#23【劇評・絶賛】 映画『PERFECT DAYS』(ネタバレあり)
書いてきたとおり、この映画について感じたことを書くのにとても苦戦しました。このままでは永遠に書き終わらない。
無理にでも、書き留めておかないと、さらさらと流れて消えてしまう……それはもったいない!頑張って書く!
このことを親しい知人あーちゃんに相談したら、
「映画の感想って思弁暴走しやすくてまとめるの難しそうだし、強い印象を残す作品ほどそうなりそう。だいいち、そもそもまとまりがなくて、論理的でなくて、思弁が暴走して、話が飛躍して、結論まで至らないのがくらたじゃん。そのまま書くしかなくない?」
と言われました。
く、くそう、ぐうの音もでねえ。さすがあーちゃん、ペラペラとしゃべりまくって話が飛びまくった挙句、「あれ、わたし何が言いたくてこの話したんだっけ?」とほざくくらたに日常的につきあわされているだけのことはある……。
ということで、まとまりがなくて、論理的でなくて、思弁が暴走して、話が飛躍して、結論まで至らないかもしれませんが、今日の時点の部分でいったん区切りをつけて公開します。
また、ネタバレありですので、未見で情報入れたくない方はここでストップなさってください。
映画『PERFECT DAYS』 概要
ストーリー
渋谷区の公共トイレ清掃員・平山(役所広司)の日常を一見淡々と追います。渋谷区の公共トイレは隈研吾、安藤忠雄など名のある建築家のデザインで、一つひとつが個性的なつくりになっているようです。
スカイツリーが見える古いアパートに平山は住んでいます。
朝は白んできた光とご近所のほうきの音で目覚め、小さなもみじの鉢植えに水をやり、歯磨きと髭剃りをして家を出ます。家の前の自販機で購入した缶コーヒー1本とともに、軽自動車で首都高を走って仕事に出かけます。車内でかけるのはカセットテープ。70年代の洋楽とともに車を走らせるシーンは、ロードムービーのようです。
彼の仕事は非常に丁寧で、車には自作の清掃用具が積まれ、便器をよく磨き、裏を手鏡で覗いて汚れがないか確認する徹底ぶり。トイレを使用する人がいればその間、トイレの外に出て公園の木々の枝葉のざわめきを眺めます。
昼は決まった公園の決まったベンチで、決まった木の先端を眺めながら、サンドイッチと牛乳で済ませます。昼食が済むと眺めていた木を白黒のフィルムカメラに収め、午後の仕事に戻っていきます。
仕事が終わると銭湯の一番風呂へ。そこには退職後のおじいさんしかいません。夕食は、決まった飲み屋の決まった席でいつもの一杯。
平山は無口で、そこですれ違う誰とも大して口を聞きません。
帰ると畳にせんべい布団で文学などの本を読みながら寝落ち。
彼が眠るたびに幻想的な夢のシーンが挟まれます。その日あったことや平山の心に強く残ったことが、白黒で断片的に映し出されるのです。
そして彼のもとにまた朝がやってきます。
螺旋階段を上っていくのに似ている
ただ、ルーティンのようでありながら、彼のもとには何かしら事件が持ち込まれ、一日として同じ日はありません。
平山が淡々と行う毎日のルーティンによる穏やかなリズム感、安心感、心地よさの上に、同僚の若者から金を無心されたり、家出した姪っ子が転がり込んできたりのドラマが展開されます。
陸上トラックを何周もするというよりは、似たようなところを回りながらも、少しずつ少しずつ上がっていく、螺旋階段のような印象を受けました。そういえば平山は毎晩寝床で本を読みますが、毎日本を読む行為はルーティンだけれど、本の中身は読んでいけば進んでいくのにも似ていますね。
枝葉末節に対する共感、俳句のような作品
平山が木々の枝葉のざわめきを好もしそうに見つめるカットが印象的に入ると思っていたら映画の最後に、「木漏れ日」が日本語特有の語である旨の文章が映し出され、それがキーワードになっていたと示されました。枝葉のざわめきでなく木漏れ日だったのか。なるほどー、むむう……木漏れ日って、枝葉を見上げるというよりはむしろ、地面や木の下に落ちた光と影を思い起こすので、少しわたしのイメージと違ったかな。
でも、木漏れ日のイメージとは違ったけれど、画面に映し出される陽光と木々の枝葉が織り成す、光と影が共存する美しさへの視線はとても繊細で温かいと感じていました。そこにはその一瞬にしか存在しないはかなさも含まれています。
「枝葉末節」という言葉は「本筋から外れたつまらない細かい部分」の意味で使われますが、まさにその「枝葉末節」とされるものに対する哀感……共感と慈しみを全体から感じる作りでした。
TBS系列『プレバト!』の夏井いつき先生が添削でよく、俳句は17音しかないので説明は不要、映像を描き出せばそこで起きる感情は読み手が想像してくれる、と言います。まさにそのような映画だと思いました。
「パーフェクトデイズ」というタイトルの滋味
映画の中で平山の身に起こる出来事は下記のようなものです(順不同)。
清掃しようとした公園のトイレに男の子が隠れて泣いていた。平山が彼の手を引いて保護者を探しに出たところすぐに母親と遭遇する。母親は平山には一瞥もくれずに「探したのよ!どこいってたの」と息子を叱りながら、平山とつないでいた手をウエットティッシュで丁寧に拭いて足早に去っていった。子どもは一度だけ振り返って平山に手を振った。
トイレの洗面台の隅に残された紙片にまるばつゲームが書かれていたので、平山は一手回答を書き加えて同じ場所に置いておいた(井の字に〇と×を書いて一列そろえたほうが勝つというゲーム)。翌日またそれに対して相手の一手が書き加えられて置いてある。毎日一手ずつのやりとりが行われ、ゲームの最後に、相手から書き添えられた「Thank you」の文字。平山は微笑んで胸ポケットにしまう。少しだけでもつうじあう喜び。
いつもの公園のひとつに、ホームレス(田中泯さん)がいる。平山はいつもその人を目で追う。たまに目が合うと会釈する。
休日には、ほうきで部屋の掃除をし(濡らしてまるめた新聞紙を撒いてほうきで掃く、昔ながらの掃除の仕方!)、コインランドリーへ行き、カメラ屋さんで現像に出し、古本屋で100円の文庫本を1冊買い、店番の女性の一言蘊蓄を聞く。いつもとちがうスナックで夕飯。ママ(石川さゆり)はおじさん客のアイドル。
遅刻常習犯の同僚タカシ(柄本時生さん)がいる。タカシはいろいろとゆるい若者で、仕事中無駄口ばかりで作業も雑。アヤちゃん(アオイヤマダさん)に片思いしているが、「お金がないとアヤちゃんのお店に会いに行けない」という。「今日勝負なんすよ。お金がないと恋もできないんすよ、こんなのおかしいじゃないですか」と何度も何度も言う。
タカシにカセットテープを売れと言われ下北沢の中古カセットテープ屋に無理やり連れていかれる。平山のカセットテープは高値がつくとわかる。売りたくない平山は、返ってくる見込みのない2万円を貸す。一部始終を見ていたカセットテープ屋の店員や客は、無言で平山に同情の視線を向ける(この場面、観ていてかなりタカシがむかつく。劇中にこの店員や客がいるおかげで、少し救われたような気がした)
仕事場のひとつのトイレにダウン症の青年小野寺(吉田葵さん)が現れる。「タカシく~ん」「お、でらちゃん!耳たぶ触るか?」でらちゃんははタカシに会いに来たのだった。その光景を見て思わず微笑む平山。タカシの憎めないキャラクターを描く素敵な場面。
アヤちゃん(アオイヤマダさん)はまったくタカシに気がなさそうだが、ひょんなことから平山の車に乗ってカセットテープと70年代の洋楽に興味を示す。後日、平山の仕事場に現れたアヤちゃんから、ほっぺにチューされる!
アヤちゃんに振られたタカシは突然仕事を辞めてしまい、平山はタカシの分まで清掃に周り日が暮れてしまう。管理部門に「こんなことは毎日は無理だから人をよこしてくれ」と珍しく声を荒らげる平山。もちろん2万円も返ってこない。
家出の姪っ子ニコが転がり込んできて一緒に過ごす。ニコは、平山の本棚や仕事にとても興味を示す。ニコはモップ絞り器の使い方もしらないのに、仕事を手伝うと言い出す。後でわかることだが、ニコは普段運転手付きの車で移動できる裕福な家庭の娘。自転車を自分で漕ぐニコ。ふたりで自転車で渡る隅田川の橋の上。ニコに対しては、表情も柔らかくなり、よくしゃべる平山。
ニコを迎えに来た実妹との再会。運転手付きの大きな車で去っていくニコと妹。平山の実家の裕福な暮らし、父との確執がうかがえる。平山が自ら望んで没落貴族となったことがわかる。実妹の台詞「トイレ掃除してるってほんとなの」、別れ際の抱擁に、複雑な過去の傷跡が見て取れる。
ある日、いつもの飲み屋がとても混雑していた。活気がある一方で、いつもの席を先客(団体)に奪われ、隅で肩身狭く追いやられている平山。
そんな休日、スナックに早めに着いたら、ママが男(三浦友和)と抱き合っていた。思わぬプチ失恋に、河川敷で缶チューハイ3本と久しぶりのたばこでふてくされる。そこへ先ほどの男・友山がやってきて、自分がママの元夫で再婚していること、不治の病に罹っていることを打ち明ける。平山はまだ開けていない缶チューハイを友山に勧め、川を見ながらともに飲み、影踏みをして遊ぶ(人の影は後ろにより大きな影があったら消えてしまうのか、という友山の問いかけを受けて。人ひとり生きたことに意味がないなんてことがあるものか、という話のメタファーに見えた)。
この作品では、平山のルーティンの上に起こる、いいこともよくないことも、ささいなことも大きなことも、同じように同じテンポで扱われているように見えました。いいことはささやかなことであるのに対し、よくないことは強い感情を催させるのも現実に近い。それだけに、ささやかな日常的な「いいこと」を慈しむ平山の姿は心に残ります。
女子バスケの記事で引用したSHISHAMOさんの『明日も』がここでも聞こえてくる気がします。「いいことばかりじゃないからさ。痛くて泣きたいときもある。」
でも、そんな日ですらすべてひっくるめて「PERFECT DAYS」であるという、生きることそのものへの肯定。
観終わって改めてタイトルを確かめて、噛めば噛むほど滋味深い。
かぐや姫の生きる喜びと苦しみを描き出した高畑勲監督の映画『かぐや姫の物語』にも通じる生への大肯定だと、くらたは受け取りました。
各キャラクター像
無口で「イノセント」な平山を、役所広司さんが好演
無口な平山を、役所広司さんが好演されていました。
説得力のあるたたずまいが魅力的でした。
木々のざわめきを見て微笑む平山。
ホームレスを見つめる平山(この場面言葉で説明しろと言われても難しい)。
仕事終わりの一番風呂で、後から湯舟に入ってきたおじいちゃん二人連れが仲良く談笑する姿を見て、ひとり微笑む平山。混んだ映画館みたいに、特に会話を交わさなくても、共有している感覚に微笑みたくなる気持ちってちょっとわかります。
後半、姪や実妹とのやりとりから、無口である背景に過去の傷も感じさせられたり、タカシが急に仕事を辞めてしまって二人分の仕事を終えたあと、人をよこしてくれと声を荒らげる場面も、突飛な感じがしなくて良かったです。
パンフレットでは、芥川賞作家の川上未映子さんが、平山は、人に対する反応が子どもっぽくイノセントである一方で、銭湯のシーンでは平山の老いた肉体が映し出されている、ということを指摘なさっていました。
アヤちゃんに頬にキスされて驚いたり、ママへの擬似失恋ヤケ酒からの、病身の友山への共感・哀感。わたしがいじらしい人間らしさと感じたものは、確かにイノセント・子どもっぽさに通じるものでした。
わたしが彼を好もしく感じたのは、自分がまさにアラフォー休職中で、川上さんの指摘のとおりの状況にいるからなのかもしれません。中堅でありながら、ある意味職場での責任を放棄して、見たくないものを見ないまま、自分のためだけに今生活している。耳が痛い。
でも自分を擁護するようですが、平山は、「向き合わなきゃいけない責任」と向き合って「見たくないものを見」たうえで、疲れ果てて自分のルーティンの中で生きているという見方もできると思います。実妹とのやりとりも描かれていたので。
また、吐しゃ物や女性の生理用品を片付けるシーンがないことも、川上さんが指摘されていますが、映画では描かれていないが、平山がトイレ清掃員である以上、それらをしていないわけがないとくらたは思うのですよね。映像外でそれが行われていると推察させるに十分なほど平山の丁寧な仕事の姿勢は描かれていたと思います。それが描かれていないだけで「平山がそれを見ていない」と断じるのは早計なんじゃないかな、とくらたは思いました。
個人的にうんことかみたくねえよ、うんこ漢字ドリルやおしりたんてい、劇場版SPY×FAMILYじゃあるまいし。
冷笑的な態度を排したことが、観る者を無防備にさせる効果があったと「THE Hollywood REPORTER」は指摘しています。くらたにも、そういう、観る者の身体を強張らせるものを不在にしたことの効果は大きかったと感じています。
この作品で描かれている「人生を意味あるものにする何か」については、このnote.でも何度か引用しているジュリア・キャメロンさんの『ずっとやりたかったことをやりなさい』で書かれていたものと通じるものを感じました。
平山のなんたるかを、若い女性は理解する
平山のカセットテープに興味を示すアヤちゃん。
家出して平山のもとに転がり込む姪っ子のニコ。
公園でランチする際も、隣のベンチには常に同じ女性がいました。
役所広司のなせるわざでしょうか、若い女性に愛されるおじさんを描きながら、宮﨑駿監督みたいな気持ち悪さはなかったのも印象的でした。
ジブリ大好きだけど、グランマンマーレとか菜穂子さんとかヒミさんとか、ある時点からの宮﨑駿監督の、ちょっとマザコンが匂う女性造形がちょっと気持ち悪いな、と思うくらたでした。
ああ、イノセントな少年的という点では一致しているけれど、役所さんの平山にはマザコン感がないのか。平山の父親については話題に上るけど、母親については全く語られない映画でしたね。
くそやろう、だけど憎みきれない同僚のリアリティ
同僚のタカシは全体的にゆるくて、あまり物事にはっきりした境界線を認識しておらず、今ここにないものばかりを欲しがっているようなキャラクター造形でした。遅刻や借金、被害者マインドなどたいていはそのゆるさが彼の欠点に通じますが、でらちゃんのエピソードのような美点にも通じています。いいやつでも悪いやつでもある、人間の多面性が出ていてよかったです。それを見事に演じきった柄本時生さん、すごい。
ホームレス田中泯
田中泯さんのホームレス役も印象的でした。
平山が仕事中にふとホームレスの人に共感に満ちた視線を向けます。彼(ホームレス)はいつも真剣に何かをしているのだけれど、何をしているのかは観ている側にはわからない。たまに平山と目が合うと会釈しあいます。
田中泯さんって、なんかいつもホームレスの役やってない?と思ったら、昨年観に行った山田洋次監督の『こんにちは母さん』でした。そこでは、ホームレスの支援事業を行う教会の牧師(寺尾聰さん)と母さん(主人公・大泉洋さんの母さん。吉永小百合さん)の顔なじみのホームレスの人という役で、そこには支援する側される側の厳然とした違い、溝がありました。
でも今回の映画には、支援する側される側の関係はなく、彼はただそこにいるだけ。たいていの人とホームレスの人の距離感はこうなのではないかと思います。その中で、平山の視線は共感的でした。それが好もしく感じられました。
その他 感じたこと
小津安二郎の影響 山田洋次監督作品との比較
パンフレットにもありましたが、今作には小津安二郎の影響があるようです。恥ずかしながら小津映画は未見なので、わたしにはその部分は読み取れなかったのですが……。
同じく小津監督の影響を受けていると言えば、上記『こんにちは母さん』の山田洋次監督がよく知られています。山田監督作品では、数年前に観た『おかえり寅さん』は、寅さんシリーズに対する敬意と愛情がこもった作品で、寅さんシリーズ未履修のくらたでも、寅さんについて好意的な目線で知ることができ、ゴクミと吉岡秀隆さんの再会恋愛模様も楽しめました。
いっぽう、昨年観た『こんにちは母さん』は、若者(永野芽衣さん)の造形にリアリティがなくてくらた的にはあんまり……でした。吉永小百合さんの美しさと、大泉洋さんの尻芸(スラックスのままふて寝するシーンの尻が情けなさをよく語っていたのです!)はよかったけど。
数年前の『東京物語』も観たけれど、やっぱり若者(蒼井優さんと妻夫木聡さん)の造形がしっくりきませんでした。山田監督が考える「イマジナリー若者」って感じ。
若者の表現としては、山田監督作品よりも、今回のアヤちゃんのほうがリアリティ感じたけど、いうてくらたはアラフォーなので、実際の今の若者はどうなんでしょうね。
また、山田洋次監督の作品はとにかく喋らせますよね、ぜんぶ台詞で説明する。ほとんど言葉で説明しない今作とは対照的です。それぞれの良さはもちろんあるけれど、輪郭線がはっきりくっきり描かれた漫画絵と輪郭線で世界を分けない油絵、散文と俳句くらい違う印象を受けました。
不思議に思ったこと
観ていてすごく気になってしまったのが、車や自転車の鍵をかけるシーンはあったけれど、家の鍵を閉める場面がついぞ一度もなかったこと。家の玄関から出て鍵をかけないままカットが切れずに、車に乗り込んだり自転車に乗って出発していたのです。
何かの複線か、鍵を閉めないで暮らしているという人物描写なのかなと思っていたら、途中で姪っ子のニコに鍵を渡して開けさせる場面があったから違ったみたいです。なんだったのかな~??
公式サイトなど、詳細情報はこちら
長くなってしまいました。もうすぐ8000文字近い。
でも、映画を観て感じたことや、頭の中で連想したことは、ほぼ出し尽くせたと思います。
ここまで読んでくださった方がいたら本当に心から感謝申し上げます。
つまみ読みしてくださった方も、ありがとうございます。
公式サイトはこちら。映画の雰囲気が味わえるしかけがとても素敵です。