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【アフリカ】未曾有の幸せに気づいた日
フランス在住のアリアリです。
アフリカのジブチという国で3年暮らしました。
世界一暑い国と言われ、貧しさでも相当なものでした。
それでも人々は陽気で、楽しそうにおしゃべりして暮らしていました。
生産的な国ではないので、みんな時間はたっぷりありました。
そこでは人生観を変えることがいくつもいくつもありましたが、
ある日言われた言葉もその一つです。
「日本のように争いがなく豊かで素晴らしい国に生
【アフリカ・ジブチの日々】ラマダン明けのお祝いにイスラム教徒の女の子が楽しみにしていることは?
ジブチ共和国に行ったのは、今から20年前。
アフリカ大陸で、肌の色の違う人たちがいて、イスラム教で、世界一暑い国で、現地の人はソマリア語とアファル語を話すけど公用語はフランス語とアラビア語で…知らない事ばかりだった。
これは着いてから半年経った頃のこと。
結構いろいろなことを知ったつもりだったのに、まだわたし達の距離がとても遠いことに気付いた日のこと。
その日はラマダン(イスラム教徒の断食月
アフリカでお手伝いさんを雇う
2003年から2006年にアフリカのジブチに青年海外協力隊員として派遣されていた香田有絵です。
アフリカで、人生で初めてお手伝いさんを雇うことになった。
急にお金持ちになったわけではない。必要だったわけでさえない。
先方から是非にと頼まれたのだ。
なかば強制。
当時わたしは、貧困地域の婦人会で識字教育をしていた。
ジブチ人女性の中には、学校教育を受けていない世代がある。
鉛筆の持ち方を知ら
アフリカで泥棒に入られた話
ジブチという国は小さい。そこに住む外国人は少ない。
毎日の行動すべてが注目されていると言っていい。
知っていたけど、わかっているつもりだったけど、甘かった。
ある日、生活費を下ろしに銀行に行った。600ドル。
その夜のことだ。
当時住んでいたアパルトマン(マンションと訳すほどきれいではないけれど、アパートと訳すには頑丈すぎる)には門番がいて、わたしと夫が住んでいるのは2階で、ジブチには犯罪
仕事をするのは1家族に1人という考えの人たち@アフリカ
アフリカ、ジブチで3年暮らしていた時のこと。
仕事をするのは1家族につき1人という考えが浸透しているらしいことを知った。
ジブチに赴任するフランス人は、家政婦を雇う決まりがある。
雇用促進のためだ。
夫の家政婦さんになった人の家族では、彼女が家政婦の職を得たために、兄だか弟だかが港での労働作業を辞めた。
そういう決まりがあるわけではない。もう働くなくてもいいということになったらしいのだ。
ジブチ(アフリカ)の結婚式
フランス在住12年になる香田有絵ですが、最初に生活した外国はアフリカのジブチ共和国。
今回は結婚式について記憶をたどります。
ジブチの結婚式は、日本とはとても違う形で行われます。
大きく違う点は以下の3つ。
1)新郎新婦の到着時間が遅い
2)新郎側と新婦側とで別々に結婚式をすることがある
3)食事は出ない
貧困地区からシェラトン・ホテル、新郎の別荘でと、ジブチではいくつもの結婚式に参加しま
違う世界観に出会った時、「日本に例えれば何時代?」と考えてみる。
自分の価値観では理解できない国について考えるとき、わたしは「いつの時代の日本に置き換えるとわかりやすいだろう」と考えます。
1つの時代でわからなければ、いくつかの時代を組み合わせたりもします。
例えば、2006年に旅行したことのあるイエメンについて考えてみます。
戒律の厳しいイスラム教の国で、2007年ごろから治安が悪化。内戦が長期化し、現在は外国人はほぼ入れない状態です。
男たちは腰に刀を差し
アフリカ、ジブチの食事
こんにちは。フランス、ランス在住の香田有絵です。
在仏歴も12年になりましたが、最初に暮らした外国は2003-2006年のジブチ共和国(東アフリカ)です。
「ジブチ人はなにを食べている?」今回はその疑問にお答えします。
3年のジブチ滞在で、いろいろな家にお呼ばれしました。
青年海外協力隊で配属された婦人会の女性たちの家、JICA関係ジブチ人のラマダン(イスラム教の断食月)明けの夕食、通りすが
アフリカで学んだ。議論に持ち込まず、相手が自分の価値観で腹落ちすることの大切さ。
こんにちは。フランス、ランス在住の香田有絵です。
フランス在住歴も12年になりましたが、わたしが最初に海外に出た先はアフリカです。
3年のアフリカ生活でわたしは、「相手の理解を得るためには、相手の価値観で話す」必要があることを学びました。
印象的な出来事を2つ、ご紹介します。
その1。
その頃わたしは空前のモテ期を迎えていました(全然うらやましくない話ですので、安心してお読みください)。
アフリカで識字教室ー考えるよりやってみよう。わからないことだらけだけど。
フランス、ランス在住の香田有絵です。
青年海外協力隊でアフリカにいたときのことです。
2年間の配属先はカルティエ・セット(第7地区)の「婦人教育と貧困対策のための協会」(以下婦人会)でした。
下の写真がその婦人会の建物と近所の子供たち。
ここで何をするかは、わたし次第なのだと配属されてからわかりました。
料理や裁縫教室、コンピューター教室、貧困対策の活動、何をしてもいいというのですが、道具
そうだ、アフリカに行こう
この夏で、フランス在住14年になります。
今でこそ、当たり前のようにフランスで生活しているわたしですが、そもそも日本を出た日というのが存在します。
最初に暮らした国、それはアフリカのジブチ共和国でした。
「アフリカに行ったからこそ、わたしがわたしになった」と思える、人生を変えた出来事が3年間の生活の中にはあります。
今考えると、「価値観の違い」から学びを得たことばかりです。
身の回りの価値観