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死ぬ権利の行使を奪うから生きる希望を見失う矛盾

死ぬ権利の行使を奪うから生きる希望を見失う矛盾が、日本に蔓延している。

「自死をするな」という言葉を伝えるだけでは、生きづらさは解決できない。

自死の権利は、生きる方法を見失った人に投げかけると逆効果になる可能性もある。

人間脳は「他人の一部分しか切りとって見えなくなる性質」があり、他人の芝が青く見えてしまう。


「他人の不幸は蜜の味」と言う言葉がある理由は、人生には沢山の苦渋を舐めるような不幸が蔓延しているからだ。

他人が幸せそうな様子を自慢げにしていたら、蹴り飛ばしたくなって嫉妬するのは自然な行為だと思う。

「他人が幸せを自慢げに発信している様子」を、素直に祝福してあげる人達はとても素敵である。

他人の幸せを祝福する権利と嫉妬する権利はどちらも存在しており、嫉妬している人達を安易に貶してはいけない。


歌舞伎町や道頓堀で「死の暇つぶしとして徘徊する未成年」が沢山いる現実は、より良く生きる権利を「死ぬな」の言葉で逃げ道すら失っているからかもしれない。

あなたには自死をする権利もあるけれど、より良く生きる権利もある。

あなたには他人の幸せを祝福する権利もあるけれど、他人の幸せを祝福しない権利もある。


どうしても生きづらさを感じたら、自分より不幸な人を探すことも工夫の一つなのかもしれない。

どうしても生きづらさを感じたら、他人が幸せ自慢をしていたら強烈な嫉妬をして「他人の不幸を願う権利」があっても良い。

実際に他人が不幸になる行為や書き込みを匿名ですることは絶対にあってはならないが、自分の中で消化するなら他人の不幸という蜜を求める権利もある。


あなたには自死を企図する権利を持って、より良く生きる権利を行使して欲しい。


自死を企図する最終手段を乱暴に奪うことは、ある種の暴力であり「最終手段の剥奪」という可能性を忘れてはいけない。

自死をする権利はあるけれど、あなたにはより良く生きる権利が何処かに必ず落ちている。

それは幸せの青い鳥のように、灯台下暗しのように「実は無意識的に見えていない目の前」に存在するかもしれない。

生成AIが話題となる時代に、人間脳のブレた無意識な高速処理機能を考察する理由は「身体、精神、認知」が互いに影響を与えるからだ。


2024年はコロナ禍後の物価高で苦しんでいる人達が多いが、「死ぬ権利、生きる権利」のどちらも剥奪されずにできることから始めて欲しいと願う。





「どうして人は、自死についてこんなにも難しい言葉を投げかけるんだろう」

君は僕に問いかける。柔らかい声に潜む問いは、それ自体が苦しみのようだった。

「自死をするな、と伝えることだけでは、生きづらさを解決できない。自死を止めるだけで、生きる意味が見出せるわけじゃないだろう」

僕はその言葉を聞きながら、ふと視線を落とした。今、君が求めているのは、単なる励ましでも、安易な慰めでもない。むしろ、自分の苦しみが正当なものであることを確かめたいのだと感じた。

「君は、死ぬ権利があるべきだと思うんだね?」

「そうだね。でも、ただそれだけじゃない。死ぬ権利を持つことが、実は生きる希望に繋がることもあるんじゃないかって、思うんだ」

「逆説的だね。死ぬ権利があることが、生きる希望になるって」

僕はその言葉に意外さを覚えたが、同時に少しだけ理解できる気がした。現実には、生きづらさを抱える人々が溢れている。生きるための選択肢が見えないとき、人は無意識に出口を求めるものだ。しかし、その出口すら閉ざされてしまえば、行き場を失い、さらに苦しみが増す。

「人間の脳ってさ、他人の一部分しか見えなくて、どうしてもその一部分だけで判断しがちだよね。だから、他人の芝が青く見える。僕も、君の言うことは分かるつもりだけど、それでもやっぱり、できれば死なないでいてほしいと思うよ」

「それは、どうして?」

君は、まっすぐ僕を見つめた。その視線の奥には、答えを求める真剣な光が宿っていた。

「うまく説明できないけど…死という最終手段を奪われることが、ある種の暴力だと感じることはわかる。でも、同時に、人は幸せの青い鳥を無意識に見落としてしまっているんじゃないかと思うんだ」

僕は自分の言葉がうまく君に伝わるか心配だった。だが、君は静かに耳を傾けてくれている。その姿に勇気をもらい、さらに続ける。

「つまり、たとえ見つけにくくても、希望はどこかに存在するかもしれないって思う。生きていく中で、幸せの青い鳥はいつも意外な場所に隠れているものだから」


生きづらさと嫉妬について

「君はさ…他人の幸せを見てどう思う?」

僕が問いかけると、君はふと目を伏せ、少し考え込んだ。

「正直に言うとね、嫉妬するよ。他人が幸せそうにしているのを見ると、自分の生きづらさが余計に際立って見えるんだ。道頓堀や歌舞伎町なんかを歩くと、同じように彷徨っている人たちがいっぱいいるのに、それでもなぜか、誰かの楽しそうな姿がちらっと目に入ると、苛立つんだ」

その言葉には、無理に隠そうとしても溢れてしまう苦しみがにじんでいた。僕はそれを受け止めるように、言葉を選びながら返す。

「君だけじゃないさ。他人が自分より幸せそうに見えると、誰でも少なからず嫉妬するものだよ。でも、嫉妬って意外と自然な感情だと思う。嫉妬そのものが悪いんじゃなくて、それをどう消化するかが大事なんじゃないかな」

「でも、嫉妬を感じるたびに、そんな自分が嫌になるんだ。自分の中に湧き上がるその黒い感情が、苦しくてたまらないんだよ」

「君は、嫉妬することを責めすぎているのかもしれないね。嫉妬するのは人間として当然の感情なんだし、他人の幸せをすべて祝福することなんてできないよ」

君は少し驚いたように僕の顔を見つめた。それから、目を細めて小さく頷いた。

「他人の不幸は蜜の味、って言葉があるけれど…本当にそうかもしれないな。他人の不幸を願うことは悪いことだと分かっている。でも、幸せな人を見て、自分が惨めに思える瞬間、誰かも同じように苦しんでいると安心することがある。そんな自分が嫌でたまらなくなるんだ」

「それが悪いことだとは、僕は思わないよ。嫉妬を感じたとしても、それをどう受け入れるかが大事なんだ。君がその感情を自分の中で理解し、他人に害を及ぼさない形で処理していくなら、それはきっと意味のあるものになると思う」

君は、少しずつその言葉を噛みしめるようにして、ふっとため息をついた。

「ありがとう。少し気が楽になった気がする。嫉妬や生きづらさは、人間として感じるべき感情なんだね」


死ぬ権利と生きる権利

「そういえば、さっき君は『死ぬ権利があるからこそ、生きる希望に繋がることがある』って言ってたよね。どうしてそう思うんだい?」

僕は気になっていた疑問を再び投げかけた。君は少し考え込み、静かに語り始めた。

「死という最終手段があるからこそ、生きる道を模索しようと思えることがある。逃げ道が完全に閉ざされてしまったら、人は余計に追い詰められてしまう。だから、自死の権利が認められていることが、ある意味で心の支えになることがあるんだ」

「なるほど…確かにそれはあるかもしれないね。最終手段があると思えるからこそ、今を生き延びる意味が生まれるというか」

「そう。だから、『死ぬな』ってただ一方的に伝えるのは、逆に残酷な場合もあると思う。自分の中で『最悪の場合は』と逃げ道を感じているからこそ、今を踏みとどまれる人もいるはずだ」

君の言葉には、深い重みがあった。その言葉に、僕はただ頷くしかなかった。確かに、「死ぬな」と言葉だけを投げかけることが、逆効果になることもあるかもしれない。むしろ、理解のない励ましがかえって傷つける場合もあるのだろう。

「でも、その一方で、生きる権利もあるということを忘れてほしくない。君には、生きる方法を探す権利がある。どんなに苦しくても、生きる選択肢を見つける努力をする権利があるんだ」

「生きる権利か…それを奪われることも暴力の一種かもしれないね」

僕たちはしばらく沈黙し、互いの言葉を反芻するようにしていた。


青い鳥はどこにいるのか

「そういえば、君はさっき『幸せの青い鳥』の話をしていたよね」

「うん。人間って、意外と近くにあるものを見落としてしまうんだ。だから、もしかすると君が求めている答えも、もっと身近にあるのかもしれない」

「それは、どういう意味?」

君が小首をかしげる。その仕草に、僕は少し微笑みながら続けた。

「君は、遠くにある答えを求めているのかもしれないけど、本当はもっと近くに、心の中にその答えがあるんじゃないかって思うんだ。僕たちの無意識の中には、意外と豊かな資源が眠っている。それが、青い鳥みたいにふと目の前に現れることもある」

「じゃあ、僕が今感じている苦しみも、どこかで青い鳥に繋がるかもしれないってこと?」

「そうかもしれないよ。苦しみを避けるのではなく、その中に何か意味があると考えてみるのも一つの方法だ」

君はその言葉に目を細め、何か考え込むような表情を浮かべた。僕もまた、彼の考えを尊重しつつ、互いの心の奥にある答えを模索する。


言葉を交わしながら、死ぬ権利と生きる権利の境界線を探っていく。

生きづらさや嫉妬、苦しみの意味についても、深く掘り下げていく中で、僕たちがたどり着くのは、決して簡単な結論ではない。

しかし、それでも互いに理解し合いながら生きることの意味を少しでも感じられる瞬間が、どこかに訪れるのかもしれない。


絶望と希望のあいだ

「でも、実際に苦しみの中にいると、そんな余裕もなくなることが多いよ。青い鳥の話を聞いて、少しは希望を感じられる気もするけど、それでもまだ何かが足りない気がするんだ」

君の言葉には、一抹の寂しさが滲んでいた。その表情には、どれだけの言葉を尽くしても届かない、深い孤独があるようだった。

「分かるよ。僕だって、こんなふうに君に話しているけど、自分がどれだけ君の気持ちを理解できているか自信がない。ただ、一つだけ確かなのは、君が感じている絶望が一時的なものかもしれないってことだ」

「一時的なもの、か…」

「絶望も希望も、変わり続けるものだと思うんだ。今は絶望に囚われているかもしれないけど、だからこそ、いつかは変わる可能性があるって信じてほしい」

僕は少し戸惑いながらも、その言葉を口にした。それは、君を慰めるためだけの言葉ではなかった。僕自身、過去に暗闇の中で苦しんだ経験があるからこそ、絶望がずっと続くものではないと信じていた。けれど、それが君の心に届くかどうかはわからなかった。

「分かってる。でも…希望が見えないときって、どうすればいいのか、本当に分からなくなるんだよ。希望があるはずだと信じようとするほど、見つからない自分が嫌になる」

「それでも、君がこうして自分の気持ちを言葉にしていること、それ自体が大切だと思う。言葉にすることで、少しずつ心の中にあるものが整理されていくこともあるから」

君は、僕の言葉を黙って受け入れているようだった。けれど、その視線には、まだ答えを求めるような不安が宿っていた。


無意識の領域にある答え

しばらく沈黙が続いた後、僕はふと君に問いかけた。

「君は、自分の無意識について考えたことはある?」

「無意識?」

「うん。自分が気づいていない自分の一部、つまり、無意識に押し込めている感情や記憶のことだよ。僕たちの心には、普段意識していない多くの感情や思考が眠っていて、そこには僕たちが本当に望んでいるものが隠れていることがある」

君は少し驚いたような顔をして僕を見つめた。その表情には、わずかながら興味が見えた。

「そんなふうに考えたことはなかったかも。僕が本当に望んでいるものって、無意識の中にあるのかな?」

「かもしれないね。無意識に埋もれているものが、今の君に足りない答えを含んでいることがあると思う。心の奥深くに眠っている希望や、解決のヒントがあるかもしれない」

僕は少しだけ微笑んで、君に安心感を与えようとした。君がその言葉に少しでも救われるなら、それでいいと思った。

「無意識…か。何だか、不思議だね。でも、そういう視点から自分を見つめ直すことも必要かもしれない」


他人の幸せ、自分の苦しみ

「それにしてもさ、やっぱり他人の幸せって時々、苛立つよね」

君が唐突に言ったその言葉に、僕は少し驚きながらも笑ってしまった。

「わかるよ。他人が幸せそうにしているのを見ると、どうしても自分と比べてしまうものだし、自分の不幸がより際立つように感じてしまうこともある」

「そんな時、僕の中には、『どうして自分はこうなんだろう』って強烈な自己否定が生まれるんだ。他人と比べてしまうのは良くないって分かっているのに、どうしても比べてしまう」

「それは君だけじゃないさ。人はみんな、少なからず他人と自分を比較してしまうものだから。それでも、自分が自分であることに意味があると信じることができれば、少しずつ楽になれるんじゃないかと思う」

君はその言葉にじっと耳を傾けながら、小さく頷いた。

「他人の幸せに嫉妬することを悪いことだと思いすぎるのも、僕たちにとって負担になるんだよ。だから、そんなときは、『嫉妬している自分も許す』ってことが大事だと思う」

「嫉妬している自分も許す…そんなこと考えたこともなかった」

君は呟くようにそう言いながら、僕の言葉を自分の中で噛み締めているようだった。



僕たちが探しているもの

「一つ、僕は君に伝えたいことがあるんだ」

「何?」

君が静かに問いかける。その声には、これまでの議論を通して少しずつ心が軽くなったような響きがあった。

「君が今、どんなに絶望を感じていても、その中に微かな希望が見えないときでも、君には生きる権利がある。そして、君が生きることを選択することで、また違う景色が見える瞬間が訪れるかもしれない」

「生きることで、違う景色が見える…」

「そう。絶望の中で生きることはとても辛いけど、時にはその中にこそ、自分にとって大切なものが見つかることがあるんだ。だから、君には生きる選択をする自由もあるし、その選択をした自分を許す権利もあるんだよ」

君は少し目を閉じて、僕の言葉を受け止めるようにしていた。僕もまた、君の苦しみを理解しようと努めてきたつもりだが、それでもきっと、全てを分かることはできないだろう。

それでも、こうして言葉を交わし合い、互いに理解しようとする過程にこそ、僕たちが探している何かがあるのかもしれない。生きることが難しいと感じるとき、どんな言葉も救いにはならないかもしれないけれど、こうして誰かと心を通わせることで、一瞬でも孤独から解放されるのなら、それだけでも意味があるような気がした。

「ありがとう」

君は静かにそう言って微笑んだ。



最後に残るもの

僕たちの対話は、長い沈黙と共に一段落を迎えた。言葉を交わし尽くしたように思えたが、それでも互いの心にはまだ多くの問いが残っていた。答えのない問いを抱えたまま、僕たちはただ静かに座り、考え込む。

「ねえ、僕たちがこうして話して、何か変わったかな?」君がぽつりと呟いた。

「うん、どうだろう。劇的に何かが変わったわけじゃないかもしれない。でも、少なくとも僕は、君の言葉を聞いて少し考えが深まったように感じる」

僕の答えに、君は微かに微笑んだ。どこか少し安堵したような表情だった。

「君が感じている苦しみや不安、それに嫉妬や絶望、それらは全部、人間として当然の感情だ。それを抱えることが悪いわけじゃないし、むしろそれがあるからこそ、君は自分と向き合い、こうして他人と語り合うことができる」

「そうだね…なんだか、自分の気持ちを少し許せるような気がしてきた。完璧じゃない自分でも、それでいいのかなって」

「その通りだよ。完璧じゃないからこそ、人は成長するし、他人の気持ちに共感できる。君が抱えている痛みや苦しみも、いつか誰かのために役立つ瞬間があるかもしれない」

君はしばらく目を閉じ、僕の言葉を心の中で反芻しているようだった。静かな沈黙の中で、僕たちは互いの存在を感じ合い、今この瞬間を共有していることに少しの安堵を感じていた。



新たな一歩

やがて君がゆっくりと目を開け、穏やかな声で話し始めた。

「ありがとう。今日、君と話せてよかったよ。僕が感じている苦しみや葛藤を、こんなふうに受け入れてもらえたのは初めてかもしれない」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。僕も君と話せて本当に良かった。僕たちは完璧ではないけれど、こうして誰かと分かち合うことで、一歩前に進めることもあるんだと思う」

「そうだね…明日からもすぐには楽にならないかもしれないけど、少しずつ、僕なりに前に進んでみるよ」

君のその言葉には、決意が込められていた。決して強がりではなく、心の奥底から湧き上がる小さな希望の芽のようなものを感じた。

「焦らなくてもいいさ。大事なのは、君が君のペースで生きること。たとえ小さな一歩でも、それが君にとっての新しい始まりになるから」

僕は君の肩に軽く手を置き、心からのエールを贈った。君は再び微笑み、何かが吹っ切れたような顔で僕を見つめていた。



この夜の対話が君の心に何かを残せたのなら、それだけで僕は満足だった。君が抱えていた絶望や嫉妬、孤独…それらが全て消えるわけではないけれど、少しでも軽くなっているのなら、それは僕たちが共に歩んだ意味があるということだろう。


未来への希望

数日後、僕はふと街中で見かけた青い鳥の壁画を眺めながら、君との対話を思い出していた。青い鳥は、僕たちが無意識の中に見落としていた希望や答えを象徴するものかもしれない。

「生きることが辛くても、いつかは青い鳥に出会える瞬間が訪れるのかもしれない」


時の流れと心の変化

僕は日常の中でふと君のことを思い出すことがあった。

君がその後どうしているのか、少し気になってはいたけれど、僕から連絡を取ることはなかった。お互いにとって、それぞれの道を歩むことが必要だと感じていたからだ。

それでも、君との対話の記憶は、僕にとって大きな意味を持ち続けていた。僕たちが共有した時間や言葉が、僕の心に深く根を下ろしているような気がした。


ある日、僕は街の喧騒の中でふと顔を上げた。そこには君が立っていた。君は少し驚いた表情で僕を見つめ、その後、静かに微笑んだ。どこか自信を取り戻したかのような表情で、君は僕に手を振っていた。

「久しぶりだね」僕は君に声をかけた。

「うん、久しぶり。偶然だけど、また会えてよかったよ」

君の表情には、以前の対話のときには見られなかった穏やかさが漂っていた。君がどんな道を歩んできたのか、僕には想像がつかないけれど、それでも何かが変わったのだと直感的に感じた。

「どう、最近は?」

僕が問いかけると、君は少し照れたように微笑んだ。

「実はさ、あれから少しずつ自分のペースで歩んでみようって決めたんだよ。辛いときもあったけど、誰かに頼ったり、時にはひとりで考えたりしながら、なんとかやってる」

君のその言葉に、僕は安堵した。君が前に進んでいること、それが何よりも嬉しかった。


僕たちが選ぶ未来

その後、僕たちはゆっくりと歩きながら、互いの近況を話し合った。僕もまた、君との対話をきっかけに自分の心に向き合う時間が増えたことを伝えた。君も、僕と同じように悩み、葛藤しながら生きていることを知り、少しずつ自分を許せるようになったのだという。

「僕たちが選ぶ未来がどんなものであれ、それを自分で選んでいけるって思うと、少しだけ希望が持てる気がする」

君はそう言いながら、青空を見上げた。その瞳には、かつての絶望や迷いとは違う、確かな光が宿っているように見えた。

僕はそんな君の姿を見て、改めて思った。人生に正解はないかもしれない。迷いながら、不安を抱えながら、それでも少しずつ歩み続けること。その一歩一歩が、僕たちの未来を形作っていくのだと。

君と再会したことで、僕は再び自分の心に向き合い、自分の生き方について考える機会を得た。そして、どんなに些細なものであれ、僕たちが見つける希望や喜びが、人生を豊かにしてくれるのだと実感した。



終わりなき道

僕たちは、また別々の道を歩んでいく。それでも、心のどこかで互いの存在を感じながら、いつかまたどこかで再会するかもしれない。その時、僕たちはまた違った景色を見ているだろう。そして、その景色を語り合うことで、また新しい気づきを得ることができるかもしれない。

生きることは、決して簡単なことではない。絶望や不安、嫉妬や迷いがつきまとう日々が続くかもしれない。それでも、僕たちには選択の自由があり、希望を見つける力がある。

僕と君、そして僕たちのように迷いながら生きるすべての人に、その力があることを信じて。



人間が「死ぬ権利」と「生きる権利」をもつ理由は、個々の存在が多くの側面によって形成されているからです。

これには身体や精神の状態、思考や価値観、個人の性格や能力、さらには社会や文化、家族や友人といった環境要因が大きく影響します。

これらの複雑な要因が互いに絡み合い、絶えず変化する中で、人は自分の生き方を見つけ、また悩みながらも前に進んでいきます。

「身体」は、人生における大切な基盤です。健康であるかどうかは、人生に対する意欲や幸福感に直接影響しますが、病気や痛みが続く場合、それが精神の負担にもなり得ます。

「生きる」ことが苦しいと感じられるとき、時に「死ぬ権利」すら考えざるを得なくなる人もいるでしょう。

しかし、身体が回復したり適切なケアを受けられたりすれば、再び生きる意欲を見出せることもあります。

「精神」は人間にとっての核心です。

精神的な健康は、希望をもって生きる力を支えますが、逆にうつや不安などが強いと、未来が見えなくなり、生きづらさが深まります。

精神が落ち込むことで生きる力が失われることは、誰もが経験する可能性があり、また、精神の弱さを恥じる必要はありません。

むしろ、精神の状態は一時的なものであり、環境や支援によって変わり得るものです。したがって、「死ぬ権利」を無理に奪うこともまた、精神へのさらなる負担になるかもしれません。

「認知」つまり物事の見方や考え方も重要です。人は自分の見ている世界を絶対だと感じがちですが、その視野が狭まり、他人の幸せばかりが目に映ると、自己価値が低く感じられ、生きる意義を見失うこともあります。

しかし、視野が広がり、自分の価値や可能性が新たに見えてくると、生きる力は回復していくことも多いのです。他者の視点を取り入れることで、違う認知の仕方が得られ、自己の中で新たな意味や希望が芽生えるかもしれません。

「個人因子」、つまり性格やスキルなど、個人が持つ特性も無視できません。個人因子がその人に合った環境とマッチすることで充実感や満足感を感じることができ、それが生きる意欲に繋がります。

しかし、自己評価が低い場合や自己表現が苦手であったりすると、孤独を感じやすく、生きることが辛くなってしまうこともあります。このとき、「死ぬ権利」への思いが生じたとしても、それは「生きること」への再評価のための一つのサインであり、決して恥ずべきことではありません。

「環境因子」もまた、生きる権利と死ぬ権利を左右する大きな要素です。家族、友人、職場、社会的支援の有無など、環境は人間の感情や思考に大きな影響を与えます。

適切な環境が整っているとき、人はより健やかに、前向きに生きやすいものですが、逆に孤独や社会的な圧力が強い場合、強烈な生きづらさが伴うこともあります。つまり、環境が良い方向へ変われば、生きる意欲もまた変化しやすいのです。

「身体、精神、認知、個人因子、環境因子」は、常に相互に影響し合っているため、人間の「死ぬ権利」と「生きる権利」を一方的に否定することは危険です。

むしろ、両方の権利を尊重し、それぞれの人がその時々の心境に応じた選択を可能にすることが重要です。

生きることが辛いとき、無理に「生きろ」と言われるよりも、「君には選択肢がある」と認識できることが、時には救いになることもあるでしょう。

したがって、「死ぬ権利」と「生きる権利」の双方を尊重し、どちらも奪わない社会を築くことが必要です。

そのためには、個人の状況を尊重し、選択肢を認め、寄り添う姿勢が大切です。

そして、「死ぬ権利」を持つことが最終的に「生きる権利」を選び取るための支えになることもあるのです。

それは、絶望の中にある人が、いつか希望を見出すための一つの大切な道であるのかもしれません。

死ぬ権利はあるけど、より良く生きる権利が目の前に落ちている事を見失うのが高次な人間脳であることを忘れてはいけない。

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