カターニャの煙
目の前の通りに出た大きな炭火焼きコンロからもうもうと上がる煙に、まだ高い太陽からの光が乱反射する。煙の向こうには大きな体をした肉屋の店主が忙しそうに手を動かす姿が霞んで見える。通りに並べられたプラスチックのテーブルには高校生くらいの若者が輪になり、たっぷり肉が詰まった大きなパニーニを頬張る。煙の中をテーブルを縫うようにウェイターさんたちが足早に料理を運ぶ。私たちのテーブルの横をまた一人、お皿を抱えて煙の中に過ぎ去っていった。通りの車の音、客たちの話声、テーブルが重なる音に、時折つんざくような「マルコ!ビールを奥のテーブルへ2本!」との声。全ての音をもが、煙に包まれてまとまっていく。
昼下がりのぼんやりした頭にくっきりと刻まれる、煙が包み込む景色と音。切り取れば映画のワンシーンだねと言って目を合わせると、やはり煙のベールに包まれた火照った顔が、笑いながら縦に揺れるのがわかった。
明け方、我々はここシチリア島のカターニャに着いた。真っ暗なボローニャの吹きざらしのタラップで寒さに震えながら、朝5時45分発の飛行機に乗り込む。離陸の瞬間など勿論覚えていないほどすぐ眠りに落ちたが、握られた左手が優しく動かされ、目を開けて窓の外を見ると、青い海を、山の向こうにようやく登り始めた日の出が照らしていた。あぁ、シチリアだ。ボンジョルノ、シシリー。
タラップに降りると、1時間前のボローニャの刺すような風とは打って変わって、新しい1日の始まりを告げる、穏やかで暖かい風が私たちを包んだ。目を上げると、朝靄に包まれて聳えるエトナ山が、悠然と私たちを出迎えてくれていた。
町に着くと、夏のカターニャからは想像できないくらい、市街はまだ静かに眠っていた。狭い灰色の通りを抜け、手を引いて連れて行かれたのは、この町1番と言われる老舗お菓子屋さん、1897年創業の「Savia」。もちろん、カンノーリを。なにせこの旅は、カンノーリを食べたいというところから始まった旅なのだ。勢いよくかじると、カリッと砕けたカンノーリから粉砂糖が舞う。あまりの美味しさに感動し、目を細め「めっちゃ美味しい」という姿は、この後何度もモノマネされ、この旅のアイコンになった。
朝一の漁港を歩く。海の靄の中を目をこらしていると、朝釣りから帰ってきた船が近づいてくる。漁師さんに何が釣れたのかを尋ねると、歯のない口を開けて嬉しそうに答えてくれた。しかし強い方言が聞き取れずにいると、船の後ろから籠いっぱいに入ったイワシを持ってきてくれた。その場で海水で洗うと、「Sushiだよ、味見してみな」と口に運ばれる。新鮮な生イワシ、醤油がなくても海水の塩味が濃い身の味を引き立たせていた。
続いて朝の市場を歩く。既にピークを過ぎたのか、閑散とする魚市場を抜けると、奥に謎の煙がもくもくと舞い上がっている。私は足を早めて煙の元に行くと、カルチョーフィを炭焼きにしているところだった。見たことのない食べ物に興味津々に近づいていくと、お兄さんたちに話しかけられた。そのうちの一人、ガエタノと名乗るその男は、火をたく男たちを牛耳っていて、おそらくこのエリアの元締めだろう。ベトナム人の妻とビデオ電話しているから日本人として挨拶してくれという謎のリクエストを受け、後から追いついて来たアレッサンドロを巻き込んで、スマホに映る女性に向け挨拶をした。煙から出てくると、二人して狐につままれたような気分になって、思わず笑いが込み上げた。
坂を登ったり下ったりしてお腹も空いてきたところで、いよいよランチを食べるべくある通りへ向かう。カターニャで名物の馬肉を食べることをずっと楽しみにしていたアレッサンドロは、前日から「明日は馬肉だね、ヒヒィーン」と言って私を大笑いさせていたのだった。なんだか徐々に煙の匂いがしてきたかと思うと、その通りに差し掛かった瞬間、視界が煙でくもった。一瞬、ジブリの別世界に来てしまったかのような錯覚に陥る。目が慣れて歩みを進めていくと、通りに並ぶ肉屋さんがそれぞれ自分の店の前に移動式コンロを広げ、網の上で馬肉を炭焼きにしていたのだった。通りはジューシーな馬肉の香りをたっぷり含んだその煙で溢れている。
お昼にはまだ少し早い1時前というのに地元の人々でいっぱいで、ようやく空いたテーブルを拭いてもらって椅子に座ろうとすると、肉を選べとショーケースに連れていかれる。選んだばかりの馬肉が、店主が番をするコンロの元に運ばれると、私も肉が焼かれる姿を一目見ようと、後を追いかけて煙の中に入っていった。束になったオレガノを、ちょんちょんとオリーブオイルの中に浸し、そのまま肉に振りかける。まるで神社で神主がお祓いをするように、オレガノの束を振ると、オイルが滴って煙がワッと上がる。覗き込んでいた顔に煙がワッと覆い、厄と共に過ぎ去っていく。1、2、3・・目を開ければ、こんがりと焼き色の付いたジューシーな馬肉が出来上がっていた。
恐らくこんなに馬肉を食べたのは初めてだと思う。塊肉のビステッカだけでなく、薄切りの馬肉にカターニャ名産の小ネギとチーズを巻いたインボルティーニ、チーズの混ざったハンバーグ、ハーブの効いたソーセージ、次々に煙の上がるコンロから運ばれてくる馬肉たちを、私たちは嬉々として口に運んだ。どれくらい経っただろうか。満腹になった私たちがほっと一息つくと、やはり煙で乱反射した午後の太陽が注ぐ。ポカポカと温かいのは、暖かい日の光と、目の前のグリルの炎と、地元のワインと、それだけでなかったのかもしれない。また戻ってくるねと言ってお店を出て、まだ煙の出る通りを後にした。
3日目の最終日、帰る前にやはりもう一度と、この通りのあのお店に戻ってきた。通りに差し掛かって煙をかぶると、煙の感じが前と違う。全貌が見えるわけではないけれど、謎は興味に変わり、それでいて、少し懐かしいような。まるで、ゴールデンウィークの後の朝会のような、まだ知らないことばかりのクラスメイトだけれど、4月のようなまっさらの新しさではなくて、仲間の顔に少し懐かしい気持ちを頂きながら、また日々が始まる、といったような。お店の店主もウェイターもみんな私たちのことを覚えていてくれて、本当に戻ってきてくれたと、とても歓迎してくれた。調子に乗って頼み過ぎたと思った料理も、食べるとやはり美味しくて、綺麗に完食すると、顔を上げた。やはり2日前と同じ、煙が空間を包む、映画のワンシーン。でも今日の方が心なしか、煙のベールが薄いようだった。
※この記事は雑誌「1番近いイタリア」からの抜粋です。
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