら思っている。
なので色々なもので「構想〇〇年」とか書かれていると、本当にずっとそのことを何年も考えていたのかぁ!? 途中で絶対、美味しいケーキのこととか、地元の市議会議員選挙で誰に投票するか? とか、ちょっとえっちなこととか、とにかく別のことを考えているんじゃないかぁ!? と疑惑の目を向けてしまうのだ。
大人数を動かす映画や歌劇などは何年も構想にかかるものがあるかも知れない。一方、個人で完結するような小説などは「構想〇〇年」と言われても凄みを感じない。むしろ「遅っ」と思ってしまう。
逆に「構想1分!」とか銘打たれた作品があったら見てみたい気がする。きっとそれは、自分の身にあった作品な気がするからだ。