生活の中のソーシャルワーク
*写真は記事とは関係ありません
先日、とある地域の会議に出席した。
そこでの話の中で移行支援住居の話題が出たのだが、その際にその場にいたソーシャルワーカーのほとんどが、長期入院からの単身アパート生活への支援という経験がないことを知った。
精神科病院から自宅に帰れない人に対する支援はグループホームありきになってきている。「地域に空きのあるグループホームがないから退院させられない」という話もよく聞くことではある。確かにグループホームが利用できれば、日常生活の支援もスムーズだし、夜間や休日の体制としても安心だ。そういう意味でもグループホームの存在を否定する気はない。
ただ、支援する側のスキルとしてはどうだろう?
かつてグループホームが無かった時代、多くの病院PSWは、退院先のない患者さんと地域でアパート探しをし、日用品の買い出しを一緒にしたり、転居時の掃除や荷物の搬入を手伝ったりしていた。退院して1週間以内には訪問して退院後の生活での不安や不便について話を聞いていた。
私自身、住宅地図を読み込んで、アパートが多そうな地域を患者さんと外出して歩き回り、良さそうな物件を探したこともあった。そのうちに精神障害のある人にも部屋を貸してくれる大家さんや、保証人がなくても物件を紹介してくれる不動産屋さんと知り合いになったり、民生委員さんと顔馴染みになったりしていった。
100円ショップが今ほど良い品を揃えていなかった頃、リサイクルショップを回って生活用品を揃えるお手伝いをしたりした。退院と同時に生活保護の申請に行き、窓口相談のみで追い返されそうになるのを申請まで食い下がるようなこともあった。
思い返せば当時のPSWは、生活の様々な場面に対応するスキルを身につけていく仕事でもあった。「ひとが地域で暮らす」という生の経験に触れていくことで、ソーシャルワーカーとしてのスキルを学んでいった。
グループホームに限らず、障害福祉サービスや相談支援の場が増えたことは良いことだと思う。しかしその一方でPSWが単に次のサービスに患者さんをつなげるだけの仕事になっていたら少し寂しい気もする。
「生活」は、制度やサービスの中にあるのではない。その人が暮らしている半径数メートルから数百メートルの中に濃厚に存在している。ソーシャルワークという仕事はそこに飛び込み、浸りながら支援を見出していく職種だった。
PSWは今も「生活」の側に立てているだろうか。