でき得るならば遊んで暮らしたいひとへ―「遊ぶ」の本当の意味

唐突に聞きます。

人生、遊んでいたい人、
もしでき得るならば遊んで一生涯暮らしたい人、

この記事を見ているだけなら誰にも見えていませんから、頭で、もしくは心の中で、頷いてください。

かくいう私も、そうです。

いや、人生遊びたくなんか、ないよ。
というかたは、あまりいないのではないかな?
もしいたとしたら、それは「遊んではならない、遊ぶわけにいかない」と思っておられるか、「遊び」という言葉の意味を私と違う意味で捉えておられるのではないかなと、思います。

…しかし、それと同時に…
まさに先程も書いたのですが、では、あなたにとってその「遊び」とは、なんでしょうか?

「遊び」が、どういうものだか、わからなくなっているひとも、非常に増えているように感じます。

もし、ですが、あなたにとって「遊び」が、例えば
カラオケに行く、だとか
居酒屋やファストフードやファミリーレストランで誰かと愚痴や普段のストレスを言い合って騒いで発散すること、や、
パチンコに行く、
麻雀に行く、
家に籠って電子ゲームをしまくって休日使いこむ、

などであったとしたら…

もしかしたらあなたは、
そういう「遊び」を思う存分しているはずなのに、なぜだか気分が晴れない…
なぜだか休日を注ぎ込んで寧ろ休日を奪われ失くしたかのように過ぎ去った気はするけれど、その割にエネルギーにならず、いつの間にか仕事や学校の日々が始まっている……

などと、感じていませんか?

…だとしたら、それはきっと、
「遊び」で人生一生涯なんか過ごしたくないよ、遊び暮らすのは遊び暮らすので苦痛だよ、くらいに思うかもしれませんね。

逆に、自分は次の休みに丸一日中カラオケに閉じこもることができるから人生最高!これ以上の幸せはない!…と思う方は、これより先の文章は、見ないでください。


さて。
確かに、現代の日本においては、電子ゲームやら、お友達と暴飲暴食をするやら、ギャンブルやカラオケなども「遊び」と同じ言葉でひとくくりになっています。
だからこそ、
休日にそういうことをして「休日に思う存分遊んだはずなのに、なぜだか遊んだ感じがしない…遊び足りない…いつの間にか時間だけ過ぎ去ってまた仕事…」という感覚が出てくるのです。
更には、下手をするとそれが積み重なって「遊びなんて所詮気分転換にもならないしエネルギーも回復しない、遊ばない方がましだ」という心理すら生んでしまいます。
もしくは、「できるならそりゃ遊んで暮らしたいけど、例え遊んでいいと言われても何をしたらいいかわからない」とか。
これは、「遊び」の概念、つまり意味を間違えて覚えているから、そう繋がっていってしまうのです。「現代語」のために間違った配線コード(思考回路)になってしまっているのです。だから、あなたのその感覚自体は、正しいのです。
どういうことだか、まだよくわからないだろうと思います。段階を追って説明しますので最後まで読んでみてくださいね。


本来の「遊び」というものは、実は、あなたの生きる活力・エネルギーを最大、いや、最大以上にまで回復させ、どんどん高めるものです。
そして、一生涯やり続けていても、飽きないものでしょう。

だから、あなたも、多くのひとたちは恐らく、それでもなぜか
「いや、それでもできることならただただ遊んで楽しく暮らしていたい…」と思う・感じるかたが多いのではないかと思います。

そして、その感覚は恐らく「身体」から来る欲求です。
そしてその感覚は、あなた自身の感覚、本音であると思います。

…それでも、いざ「遊び」だと思っている「遊び」は、別になぜだかエネルギーも回復しないし生きる希望や活力がそこまでみなぎってくるわけでもないし、楽しくもない時すらある…それでいて時間ばかり過ぎていく…割に合わない…
これはどうしてなのかというと。

・そもそも本来のあなた自身(身体)の「遊んで楽しく暮らしていたい」欲求の「遊ぶ」が、あなたの頭が「遊び」だと思っているもの(カラオケなど)のことではない。
・「仕事」「遊び」「勉強」「部活」などなど、現代人は活動を全部、まるで病名診断のようにわけて考える。そしてこれらはすべて本来の意味を失って、表面上だけでわけられている。
・「遊び」=カラオケやゲーム、というようなもの自体が、現代日本の資本主義社会によって作られた、現代日本人への洗脳概念であり、これによってあなたを含め現代日本人は「自分にとっての楽しい遊び」を押し付けられ錯覚させられわからなくなっている。遊びだけでなく、本当にやりたいことがわからなくなっている人は現代日本人の大半になっています。実は、「本当の遊び」と「本当にやりたいこと」は、同じであったりもするのですが…。
・そして同時につまり、「頭が<遊び>と思い込んでいること」と、「身体(そして本来のあなたの奥底)が飢えていて望んでいる遊び」とが、食い違っている、そして現代日本人はご自身の身体の声がどんどん聞こえなくなっており本来の自分の本音を丸無視して「外側から教えられた頭の知識」に従うことしかできなくなっている

ことによります。

つまり、あなたがもし、幼い時から醤油を水だと教わって育ち、しかし同時に「水とは喉の渇きを潤すものだ」というような概念も教わっていたとしたら、喉が渇いた時、醤油を一生懸命飲みますが、喉の渇きは潤されるどころかどんどんどんどん喉が渇き、しかも身体も壊していきますよね。
現代日本ではありとあらゆるところで、このようなことがひたすら起こりまくっています。
現代日本人の非常に多くは、こうして西側と東側(真逆側)に同時に突っ走ろうとして自分自身で引っ張り合って足がもつれてその場で転んでいます。
しかし、…私は良く「『人生の道』が見えていない顕在意識は目が見えない人と同じだ」と表現することがありますが…目が見えない人は、何かにぶつかって身体の方向が変わったり体位が変わったり例え転んだり踏み外したりしても、自分の身体に何が起こったのかわからないことがよくあります。これと同じように…現代日本人のみなさん、自分自身で両極に一遍に引っ張り合ってもつれて転びながら、転んでいることや、両極に一遍に引っ張ろうとしていることにすら、気付いていない人がほとんどです。

…では少し話を戻して、あなたにとっての、ヒトにとっての、本当の「遊び」とは何なのか。
そして本当の、あなたの人生の渇きを潤し回復させ更にエネルギーを増大させていくこととは。

これを説明するために、まず、遊ぶ、という、文字を見ていきたいと思います。
日本の漢字というのは大変すばらしく賢い、美しいもので、すべての漢字に意味があります。
「遊」という字は、一体どういう意味なのでしょう…

遊、という字の中に、方という字、そしてその右上に、ちょっと何か横に飛び出たフタみたいな形がありますよね。
これは実は、もともと、「旗🚩」の示すような絵図だったようです。
そして、この「旗」には、神様(魂の源のエネルギー)の霊魂が宿っていると考えられていました。それを、子どもが持っているのですね。
そして、部首であるしんにゅうには「行く」という意味があります。
つまり、神の旗を掲げて行く、自由気ままに自分を解放した状態で神(魂の源の本来のエネルギーのまま)に行く、という意味なのです。
それが、「遊ぶ」なのです。

人々の中には、仕事をしていても何をしていても人生すべて「遊んでいる」と感じている人がいること、ご存知ですか?
私も案外その端くれのひとりかもしれません。(笑)

それはどういうことか。
彼らにとっては、例え「仕事」をしていても「勉強」をしていても別の「活動」をしていても「食事」「家事」「入浴」…何をしていても、「遊び」と同感覚なのです。というより、もちろん「やっていること」自体の区分け・境界ははっきりしているのですが、「人生の中でやっていること」の方向性はどれをとっても同じ方向を向かっていて、それでいて、名前でわけることにあまり意義がありません。
海の水が、波が同じ方向に流れているならば、別にそれを「この水分子は韓国から来た水だ、この水分子は日本の領海から来た水だ…」なんて見分けることはないのですね。

つまり、彼らにとっては生きている中での活動ひとつひとつのすべてが、「神(魂=つまり自分自身の根源にある自分自身の本音・本心)の道」の上のことなのですね。それでいて、それは実は心のままに自分を解放し自由に動き、そしてそれは同時に、人生全ての瞬間、ひたすら生きている実感に溢れ、密度が高く充実しており、人生すべての瞬間に「命を賭けている」状態なのです。
ちなみに人生は命でできていますから、人生のすべての瞬間は命を賭けて生きる他はないので、いのちを賭けているのが当たり前の状態なわけなのですが…現代日本人、なぜだかそれも自覚がない・わからない人が増えているので、非常におかしな病理現象がはびこっているのです。
(それでいて現代のすべての心・身体の病を生み出しているのは、実はまさにこの現代のほとんどの日本人の奥底に蔓延しているこのおかしな”病理”なのです。)


つまり、「遊ぶ」というのは、カラオケやギャンブルのことではなく、
「身体(魂)」が望むことをすること、なのですね。
そうすると身体があなたの本当の感覚で心地良い状態になるため、エネルギーがどんどん回復し活性化して増大して、人生、生きている実感が全細胞に充満し、生きる希望に満ち溢れます。
そして……もしもあなたが現代人流行りの「仕事」「行事」などと名付けられたことなどにおいて、ストレスを感じていたとしても、ちゃんとした「遊び」ができていれば、必ず、その「仕事」「行事」などなどの領域にも、「遊び」が広がり滲出してきて、いつの間にかあなたの人生すべてが「遊び」として心地良い人生となっていくのです。

神(魂)の道に少しでも乗ったら、それはだんだん、全域が神の道になるのですね。もしくは、あなたの一部がその道に乗ったら、だんだん全身その道の上に乗ることになっているのだという言い方でも構いません。


そして、「身体」の喜ぶことというのは…
もちろん、一番は、身体が心地良く喜ぶ生活ですよね。
身体が本当においしいと感じ喜ぶものをよく噛んで味わっていただき、ぐっすり眠り……

しかし、実は、この「身体の喜ぶこと」というもの自体を、実はそれこそがあなた自身も心が打ち震えるほど嬉しく楽しく心地良いもののはずなのですが、それが何なのだか、わからなくなってしまっているひとが、現代日本では急増しています。身体の”本来・本当”の感覚を忘れ去ってしまっているあまり。

あなたはもしかしたら、今も、嫌な活動や苦しいきつい仕事で「それでもやめられるわけがないしこれは環境だから抜け出せない」と感じているかもしれません。しかし、「遊」の説明を思い出してください。もう一度読んでみてください。
必ず、まず第一に「身体(魂)の道」を取り戻して心地の良い「遊ぶ」ことが自然にできるようになっていったら、必ず、人生のすべて、あなたのどの領域も、「神の道」に乗るのです。
あなたの道は、あなたの魂を以てして選ぶことができます。あなたの魂が一番心地良い道を、必ず選ぶことができるのです。

ちなみに交流分析的な言い方においては、こういう説明もできます。
自分にとって肯定的・自分にとって(本来)心地良い・自分を成長させる、言動や行動などのことを、良いストローク(肯定的ストローク/陽性ストローク)といいます。
逆にあなたにとって否定的で破壊的な言動行動を悪いストローク(否定的ストローク・陰性ストローク)といいます。
これがあなた自身にとって肯定的ストロークか否定的ストロークかは、顕在意識にはわかりにくいです。というのは、元々否定的ストロークが当たり前で育ってきた人は、否定的ストロークでももらえるだけ良いのでそれを「心地良いものなのだ」と自分の脳に錯覚させ思い込ませているからです。麻薬のようなもので、脳に快楽物質が出るよう表面的にプログラムだけはされていますが、身体は楽でも心地良くも嬉しくもなんともなく、蝕まれていくのです。
そして、悪いストロークは、やり取りすればするほど、実は「ストローク不足」「他者との交流の飢餓状態」にさせていくものなのです。
つまり、いくら他者と交流しているように見えても、それが陰性ストロークであれば、結局のところ「飢餓状態」に陥るのです。
それでいて飢餓状態に陥るからもっともっとストロークが欲しいと、もっともっとギャンブルや愚痴の言い合いなどなどに嵌り込んでいきます。
だから、「”遊んで”いるはずなのに、遊んだ気がしない。足りない足りない。エネルギーも回復も充足もしない。」という状態になるのです。

本当の「遊び」は、まず自分自身への陽性ストローク。そして他者との陽性ストローク…つまり、愛と感謝のエネルギー、もしくは肯定的建設的なちからの循環です。

本当の「遊び」は、ヒトの「本来の生き方」そのものでもある(つまり「遊ぶ」こそが=「生きる」こと、「生きる」=「遊び」なのです)、それ以上でも以下でもないそのものであるので、例え今どんな状況に置かれているひとであろうと、誰でもできます。
やり方がわからなくなっているひとが非常に多いですが、実は、誰にでもできることなのです。


もし、「私だってでき得るならば遊んで心地良く行きたいし、遊びで生活もお金も回るならそうしたい」と思う方や、
「遊びとは何か」を知りたいかた、
「ヒトの本来の(心地良い)生き方」を知りたいかた、取り戻したいかた、
身体とご自身の本音を取り戻してご自身の望み通りの人生を手に入れたいかた、
……などなど、

ぜひ一度、私にお声がけください。
必ずあなたにぴったりな、あなたが本来のご自身の身体や生活、生き方を効率良く取り戻し、自由な世界を手に入れる道があります。
どうぞおいでください。

また、ひとの五感や身体やこころの奥深いしくみを学びたいかた、ひとの本来の生き方を学び取り戻し、まずはご自身でご自身に向き合って癒し整理し、「人生の道」に乗っていきたいひと、そして周りもどんどんその道に乗ってきてみんなで心地良い人生を開花させる…そんな世界を体験していきたいひとは、以下からぜひ私に直接お話かけくださいね。
そのまず基礎中の基礎となる講座は、今月末にも始まります!
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少しでもご興味あれば、今のうちに一度ささっとお声がけくださいね。


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