【読書】沖縄はいつから日本なのか 学校が教えない日本の中の沖縄史 その1
出版情報
タイトル:沖縄はいつから日本なのか 学校が教えない日本の中の沖縄史
著者:仲村 覚
出版社 : ハート出版 (2018/4/18)
単行本 : 240ページ
本書から学ぶ、この一連の記事は下のような構成となっている。
1 日本の中の沖縄の歴史 ← この記事
4 住民を守るのは自治体の義務
沖縄を知ることは日本を知ること
民族とは歴史と使命を共有した運命共同体だと著者はいうp11。沖縄はいかに日本なのか、本土に住む日本人にとっても、沖縄に住む日本人にとっても、スッと身のうちに入ってくるように本書では説明されている。
「琉球の言語も文化も民族も、ルーツは日本にある」p87。沖縄出身の著者がこう述べる言葉には重みがある。神話の類似性、古いヤマト言葉、縄文のDNA。逆に日本の文化や言語、民族のルーツは沖縄にある、沖縄にこそ残されている、とは言えないだろうか?
私たちは、もっと『自分のこと』を知るように、沖縄を知っていく必要があるのかも知れない…本書はそんなことを思わせてくれる。それが沖縄を、そして日本を守ることにつながっていく。
例によって長くなったので目次を貼るので参考にしてください。
沖縄はいつから日本なのか?
あれ?明治時代から??江戸時代からかな??あれれ??もっと前は??
一般的な学校教育での知識やいわゆる一般常識では、そこがふわっとぼんやりしている。
ずっと昔。神話の時代には、沖縄と日本は、どう考えても同系列の神話を共有している(沖縄・久高島のアマミキヨの伝説など)。
ではもっと現代に近い時代は?中世や近世では?
明治時代には廃藩置県があって、沖縄県が設置されたハズ…ってことは間違いなく明治時代には沖縄は日本だった。江戸時代は確か薩摩藩による間接統治と清国による冊封と二重支配(=日清両属)じゃなかったっけ??
著者によれば、上記の思い込みは、大陸発の朝貢冊封をもとにした歴史観であり、教育やメディアにより繰り返し教えられている、という。
より詳しくいえば、その大陸発の朝貢冊封をもとにした歴史観に、江戸時代の薩摩藩のプロパガンダ、それを利用したGHQによる沖縄と日本の離間政策に引き継がれ、左派勢力と中国共産党の宣伝工作によるものだ、と著者は述べているp118。
沖縄はいつから日本なのか? 日本政府の見解
➡️ ➡️ ➡️ 【正解】(少なくとも)数百年前から。(足利時代から)
沖縄はいつから日本なのか?という問いに対する、日本政府の正式な見解は、下記の平成29年(2017年)の安倍元首相の国会答弁である。
数百年前から??どゆこと??
上記主張が寺島(正則)外務卿とその後任の井上馨外務卿による外交文書として残っており(明治12年)、安倍首相の回答はこの外交文書が根拠となっている。
歴史の教科書の副教材には、こうしたことも掲載してほしいなぁ。
足利義教が「与えた」ということは、足利幕府が統治していた、ということだよね。少なくとも統治権が足利幕府にあった。それでは統治権の所在は、どれほど遡ることができるのか。(個人的な)研究課題は尽きない。
日本の教科書は中国共産党と同じ歴史観?
では「沖縄はいつから日本なのか」に明確に答えられない、現状のうすらぼんやりとした歴史観は、一体どうして醸成されたのか?
上述したように、大陸発の朝貢冊封の歴史観に、江戸時代の薩摩藩のプロパガンダ、それを利用したGHQによる沖縄と日本の離間政策、さらにそれらを引き継いだ左派勢力と中国共産党の宣伝工作によるものだ、と著者は述べるp118。その左派勢力には教科書やマスコミも含まれている。
GHQの沖縄と日本の離間政策については言うまでもないだろう。薩摩藩のプロパガンダについては後に述べるとして、ここでは中国共産党による歴史観を見ていこう。
では、確認してみよう。
確かに明や清に朝貢したこと、その属藩となったことを強調して記述してある。明治以降、特に日清戦争以降の話は、中共による捻じ曲げっぷりがすごくて取り上げる必要もないくらい、だ。我々がうすらぼんやりと持っている歴史観(日清両属)は確かに中国共産党の歴史観に沿っていて、日々マスコミや教科書で繰り返されているとおりだ。
実際には沖縄と日本の歴史は絡み合っていて、双方切り離せないのに…というのが著者の主張である。
「中国網日本語版」で気になるのは江戸末期、ペリーが幕府に琉球の那覇港の開放を求める(1854年)が、日本側(幕府)は「琉球は遠い国であり、日本側にはその港の開放を決定する権利はない」とした、というところだ。これは幕府から見れば、琉球を実質的に統治していた薩摩に任せた、ということになるp97。時の薩摩藩主は名君の誉れ高い島津斉彬。米琉条約を締結すると、かねてから行なっていた薩摩流の富国強兵への歩みをさらに進める。蒸気船を注文し、外国船への物資供給について2〜3倍の価格を要求し、貿易品には日本製品を宛てることなどを琉球側に指示しているp97-p98。米流条約は琉球が独立していたから結ばれたのではなく、幕府が管轄権のある薩摩に任せたから結ばれたのだ。
冊封は支配ー被支配関係ではない
著者はいう。
琉球王国が明や清に朝貢し、冊封されていたことが属国だったとされる理由になっているが、
前述した井上馨外務卿は、朝貢冊封について、
と一喝。明治の人の方が、朝貢冊封は支配ー被支配関係でないことをはっきりと理解していたといえる。
相互に絡み合う琉球と日本の歴史
琉球や沖縄の歴史は日本の歴史の一部である(日本の一地方の歴史である)というのが著者の主張だ。どういうことだろう?
琉球王国の建国王は源氏の子孫!?
驚いたことに琉球王国の建国王は源氏の子孫であると、琉球王国の正史『中山世鑑』に書いてある、という!p64
はちゃー!日本の正史では伊豆で亡くなっていた人物が沖縄に渡っていた、と。そして王家の始祖になった、と。源といえば清和源氏。天皇の子孫じゃないですか!
そりゃ、沖縄の歴史は日本の一地方の歴史、となりますよ。
今の歴史教育、歴史観では「真実は一つ、正史も一つ」となっているが、沖縄(=琉球王国)の正史と日本の正史がぶつかり合っている。逆にいれば、沖縄の歴史と日本の歴史は絡み合っている、とも言える。いつかはどちらが正しいか、はっきりする日がくるかもしれない。だが、それまでは日本書紀形式の「一書に曰く」でもいいのではないのだろうか?つまり、どちらも正史とする柔軟性をもたせる、ということ。あるいはどちらか一方が正しかったとしても、正史とした、ということはそれだけの理由があった、ということ。そしてそれが長く『本当のこと』として受け継がれてきた。そこに想いをいたし両方を尊重することはできないだろうか?昔の人の方が知恵があった、ではちょっと情けない、と思うのは私だけだろうか。
これもやっぱりぜひ歴史の副読本などに記載してほしい。
薩摩による琉球遠征は戦国時代の日本国統一の総仕上げ
戦国時代、薩摩と琉球は対等で協力関係にあったり、領海も含めた総面積では琉球が日本一広い面積を収めていた時期もあった。
だが念願の九州平定をあと一歩で大友宗麟と秀吉に阻まれた薩摩は財政を立て直す必要もあり、また出来たばかりの江戸幕府にうまく立ち回ったこともあり…力の逆転した琉球への出兵を考えるようになる。
1603年 江戸幕府成立の後、1609年に薩摩は3000の兵を率いて沖縄本島に上陸し、たちまち首里城を占領。尚寧王は薩摩へと連行され、江戸へと向かう。が、天皇と同じ玉の輿に乗り、扱いは丁寧であったという。
1611年には薩摩の「掟十五条」に従うことを求められる。これは薩摩が琉球の貿易を独占するためのものだった。「江戸幕府の名前は一つも出てこない…この時から、琉球は薩摩の附庸国であり、琉球独自の外交は存在しない…」p84。
では、何だというのだろう?
日本の幕藩体制を完成させた戦争!…戦国時代はあっちこっちで戦闘があって領土も取った、取られたをやっていた。そしてある意味みんな「天下統一」と平和を目指していた…。こんなふうに沖縄や琉球を観じたことがなかった。私はこの言葉ではじめて「あー沖縄も私たちなんだ(沖縄のことは私たちのことでもあるんだ)」と思うことができた…。沖縄に住む人々がそれをどう思うかはわからないけど。「遅いよっ」と言われるかもしれないけど。民族統一…そんなふうに思ったことなかった…。
幕府と薩摩によるプロパガンダ
では戦国時代が終わり、琉球は幕府や薩摩とどう関わりを持つのか。また世界情勢との関係は?
明と貿易したい江戸幕府と薩摩
著者は言う。
幕藩体制確立直後は、外国船が江戸近くまできたり、幕府が外国との貿易を積極的に行おうとした時期もあった。しかし次第に幕府は、貿易窓口を絞っていくことになる。それはキリスト教布教(特にカトリック)と貿易が侵略・植民地化と組み合わされていて、このままでは植民地化の危険から逃れられないと気づいたからだ。
貿易口は松前、対馬、薩摩、長崎の四つとなったp60。いわゆる鎖国だが、実際には禁教令であり、これは江戸幕府の国防対策だったp72。
そして薩摩は琉球に常駐の在番奉行所を置き実効支配したp70。そして琉球は独立国を装い明との間で朝貢冊封関係を結ぶ。それしか明との交易の方法はないから、だ。明は琉球には出先機関は何も置かず、琉球の人が中国語を母国語としてしゃべったこともないp61。上記で述べたとおり。
江戸時代、琉球ブームが起きた
参勤交代の代わりに、琉球には「江戸上り」があった。これは江戸幕府への琉球国中山王府の朝貢使節のことで、幕府の将軍交代時には慶賀使が、琉球国王交代時には謝恩使が派遣されたp67。
本土で琉球ブームが起きるだけではなく、江戸で観劇した歌舞伎や能を琉球の伝統芸能に取り入れたりp68、時代はさかのぼるが本土から伝えられた念仏踊りがエイサーへと変化していったりしたp66。
江戸時代にも国防最前線だった沖縄
江戸時代、沖縄=琉球は幕藩体制下にあったので、キリシタンは取り締まり対象だっただった。1624年スペインの宣教師が石垣島で布教し、有力者が受け入れたため瞬く間に広まった。が、結局首謀者をはじめ数名は処刑。そのほか流刑、財産没収などの処罰を受けた。この弾圧を「八重山キリシタン事件」というp72-p73。
江戸幕府の政策を知ることができる遺跡も残されている。「先島諸島火番盛」というp74。
そして、そういう状況下で明治維新を迎えることになる…。
琉球は明治維新にガッツリ関わっている
著者によれば、明治維新の目的は、西洋列強による日本の植民地化の回避であり、その最前線は琉球であった。
明治維新の終わりは沖縄県の設置
そして中央集権国家を作るために行なった最大の改革は、廃藩置県だ。
沖縄県の設置は清との外交問題にもなり、日本軍初の海外出兵(台湾出兵)まで行なった。
【明治維新の終わり】
誤:1877年、西南戦争の終結。
正:1879年、琉球藩を廃止して沖縄県を設置p92。
沖縄県を設置することで沖縄と沖縄県民を守ったのだ。詳細についてはぜひ本書を読んでほしい。
明治維新のひな形:琉球秘策
では、明治維新の始まりはどうだったのだろう?教科書的には1853年ペリーの浦賀来航ということになっているが、それに先立つこと9年。1844年にフランスの軍艦が琉球にやってきて、和好・通商・布教の許可を求め、一年後にやってくると言い残し去っていったp110-p112。
早速、飛船で薩摩に、さらに早馬で江戸に報告。藩主島津斉興は報告書を提出し、薩摩藩の家老と幕府の老中で協議して、琉球の警備を強化。その後、イギリスも琉球にやってくるなど、琉球には西欧列強の植民地化の圧力が本土より一足早くやってくることとなったp112。
そこで執筆されたのが『琉球秘策』である。
薩摩で明治維新のひな型ができていたとは。知らなかった…。
上記引用の「前述の通り」の内容については、ぜひ本書を読んでほしい。また、その後についても。とても紹介しきれない、濃い内容が満載だ。
沖縄についても、琉球についても、日本についても知らないことが多すぎた…。そんな感想を持ちました。
引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。
おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために
ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。
著者 仲村覚の本
著者 仲村覚の主催する一般社団法人 日本沖縄政策研究フォーラム
著者 仲村覚 出演のYouTube番組
江戸時代、「鎖国」という言葉はなかった!
この論文も面白かった。
「浦賀を中心に見た江戸幕府の対外貿易と海防」多摩大学経営情報学部
https://www.tama.ac.jp/guide/inter_seminar/img/2012_tamagaku.pdf
noteからお祝いをいただきました。
よかったら読んでみてくださいね。
✨記事執筆のために有意義に使わせていただきます✨