初老の年代に入り、「高齢者」の入口も近くなってきた。世間では、老後に向けて人間関係を充実させたり、生きがいを見つけたりしろという。しかし仕事の帰り道にふと思う。日々のストレスの大部分は対人関係にあるのではないか。 なぜリタイアしてまで人間関係に囚われなければならないのだろう。近所付き合いがあれば何かあったときに安心?老後の友達づきあいが生活を豊かにする?ー果たしてそうだろうか。もしそれが本当だったら、若い時の生活はもっと豊かだったはずだ。老後に向けてわざわざストレスのタネを増
*写真は記事とは関係ありません 先日、とある地域の会議に出席した。 そこでの話の中で移行支援住居の話題が出たのだが、その際にその場にいたソーシャルワーカーのほとんどが、長期入院からの単身アパート生活への支援という経験がないことを知った。 精神科病院から自宅に帰れない人に対する支援はグループホームありきになってきている。「地域に空きのあるグループホームがないから退院させられない」という話もよく聞くことではある。確かにグループホームが利用できれば、日常生活の支援もスムーズだし、
職能団体の大会・学会に長年参加していたのだが、ある時期から急に関心が薄れてしまい、ここ数年は欠席が続いている。思い返してみるとそれはソーシャルワーカーが可視化に向かった頃のことだった。 ソーシャルワーカーは、「何でも屋」などと呼ばれてその専門性が見えづらい職業だ。国家資格化される際にも自分たちの立場性が問われ、ワーカーたちの中でも大きく意見が分かれていた。しかし背に腹は変えられないというか、職種としての身分を明確にし、社会的認知と地位を上げていく方向が目指されて国家資格化が進
ソーシャルワーカーとして働いていた時期の後半で私が最も意識して使っていた技法(姿勢というべきか)はナラティヴ・アプローチだった。1998年頃に野口裕二先生に出会い、「ナラティヴ・セラピー」とホワイトとエプストンの「物語としての家族」を読んだことが大きな刺激となり、以後はずっとナラティヴ・アプローチが自分の柱になっている。 現場の精神保健福祉士時代、独学ではあったが日々の支援の中でナラティヴ・アプローチ的な対応を試みることがあった。以下のノートは、そうした頃に出会ったあるクライ
*前回のノートに続き、京都府岩倉について2016年に書いていた内容です。前回の探訪録から1週間後にアップしていました。乱暴な推論に過ぎませんが、なぜこのような歴史を辿ったのか、私たちはもっと考えてみるべきかもしれません。 2016年のノートーーーーーーーーーーーーー 京都の旅から戻り、岩倉の精神医療の歴史を調べていくうちに様々な思いが交錯しまとまりがつかなくなってしまった。「洛北岩倉と精神医療」などの中村治氏による岩倉の資料は、多くの情報を提供してくれたが、私の気持ちはモヤ
*以下のノートは、2016年2月に所用で京都に行った際、半日ほど空き時間があったので精神保健福祉分野では有名な岩倉を歩いてみたレポートです。 今回は歩いたルートを振り返りながらのレポートで、これを書いた後でさらに調べて考察した内容を次回アップしたいと思います。いずれも2016年当時、別なSNSで福祉関係者の友人たち向けに書いたものです。 以下2016年2月のノートーーーーーー 私的な旅行で京都を訪れた。一人で過ごす時間があったので、かねてから訪ねてみたいと考えていた岩倉に向
*このnoteは、ソーシャルワーカーとしての自分が今感じたり、考えたりしたことのほか、以前書いたものの中から残しておきたいものを整理しておく目的もあって始めた。 以下は、以前別なSNSにアップしていた記事の1つ。他の記事を探していた時に偶然見つけた。冒頭で「モモ」にちらっと触れているのだけど、多分この頃再読していたのだろう。(上の写真は、記事にある手紙が入っていた封筒) 内容は一部修正を加えてある。 2016年ーーーーーーーーー 「正しいこと」「こうあるべきこと」そういうも
歳をとってくるにしたがって、今の社会のあり方に責任のようなものを感じることが増えた。若い頃に望んでいたような社会にはなっていないどころか、より生きづらさを感じるような状況になっていると感じる。もちろん、自分は社会に何がしかの影響を与えることができるような立場ではないし、今の社会のあり方とは全く関係がないのかもしれない。それでも今の社会を形作ってきた一般の「大人」の一人として「これでいいのかなあ」という思いを拭えないでいる。 数年前から、頭の隅にミヒャエル・エンデの「モモ」が浮
20年近く前、ソーシャルワークに関するひとりごとをブログに書いていましたが、使用していたサーバーのセキュリティの不安もあり、ブログを閉鎖して以後はtwitter(Xと呼びたくない)でつぶやくのみでした。ただツイートだとタイトルをつけて考えながら文章を書くということができず、今ひとつ思う通りに書き進められないことが引っかかっていました。 noteの存在は以前から気になっていたのですが、なかなか始める機会がなく…。なぜか今日突然思いたった次第です。 ソーシャルワーカーとして働いて