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自由と孤独

初老の年代に入り、「高齢者」の入口も近くなってきた。世間では、老後に向けて人間関係を充実させたり、生きがいを見つけたりしろという。しかし仕事の帰り道にふと思う。日々のストレスの大部分は対人関係にあるのではないか。
なぜリタイアしてまで人間関係に囚われなければならないのだろう。近所付き合いがあれば何かあったときに安心?老後の友達づきあいが生活を豊かにする?ー果たしてそうだろうか。もしそれが本当だったら、若い時の生活はもっと豊かだったはずだ。老後に向けてわざわざストレスのタネを増やしていく必要があるのだろうか?

駅までの道、重い足を引き摺りながらそんなことを考えていた。私たちは、「人づきあいが大切」というナラティヴに囚われているだけなのかもしれない。歳をとっていけば、いやがうえでも人間関係は失われていく。それは体の老化と同様に社会的な老化なのかもしれない。身内の多くは鬼籍に入り、友人たちも少しずつ向こうの世界に移っている。仕事を辞めれば多くの人間関係がそこで途絶えていく。寂しくなる関係もあれば、途絶えて清清する関係もある。
歳をとって人間関係を広げるのではなく、少しずつ人間関係を閉じていくという老後もあって良いのではないか。欲を捨て、自分のことは自分で賄い、できないことは公共サービスに頼る。そうして少しずつ自分の生活圏を小さくしていき、最後は点となって消滅する。ある意味、究極の自由を手にする過程でもある。

…となると、今の自分に必要なことは新たな人間関係ではなく、孤独に耐える力だ。孤独を手にいれる力と言っても良いかもしれない。社会の中に自分を見出そうとするのではなく、自分自身そのものと向き合う力をつけること。少しずつ寂しくなっていく初老期は、そうした準備期間なのかもしれない。


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