元あったはずの建物達は消え去り、残ったのは黒く焼け焦げた砂地のみ。その砂地もまっ更に続いておらず、大きく凹む、または隆起して、あちらこちらに炎柱やら竜巻やら雷槌やら豪雨やら…。 終末というほど綺麗ではなく、ただの地獄絵図。 まだ人はいる。 人――もどきではあるかもしれないが…。 「ここは…」 赤の短髪をサラサラとビル風に流して、一人の青年が狭い路地裏に一人立ち尽くしていた。暗がりの中でも彼の赤い瞳は燃えるように輝いている。 一歩、二歩と彼が進めば「ガチャガチャ
逢魔が時―。 昼と夜との境、世界がその時だけオレンジに染まる。 私は今、その中で息をしている。 果たしてここが此岸か彼岸か―、そのどちらかわからないが…。 夏も終わり、ようやく空に浮かぶ雲も薄くなってきた十月初旬。秋に似つかわしい涼やかな空気に、まだ前の月の残り香のように強い日差しが降り注いでいる。 そんな中、駅から勤め先へと向かう道を、私は一直線に進む。 激しくアスファルトを叩く靴音や側に立つ高層ビルたちの威圧にも最近は慣れてきて、その朝と言えども灰色の空気
眼鏡をかけた私は、どうしても自分のことが好きになれない。 だから、十数年共に歩んできた眼鏡という道具に、私は憎悪こそあれど愛などない。 分厚い黒縁―。 レンズ越しの私の目は小さくなる。 それがどうしても嫌で、毎朝ぼやけた視界で鏡に映る自分だけを愛でる。 そこにいる私だけ、私は好きになれるから。 けれど、顔を洗い終わって朝食を食べる頃には、嫌いな自分になっている。 根暗で卑屈で鈍臭い。 友達のいない、お金もない、ただ独りぼっちの私。 この眼鏡さえなければ―。
悠久の時を生きる―。 なんてカッコつけて生きてきたが、まさか、私の周り誰一人いなくなるとは…。 見渡す限り廃墟ビルに次ぐ廃墟。アスファルトは隆起や沈降で割れたい放題、その割れ目からは雑草どころか平屋の屋根に届くほどの木々が生えている始末。建物にはツタが這い回って緑の城が並び立つ。 そんな風化した街中を私は今歩いている―。 「らんらんらーん。らららららー」と鼻歌交じりにクルクル舞うように、私は誰ひとりいないこの世界を進んでいく。 道の左右、ビル達の割れた窓ガラスに
「終わる…か?」 夕暮れの田んぼ。残暑厳しい日中を超えて涼やかな空気の中、少年は片手に持った稲刈り用の鎌をぽとりと落とした。 彼の腿の辺りで頭を垂らす稲穂はその田のほとんどを埋め尽くし、風に揺られてサワサワと優しい音を鳴らしていた。 「そんな事を言うなら、稲刈り一人でやってきなさい」 小学三年の少年に突き立てられた言葉。 少年は独りため息をついて、手元から滑り落ちた鎌を拾い上げた。 長袖のチェックシャツに袖を通し、長ズボンのジャージを履いて、頭には赤い線の入っ
鈴虫の声が遠くで聞こえる。 昨日まで暑かったのだが、昼間は変わらずとも夜の寝苦しさはなくなってきた。 「お風呂空いたわよー」 自分の部屋で椅子に体を思い切り預けて耳を澄ませていた私に、これもまた遠くから母の声がした。 同じ"声"というのに、どうしてこうも母の声は耳に障るのだろう。 虫の声は綺麗なのに…。 開け放った小窓から軽やかに吹きいる風が冷たくて、私は閉めようと立ち上がった。一歩二歩と窓辺に近づいていくと、細長い月が街灯に照らし出された空にぶら下がっていた。
命の価値は誰が決めるのだろうか。 神だろうか、人だろうか、それとも別の何かなのだろうか―。 「明日手術なんだっけ?」 病院の一室。入院患者に尋ねたのは白を基調としたセーラー服に袖を通した少女だった。 「そうだぁよ。明日だねぇ」 一人部屋、窓際に置かれたベッドに横になる入院患者は、軽く頭皮まで透けた白髪の老婆だった。彼女はぱっと見何処が悪いのかと思うほど血色良いのだが、よくよく見ると青白い病人服の袖から抜ける腕は細く、皮と骨。肩周りも顔とのバランスが崩れていると思え
下校。 日が傾き遠くの山へとその姿を隠そうとしていた。 私はそのオレンジがかった陽光に目を細める。 校門周辺には既に多くの生徒がゾロゾロと群れのように動いていた。その群れは校門を出てからの道においても、長くヘビのように連なる列を作っていた。 私もその流れに紛れて家路につく。 多分傍からみれば一塊の集団なのだが、中にいる人間達からすれば、確実な境界線が存在する。 例えば前行く二人と私。その間二メートルほどだが、同じ制服姿出会っても異なる集合だ。さらにその前三人組。
お昼の時間には大抵の生徒が机を合わせて誰かと共に食事をしている。 例外なく私も、、、と言いたいところだが、やはりおばさんと一緒に昼食を摂ってくれる人なんていない―。 「あ、あの、一緒に食べてもいいですか?」 私が自分の机で今朝用意してきたお弁当を広げようとしたとき、そんな声が聞こえた。 どうせ私に向けてではないと思い、そのまま手を合わせて「いただきます」をすると、今度は私の肩がトントンと叩かれた。 私がその手の元をすっと辿ると、そこにはさっき教科書を貸した隣の席の
私が久しぶりに高校生になってから1週間が経った。 もう教室の中からは、新しい生活や空間での緊張感はなくなってきていた。 窓際では明るい男子達があちこち女子に目を向けながら、誰が可愛いなどと下世話な会話もしていた。 その他、ゲームの話、アイドルの話、今日の授業の話、そこかしこで生徒たちが話している。私はそれを自分の席でボーっと前の時計を見つめるふりをして耳に入れていた。 友達はできていない。 ある程度予想はしていたが、結局孤独になった。物理的に同じ区切られた空間内に
春、私は高校に通い始めた。 十三年ぶりの青春。 色々なことが待ち遠しく思える。 修学旅行、体育祭、文化祭。部活動だって大会には出られないけれど、できることはあるはず。 私は胸いっぱいの高揚感を抑えきれないまま、もう七分ほど咲いた桜が側に立つ校門をくぐって行った―。 「おはようございます」と、春風が過ぎる度に運ばれてくる声は青く若いものだった。私の年季の入った「おはようございます」の声が少し恥ずかしく思えた。 校舎に入ってすぐ、私は並ぶ下駄箱の多さに目を見張った。
交差点の信号待ち。 横断歩道の手前で私は、向こう岸にいる猫の姿を見た。 腹のあたりだけ白く、その他は焦げ茶色。短めの毛並みをこさえたその猫は、ぐでっとあたかも液体のようにアスファルトの上、寝そべっていた。 とても愛らしいその姿に私は微笑んだ。 どこを見ているのか、じっと一点を見つめて、かと思えばこちらと目を合わせてきて―。その瞳はきれいな黒で、つぶらに輝くそれにまた心を奪われる。 登校中のこの時だけは、心が安らぐ。 これまであった嫌なことも、これから迎える沼のよ
今日は生憎の空模様。今にも雨が降り出しそうな重たい雲の下、西高校では就業のチャイムが鳴り響いていた。 「さようなら」 帰りのホームルームも終わり、渡のクラスメイトは、各々部活だの帰宅だのへと向かっていった。 「ねえ渡。今日私オフなんだけど—」 「今日はマジで用事あるから無理」 「もー。バスケじゃないよ。一緒に帰ろって誘おうと思ったの」 才花は右頬をぷくっと膨らませた。 「あー、それならいいけど、ちょっと用事あって」 「いいよー。教室で待ってる」 「悪いね。
連休明けの五月二週目。昼間の気温は段々と夏に近づき、西高校の中庭の植物も青々として来ていた。 「はい。それじゃあ、今日は隣の人の似顔絵を描いていきましょう」 「先生、今日隣の人休みです」 「あれま。それならどっか入れてもらって」 「はあい」 そう言われた少女は、ショートの髪を揺らして、見知った二人の元へと向かった。 「いーれーて」 「おう、いいぞ」 「どぞー」 「あ、り、が、と、う」 才花は大きく口を開けながら言った。 「お礼を言えて偉いですね」 「
「あーーーー。暇だあああああ」 四月末、連休前の昼下がり、日差しは既に強くなっていてもう空気は熱を帯びていた。 「どうした才花。ぐでっとして」 「やあ、渡さんや」 机に脱力して突っ伏しながら、才花が顔だけ隣の席の渡の方へと向けた。彼女の柔らかい頬は机でもちのようにつぶれている。 「今日ってもうこれで授業終わりでしょ?」 「おん。そうですね」 「でさ、職員研修でさ、なんか部活もオフになっちゃったんだよね」 「はあ、よかったじゃん」 渡の言葉に、才花はばっと上
春とはいえ、まだ夜は少し冷えるようで、校門にちらほら見える部活終わりの生徒たちは皆、動いた後とはいえワイシャツの上にブレザーを羽織っていた。 「ごめん。おまたせい」 「こっちこそ、急にごめん」 渡が向かった先、暗がりの照明の下、校門の脇で待っていたのは秋だった。それともう一人、秋の横に立つ男子生徒の姿があった。 「こんにちは。渡先輩。お久しぶりです」 サッカーの練習着のままでいて、秋より一回り背の低い、それでも体つきは秋よりも良い、短めのくせっけを携えた男子生徒