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違う世界観に出会った時、「日本に例えれば何時代?」と考えてみる。
自分の価値観では理解できない国について考えるとき、わたしは「いつの時代の日本に置き換えるとわかりやすいだろう」と考えます。
1つの時代でわからなければ、いくつかの時代を組み合わせたりもします。
例えば、2006年に旅行したことのあるイエメンについて考えてみます。
戒律の厳しいイスラム教の国で、2007年ごろから治安が悪化。内戦が長期化し、現在は外国人はほぼ入れない状態です。
男たちは腰に刀を差し、女性は一人では外出できず、全身を真っ黒な布で覆って肌を出しません。
内戦中、イスラム教、女性に自由のない国とくるととても怖いイメージですが、これを平安時代&戦国時代のイメージを持って考えてみます。
藤原道長の平安時代。高貴な女性は外を好きに出歩くこともできず、顔を人に見られてはならず、親が決めた相手が本人の顔も見ずに直接夜這いに来ることがあたりまえでした。
今の価値観では人権無視、女性蔑視もいいところですが、源氏物語という世界最古の物語が生まれた時代でもあり、私たちはそのころの日本を野蛮で未開な国とは思っていません。
戦国時代、日本は内戦状態でした。
大河ドラマなどで見る武士たちは「主君やお家、信念のために命を差し出す」「大義を持って人を切る」ことが良しとされています。
「人権が、、」などと話し始めたら、なにを!と切り殺されたでしょう。
紫式部を説得できるか、後藤又兵衛を説得できるか。
そう考えると、違う世界観の人たちとの対話がいかに難しいかわかります。
その人たちにはその人たちの世界観がある。
その人たちとこの地球で共存している、のが今のわたし達です。
イエメンが内戦で外国人が入れなくなる前、2006年春にわたしはイエメンのサナアを旅行しました。
当時いたジブチから海をはさんですぐ向かいがイエメンです。海峡の幅30㎞。
飛行機に乗って、上がったと思ったら降りる。非常に短い空の旅でした。
イエメンは、ため息がでるほど建物や装飾の美しい国でした。
街の市場は大勢の人でにぎわっています。
当時は外国人もビザを取得すれば入国でき、JICAや青年海外協力隊の事務所もあり、日本人観光客もいたのです。
下は市場で香辛料を売っている様子です。
女性たちも前進を黒い布で覆っていますが、男性に連れられて、あるいは複数人では出歩いていました。
そして黒い布の内側に、色とりどりの美しい色彩の服を着ています。
女性だけで入れるレストランがあり、そこではこの黒い布を脱いで、競うように美しい衣装と姿を楽しんでいました。
下は道で会った学校の生徒たちと引率の先生。
道の真ん中で歌を歌って踊っている男たちもいました。
踊りの中なので刀をかざしていますが、普段は刀をぬくことはありません。「抜く時は、目的があるとき」。踊るか、刺すか。脅しでぬくことはないそうです。
当時の旅日記に「山があれば上ろうと思い、女がいれば抱こうと思う男たち」と書いてありました。激しく熱い男たちという印象だったんですね。
下はカットという催眠効果のあるという草を売っているところです。
ジブチでもこれは男性たちの重要な日々の楽しみです。
口の中にもぐもぐと溜めてかみます。
片側の頬をぱんぱんにした男たち、よくみる光景です。
イエメンの男たちにとって、自国の女性は戒律で守られた近寄りがたい存在。むやみに近寄ると親やら兄弟とトラブルになりかねません。
外国人の女性はそのような制約がなく、命をかけなくても親しくなれるので、なにかとフレンドリーで親切な態度で近づいてきます。すぐに食事に誘い、話す時は肩を抱こうとします。相当女好きなのかも。
こういう男性たちばかりだと、女性は家に隠すかバリアーで覆っておかないと、トラブル続きだろうなと苦笑したものです。
親し気な写真が残っているのはそのためです。
当時は首都サナアにいる限りは危険もなく、楽しい時間を過ごすことができました。
アクセサリー店では、素敵ねと見入ってしまったネックレスがあったものの高価で買わなかったのですが、頼まないのに「写真だけでも撮っていきなよ」と写真を撮らせてくれました。そして一緒にポーズ。
あれから15年。
写真の中の人たちは、内戦中の今、どうしているでしょうか。
生きていて欲しい、笑うこともある日々であって欲しいです。
逃れてきた人たちのために、ジブチにも難民キャンプができているそうですが、彼らをただ「可哀そうな人たち」とみなすのは傲慢な気がします。
厳しい状況と与えられた世界を生きている、1人ひとり誇りと尊厳を持った、エネルギーある人たちなのです。
平安&戦国時代の人たちと、あるいはまた違う時代を生きる人たちと、どうしたらこの世界で共存し、彼らの幸せを尊重していけるのか、わたしたちに差し出されている課題だと思います。