『こゝろ』日記①
『こゝろ』という名作
戦後何十年も教科書に掲載され続け、著者がお札にも印刷される名作『こゝろ』。
言わずと知れた名作。
名作に対する私のイメージが偏っているせいで、長年読んだことがなかった作品。
職業柄読まねば…と必要に駆られて書店で新潮出版の文庫を購入した直後、本棚の中に角川書店版の文庫を発見!
以前読もうと思って挫折したこともありありと思いだされる。
う~~~~~ん、苦手なんだよな漱石…。
暗くて重い近代小説
夏目漱石だけでなく森鴎外も苦手。
志賀直哉も武者小路実篤も好んでは読みたくない。
漱石は『それから』、鴎外は『舞姫』を読んで苦手になった。
どちらもうじうじした男の内面の話で、周りの環境や主人公の社会的地位の描写が細かいせいでちっとも話が進まない。
そしてじっくり時間をかけて作品に付き合った読後は、主人公への嫌悪感でいっぱいだった。
「なんでこいつらは自分の内面の話しかしないんだ…なんでこいつらの世界で女はいっつも蚊帳の外なんだ…」
それから数年後、明治の文豪たちは「土地や国家などの共同体から切り離された個人の確立」を目指して「近代小説」なるものを書いていたと学ぶのだが、それにしてもだよなあ、と苦手は募る一方だった。
そうして、いくつかの巡り合わせのために苦手な「近代小説」を教える立場になったので、「あ~苦手~」という気持ちを押して読み始めたのが「こゝろ」。
感想
めちゃくちゃおもしれえ。
なにこれ最高なんですけど。めちゃくちゃ長谷川博己なんですけど。
耽美!幻惑!青春!
教科書に載っている部分からイメージしていた暗く重い印象よりも、危うげで思わせぶりな人間関係、そして無邪気な友愛の合間に薫る死の匂い。
多くを語らないくせに、いやに断定的な言い方を繰り返す「先生」。
抑制のきいた「先生」の様子に魅了されていく「私」。
冒頭を一読して、わたしは絶対「先生」は美男子だと決めつけた。
「私」が海辺で「先生」に目を留めるのも、美しかったからに違いない。
しかもそれは造形的なものではなく、「にぎやかな海辺で泳ぐ」という健康的な場所にそぐわない美しさのはず。
美しさが際立っているのに存在感の薄い幽霊のような人。
この大勢の人間がいる浜辺でなぜか「先生」に心惹かれる「私」の耽美。
「先生」が長谷川博己なら「私」は神木隆之介かな。
きっかけらしいきっかけもないまま逢瀬を重ねて親密になる二人。
そして何気ない会話の中でつぶやく「先生」。
「しかし君、恋は罪悪ですよ」
言われてえ~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!
読み進むにつれ、少しずつ明らかになっていく「先生」の人となりは、知ることが増えるごとに知らないことがもっと増えるという面妖さ。
なぜ仕事をしていないのか。
なぜ生活に困らないのか。
なぜ自分の意見を言うことを強く抑制しているのか。
なぜ結婚しているのに世間から隔絶されたような暮らしをするのか。
親戚と絶縁しているのはなぜなのか。
時折墓参りをしたり、散歩をしたりするのも、義理立てや慣習とは程遠く、どこか憂いのある「先生」。
「先生」に魅せられて無邪気に通い詰める「私」を、歓迎するでも嫌がるでもない様子を貫こうとする「先生」が、時折見せる真に迫る様子も最高。
「私は何も隠してやしません」
「隠していらっしゃいます」
「あなたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考えているんじゃありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏め上げた考を無暗に人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉くあなたの前に物語らなくてはならないとなると、それは又別問題になります」
「別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私には殆ど価値のないものになります。私は魂の吹きこまれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです」
先生は呆れたと云った風に、私の顔を見た。巻煙草を持っていたその手が少し顫(ふる)えた。
「あなたは大胆だ」
「ただ真面目なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」
「私の過去を訐(あば)いてもですか」
訐くという言葉が、突然恐ろしい響を以て、私の耳を打った。私は今私の前に座っているのが、一人の罪人であって、不断から尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は蒼かった。
「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。然しどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎる様だ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、人を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底から真面目ですか」
先生~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!
ぐっと踏み込んでくる「先生」に怯みながら向き合おうとする「私」の健気もマジで良き。
そして背景と化す「先生」の妻・静。
「先生」と「私」の蜜月にひっそりとたたずむ静、読んでいても全然顔が浮かばない。誰でもいいような気がする。
倉科カナさんや黒木華さんのような、感情を中に溜めていそうな俳優さんがいいかなあ。
幼い「私」にはわからない魅力をたたえている人である、というのも重要。
間違っても壇蜜さんや上白石萌音さんではない。
傾国の美女でもなければ相手の人格を変化させるようなエネルギーもない。
ただ恋をした「先生」が「他にはいない」と思ってしまうような素朴さがある。
美しいのに蚊帳の外、っていうのが私の静像。
やっぱり漱石の作品、女の人は蚊帳の外なんだよなあ。
明治ってそうだったのかなあやっぱり。
何したって男同士の物語なんだよ。それが友情でも恋愛でもない。
純粋な思慕や、権力(優越)に対する憧れ、自己実現みたいなものが絡んでくる。
「半沢直樹」や「青天を衝け」にも通ずる雰囲気がある。
でも漱石作品の方が、「女性にすべてを話すなんて恥ずかしくてたまらない」みたいなところがあってかわいいよな。
結末がわかっていてももう「先生」から目が離せない。
中盤から後半にかけて
『こゝろ』で物議をかもす「K」が現れる後半。
死と共に暴かれる「先生」の過去。
その葛藤が「友情か恋心か」なんていう単純な言葉では割り切れないものだろうことはもう感じている。
どうなるんだろうか!いったい!
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