可視化への抵抗
職能団体の大会・学会に長年参加していたのだが、ある時期から急に関心が薄れてしまい、ここ数年は欠席が続いている。思い返してみるとそれはソーシャルワーカーが可視化に向かった頃のことだった。
ソーシャルワーカーは、「何でも屋」などと呼ばれてその専門性が見えづらい職業だ。国家資格化される際にも自分たちの立場性が問われ、ワーカーたちの中でも大きく意見が分かれていた。しかし背に腹は変えられないというか、職種としての身分を明確にし、社会的認知と地位を上げていく方向が目指されて国家資格化が進んで行った。
確かに国家資格化されて以降、職域は大きく広がったと思う。だが肝心の待遇は良くなったかといえば、実はそれほど良くなったとはいえないだろう。また他の保健医療の専門職も「生活」への視点が広がり、当事者活動や地域生活支援の活動が見られるようになってきたことから、ソーシャルワーカーの独自性も見えづらくなってしまった。
そうした焦りからか、「可視化」が叫ばれるようになり、業務指針の見直しやキャリアラダーなどの作成が進んだ。全国大会で可視化がテーマとして取り上げられた時、強い違和感に襲われた私は、半日だけ参加して会場を出てしまった。
私が教員になってすぐの頃、社会福祉士の養成課程の見直しが行われた。当時の偉いセンセイたちは、「職人芸ではダメなんだ」と言っていた。「artではなく技術を教えるべきだ」という人もいた。「背中を見て育つ」といった教育姿勢は否定され、カリキュラムの大幅な改訂が進められた。
実習指導者に対しては、実務経験に加えて国家資格と研修受講が義務付けられたのに教員の側は研修が義務付けられただけで資格も実務経験も求められなかった。その研修も一定の実務経験があれば免除された。
教員としては駆け出しだった私は、ある研修会の場で壇上にいたかなり偉いセンセイに「実習を教える教員がソーシャルワーカーとしての経験がなくても良いのか」と質問した。センセイは「ソーシャルワークの研究者であれば足りる」と答えられた。
私自身は、ソーシャルワーカーとして職人肌の先輩たちに育てられた。大学院の恩師も職人の親方みたいな人だった。他の研究者たちが大手ゼネコンの大企業だとしたら、恩師とその周囲の方々は宮大工の棟梁と職人たちのような雰囲気だった。
ソーシャルワーカーであるということは、人々の暮らしに向き合わざるを得ないということでもある。暮らし、生活は、様々な矛盾を孕みつつ日々容赦無くすぎていく。その場に立ち、矛盾に晒されながら迷い、戸惑いながら、より正しいと思える方向を模索する。国家試験の事例問題のようにすんなり片付くようなことの方がずっと少ない中で日々仕事をしていく。
そうした状況下においてただ決められたことを淡々と続けていくのか、喘ぎながらまだ見えない解決策を探しつつとりあえずの日々を紡いでいくのか。ソーシャルワーカーとして望ましいあり方はどちらなのだろう。
私は、ソーシャルワーカーは単なる社員であってはならないように感じている。職人のように依頼主の希望に添いつつもより良い方法を生み出していけるような在り方であって欲しいと思っている。
レイブとウェンガーによる「正統的周辺参加」の考え方は、私にとってソーシャルワーク教育の一つの答えのように感じられていた。だが実際の教育課程は違った方向に進んでいった。さらには職能団体の方向も教育の流れに飲み込まれていってしまった。
ソーシャルワーカーは、いつの間にかその働きよりもその存在を社会に強く訴える団体になっていってしまった。ゾフィア・ブトゥリムは、「ソーシャルワークは、あまりにもいろいろな領域で能力があると主張しているようにみえるが、実際にやっていることの有用性を示せない場合が多い」と書いている。(Z.Tブトゥリム著、川田誉音訳「ソーシャルワークとは何かーその本質と機能」川島書店,P15)
ブトゥリムの言葉は、1970年代のイギリスのソーシャルワークの状況を示したものだが、今の私たちはこの言葉を否定できるだろうか。
アルコール依存症者の自助グループであるAAは、自分たちのグループについて「私たちの広報活動は宣伝でなく、ひきつける魅力に基づくべきである」としている。(Alcoholics Anonymous 12の伝統 伝統11より:https://aajapan.org/12traditonslong/)
この言葉は、ソーシャルワーカーたちにとっても重要なものだろう。
ソーシャルワークという仕事は、いわば「クライエントを主役にする」仕事だと思う。社会的地位を求める気持ちもわからないではないが、あまりそこにばかり意識がいってしまうとソーシャルワークが本来持っている力を見失ってしまうのではないかと心配になる。
ある授業で先駆的なソーシャルワーカーの実践を伝えた時、「自分の報酬につながらないのになぜそんな仕事ができたのか」と質問されたことがある。当の実践をした人たちは「やるしかないと思った」と話していたことを答えたが、果たして学生たちにその想いは伝わっただろうか。
金子みすずの「星とたんぽぽ」の昼間の星やたんぽぽの根のように、サン・テグジュペリの「星の王子さま」の”かんじんなこと”のように、可視化されることばかりに目を奪われないようにありたい。
自分はこうした個人的な違和感から職能団体の活動からは離れてしまった(逃げてしまった?)けれど、一人のソーシャルワーカーとして考え続けていたいと思っている。